4月18日~23日の6日間にわたり、「天皇杯・皇后杯 第39回飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open 2023)」が、いいづかスポーツ・リゾートテニスコート及び県営筑豊緑地テニスコート(福岡県飯塚市)で開催された。
飯塚国際車いすテニス大会は、グランドスラムに次ぐグレードの「スーパーシリーズ」として格付けされているアジア最高峰の大会だ。また2018年には、車いすバスケットボール、全国車いす駅伝の大会とともに、障害者スポーツとして初となる天皇杯、皇后杯が下賜された。
新型コロナウイルスの影響により4年ぶりの開催となった今大会には、16の国と地域から81名のプレーヤーが集結し熱戦を繰り広げた。
強風に季節外れの強い日差し…春の嵐のような天候の中、ひときわ大きな旋風を巻き起こしたのは、男子シングルスを制し、ダブルスでは自身初のタイトルを獲得した16歳の新星・小田凱人(世界ランキング2位 ※大会開催時)だ。
昨年4月に15歳でプロに転向すると同6月の全仏オープンではベスト4、そして今年1月の全豪オープンでは準優勝に輝いた。来年に控えたパリパラリンピックでの活躍も大いに期待されている。
今大会、男子シングルス・第1シードの小田は、1回戦から準決勝までの4試合をストレート勝ちし、眞田卓(同11位)との日本人対決となった決勝の舞台に立った。
「絶対に負けないぞ。自分が勝って自分の大会にする!」そう心に決め試合に臨んだが、「決勝戦ということを意識しすぎた」と小田。第1セットを3-6で落とす。声を出し自らを奮い立たせると、徐々に持ち味であるダイナミックなテニスを取り戻し第2セットを6-1で取り返した。
第3セット、キープが続くなか小田がブレークに成功し4-3。指先がスッと空へと伸び、まっすぐ上がった球を一気に相手コートへと叩きつける華麗なサーブで主導権を握る。小田はスペースを見極め打ち分ける冷静さも失うことなく5-3と引き離す。
しかし眞田がベテランの意地を見せつけ5-4にすると、約3000名の観客は固唾をのんで勝負の行方を見守る。コートには幾重にも刻まれた半円状のタイヤ痕。眞田がさらに追い込むが、小田は「しっかり振り抜く」と自分に言い聞かせ、今あるすべての力を総動員して渾身のサーブを打ち込んだ。そうして、眞田のリターンが乱れ、ゲームセット。
小田はラケットを投げ捨て「ウォー」と雄叫びをあげ、両手を広げて天を仰いだ。トレードマークのハチマキとリストバンドを脱ぎ捨て、コートのセンターに近寄ると、眞田と肩を抱き健闘を称え合った。見応えある試合を繰り広げた両者に、会場からは割れんばかりの拍手が送られた。
表彰式で前回王者の国枝慎吾氏から天皇杯を授かると、小田はまぶしい笑顔を見せ天皇杯を高らかに掲げた。
小田にとって飯塚国際車いすテニス大会は“世界”を知った場所でもあった。4年前の2019年大会、当時12歳の小田は、世界のトッププレーヤーが出場するメインクラスではなく、次世代の選手たちによるセカンドクラスの試合に出場していた。ゴードン・リード、アルフィー・ヒューエットといった世界のトップランカーに初めて会い、「こういう人たちと一緒にテニスがしたい」と強い思いを抱いたのが、この大会だった。4年間の成長を見せたいと今大会に臨み、最高の結果で締めくくることができて「満足している」と堂々と語った。
「車いすをこぐスピード、スイングのスピード…車いすテニスのスピード感を見てもらいたい。車いすテニスはこれだけカッコいいんだということをプレーで伝えていきたいし、みなさんが想像している以上のプレーが絶対にできる。車いすテニスをかっこいい競技にしていくのが今の目標です」
自分が見た“世界”に彩を加え、新たな世界をも切り拓いていく使命感と覚悟にあふれていた。
小田に敗れはしたものの、ジャパンオープンでは自身初となるシングルス決勝進出を果たした眞田。ロンドン、リオ、東京とパラリンピック3大会連続出場を果たした、日本を代表するテニスプレーヤーだ。今大会での眞田は、厳しい局面に追い込まれても、生き生きと、のびのびとボールを追いかける姿が印象的だった。
「大会を通じて心がけていたのは、試合を楽しむ、そして見て楽しんでもらえる試合をしたい、ということだった。決勝では、緊張する場面でも、こういう場で試合ができる喜びがあり、大事なポイントほどうれしくて集中できた。負けて悔しい思いはあるが、トキト(小田)とスーパーシリーズの決勝戦を戦えたというところでは満足している」と充実した表情をのぞかせた。
昨年の秋ごろから強化してきたサービスとリターンに加え、腕への負担軽減とケガの防止のため全身を使って車いすをこぐことに取り組んだというチェアワークが光った。そしてもうひとつ、マインドの変化がパフォーマンスアップにつながっている。その変化をもたらしたのは、国枝慎吾氏の引退だった。
「国枝さんが抜けて僕が最年長になってきて、だまっていても引退という文字が見えてくる。最後まで悔いの残らないようにやろう、楽しもう、そうマインドが変化したことで、接戦の中でプレッシャーからラケットが振れなくなるとか、ミスを恐れてしまうということがなくなった」
来月6月に開催される全仏オープンへの出場も決まっている。
大会終了後の世界ランキングではランクを3つ上げ、8位となった眞田。「精一杯がんばったと自分を褒められるように、もっともっと高みを目指していきたい」
積み上げてきた経験を強みに、自分の道を突き進んでいく。
そして、小田との日本人ペアで、ジャパンオープン・ダブルス初タイトルを獲得した三木拓也(同6位)。
男子ダブルス決勝では、マッチタイブレイクの両者一歩も譲らぬ攻防でも、アグレッシブに前に出る姿勢を貫き、ルベン・スパーガレン/マイケル・シェファーズのオランダペアを退け頂点に立った。
「試合の入りですごく緊張してしまったが、優勝することができてよかった」。解き放たれた笑顔で喜びを語った三木。
「国枝さんがいなくても車いすテニスをもっともっと盛り上げて、パラスポーツを活性化していければ」さらにギアを上げていく構えだ。
パラリンピック6大会に出場しダブルスで金メダルを獲得した日本車いすテニス界のパイオニア、齋田悟司が今なお現役でその背中を見せ続け、齋田から国枝へ、国枝から現在そして未来へと引き継がれるバトン。そのバトンが日本を強くし、人々を魅了し、憧れとなる。
飯塚から世界へと舞台を移し躍動する車いすテニスプレーヤーに、今後も注目だ。
文/張 理恵