3月18日から21日まで、「CO・OP2023FISパラ・ノルディックスキーアジアカップ札幌大会~ウクライナ特別招待・親善大会~」が白旗山競技場で開催された。日本、カザフスタン、韓国、モンゴルのアジア4カ国と日本障害者スキー連盟の募金活動を通して招待されたウクライナの計5カ国から約40 選手が出場した。コロナ禍の影響から国内開催としては4年ぶりの国際大会で、クロスカントリースキーの3種目にわたって熱戦が展開された。
日本チームは16選手(ガイド3人含む)が出場し、それぞれの目標に向かって今季最終戦を戦ったが、なかでもエース二人が存在感を示した。
北京パラリンピック金メダルの川除大輝(※日本大/日立ソリューションズJSC)は初日の5kmクラシカルで優勝した。「ラストのグランドの平地が多いコースで、僕のノーストックのスタイルではハードだと思ったが、後半にペースをあげられて滑りの内容もよかった」と手応えを語り、つづくスプリント・クラシカルは4位、10㎞フリーも2位と大会を通して安定した強さを示した。(※大会開催当時)
川除は今季、ワールドカップでも自身初の総合優勝を果たすなど充実のシーズンを送った。「昨シーズンに比べて、スケーティングやスプリント種目で表彰台に立つことが増えたので、そこが成長したところ」と話し、ここ数年取り組んできたフィジカルの強化によって、レース後半も体幹の利いたぶれないフォームが身に着き、「苦しい後半も体を動かし続けられるようになった」と振り返った。
今年4月からは社会人となる。スキー部に所属していた学生時代とは異なり、代表合宿以外は個人での練習時間が大幅に増える見込みだが、「今までの経験を生かしながら、自分に合った内容を考えて、しっかり練習したい」。新たな環境下でさらなる進化を誓った。
パラリンピック7大会連続出場のレジェンド、新田佳浩(日立ソリューションズ)は5kmクラシカルとスプリント・クラシカルは2位、10kmフリーは3位と全3種目で表彰台に乗る快走を見せた。3月上旬にワールドカップ最終戦に出場し、「アメリカの標高の高いところでトレーニングし、いい形で今大会に入れた」と積み重ねた練習の成果を好調の要因に挙げた。
北京パラ後は「引退も考えた」という新田だが、選手を続けながら日本チーム全体の底上げにも心をくだき、後輩たちに近い立場からアドバイスできる指導役のようなポジションを意識した挑戦の1年を送った。「今まで自分ができていたことを言葉に落とし込んで他の選手に伝えることは難しいなと思いながら、試行錯誤したシーズンだった」と吐露しつつ、「そのなかで、自分が伝えたことを、実際に自分もできるようになるにはどうしたらいいかと考えられるシーズンでもあった」と自身への糧にもなったと振り返った。
新たな立ち位置で臨んだ今季はワールドカップ総合3位に食い込む活躍もして見せた。「川除選手以外の選手もメダルに近づけるようなアドバイスをこれからやっていきたい。そのうえで、(自身が)選手としてメダルを取れれば、僕にとってのもう一つのゴールなのかな」。進化し続ける背中を見せながら、次世代選手たちの成長にも貢献していくつもりだ。
10㎞フリーで男子視覚障がいカテゴリー3位に入った北京パラ代表の有安諒平(東急イーライフデザイン/杏林大学)はペアを組んで3年目となる藤田佑平ガイド(スポーツフィールド)とのコンビネーションも振り返りながら、「藤田くんとの最初のレースが2年前にこの白幡山(競技場)で開かれたジャパンカップで、この2年間着実に成長している実感がある」と手応えを口にした。「2030年(のパラリンピック)でメダルを獲れる選手になれるよう着実にステップアップしていきたい」とし、来季はまず、「持久系の能力を高める1年にしたい」と前を見据えた。
座位カテゴリーで北京パラ代表の森宏明(朝日新聞社/HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS)は今大会で表彰台に上がった同じ座位の海外選手のラストスパートの強さなど「勉強になった」と大会を振り返り、「来季はシットスキーの見直しも含め、身体づくりや心肺機能の向上に努めたい」と話した。
今大会はもう一つ、大きな開催目的が掲げられていた。昨年2月24日に始まったロシアによる軍事侵攻の戦禍にいまだに苦しむウクライナから選手団を招き、ともに競い交流し合うことでスポーツの力による世界平和へのメッセージを発信することだ。
ウクライナ選手団は侵攻の10日後に開幕した北京パラリンピックでも不屈の精神で、チーム史上最多となる金11個を含む計29個のメダルを獲得する活躍を見せた。今大会にも北京メダリストたちを含む12選手が来日し、計13個のメダルを獲得する力強いパフォーマンスを披露するとともに、他国の選手たちと積極的に交流し、称え合う姿が見られた。
アンドリー・ネステレンコ監督は戦禍の影響でチーム強化費の工面に苦労していると話し、「日本の連盟のおかげで、今大会にほぼフルチームで参加できた。(障がい者スキーの)国際大会は数が少ないので貴重な機会になった」とサポートに感謝した。
チームは比較的安全なウクライナ西部にあるスキー連盟の練習施設で合宿をつづけながら、次の2026年ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックへの出場を目指している。グレゴリー・ヴォヴチンスキー主将は、「母国を守るために多くの兵士たちが命をかけて戦ってくれている。私にできることはスキーであり、競技へのモチベーションを保つことは全く難しくない。滑ることで、『戦争でなく、スポーツで戦おう』というメッセージを世界中に伝えたい」と力を込めた。
障がい者スキーは今季、大きな転機を迎えた。これまでは国際パラリンピック委員会(IPC)が管轄していたが、いわゆる健常者のスキー競技を統括する国際スキー連盟(FIS)の傘下に入ったのだ。競技やセレモニーの運営などにFISのノウハウが導入され始めた。
今大会も新しいレース形式が試された。パラリンピックなど障がい者のスキー大会では公平な競技のため、各選手の障がいの内容や程度に応じて「係数」(ハンディキャップのようなもの)が設定されており、この係数を実測タイムに掛けて算出された「計算タイム」によって順位が決まる。
今大会ではこの係数制を広く適用し、予め係数をかけて時差でスタートすることで、見た目の順位がそのまま最終順位になる「分かりやすい」新しい方式が取り入れられた。初日の5kmクラシカルは3つの障がいカテゴリー(座位、立位、視覚障がい)を混合する「コンバインド」で男女別に競い、2日目のスプリント・クラシカルは、さらに男女も混合する「オールコンバインド」が採用され、「誰が一番速いか」を競った。
新田は、「『いかに魅せるか』という方向になっていく段階で、順位を分かりやすくという大きなルール変更」と話し、有安は「男女も、障がいの特性も混ぜこぜという意味では、みんなで戦っている感じで一体感があり、個人的には楽しめた」と振り返った。
「当たり前にスポーツが楽しめる日常の貴さ」を胸に刻み、選手たちは来季への戦いに向けても思いを新たにした今季最終戦だった。
写真/小川和行 ・ 文/星野恭子