2028年ロサンゼルスパラリンピックの正式競技入りも期待され、注目度が高まる「パラサーフィン」。その、日本初開催となる国際大会「JAPAN OPEN」が4月23日から24日の2日間にわたって、静岡県牧之原市にあるサーフィン用の人工造波施設、「静波サーフスタジアム」で開催された。
日本をはじめ、世界3カ国から約40名の選手が出場。ハイレベルなパフォーマンスや互いに励まし称え合う選手たち、そんな彼らに熱い声援を送る観客やサポーターらの姿は、これからのパラサーフィンのさらなる盛り上がりを大いに期待させる大会だった。
パラサーフィンはさまざまな身体的個性をもったサーファーが参加するため9つの障がいクラスに分かれ、クラスごとに異なるスタイルでサーフィンを行う。試技ごとにジャッジがスピードやパワー、フローや型にはまらない自由なライディングなどの観点から10点満点で採点する。今大会では予選は6試技中の上位2つ、決勝は4試技中の上位2つの得点合計で順位を決める方式で実施された。
9クラスのうち、立位で波に乗る「スタンド」クラスは障がいの程度によりスタンド1~3まで3クラスに分かれる。「ニール」クラスはボードにひざ立ちの姿勢で波に乗り、「シット」クラスはウェイブスキーと呼ばれる専用ボードに座り、パドルを使って波に乗る。腹ばいの姿勢で波に乗る「プローン」はサポートを必要としないプローン1とサポートを必要とするプローン2に分かれる。視覚障がいクラスは全盲の視覚障がい1と弱視の同2に分かれるが、パドリングを始めるタイミングなどを知らせるアシスタントと競技を行い、立位で波に乗る。
それぞれの身体特性に合わせた用具や個性的なライディングスタイルが見どころであり、サーフィンはボードの上に立ちあがるスポーツではなく、「自由に波に乗ることを楽しむスポーツ」なのだと改めて気づかされた。
また、パラサーフィンは水中での競技であり、移動補助や安全性確保のため多くのサポーターやボランティアが競技を支えており、選手とのチームワークやコラボレーションの様子も魅力といえる。今大会でも、水陸両用車いすを利用した水中までの移動サポートや波に合わせてボードを押す人(ピッチャー)、ライディング後にボードを受け止める人(キャッチャー)など多くの人が関わり、選手とともに大会を作り上げていた姿が印象的だった。
スタンド2クラスを制した伊藤建史郎は就労中の事故で右脚のひざ下を失い、義足で競技を行う。昨年の世界選手権では日本代表チームのキャプテンを務めた。日本初の国際大会を終え、「多くの方の協力のおかげで開催され、パラサーフィンの存在を知ってもらえて感無量。波に乗る行為は普通のサーフィンと一緒だが、障がいのハンデに応じて、それぞれのスタイルで乗るのがパラサーフィンの魅力。そこに注目してほしい」と競技をPR。
一方、今後の課題には海に気軽に入れるなど練習環境の整備を挙げた。例えば、障がい者用の駐車場やトイレの整備状況が、「海外とは圧倒的に違う」と話し、啓発活動にも取り組みたいと話した。
プローン2で優勝した藤原智貴はサーフィン中の事故で胸から下が動かなくなったが、パラサーフィンで競技復帰した選手だ。「2019年に最初の国際大会が予定されていたが台風で中止となり、コロナ禍もあって、ようやく実現した。ここがスタートであり、さらに発展させるためには、もっと多くの海外選手に来てもらうなど大会を盛り上げる活動にも力を入れたい」と話し、「(プローン2)はサポートがいないと成り立たないクラス。自分が強くなってアピールすることで、(支える人材確保の)道も作っていきたい」と意気込んだ。
視覚障がいクラスも音声でサポートするアシスタントと競技を行う。視覚障がい1(全盲)クラスを制した葭原滋男は普段練習している海とは異なる人工波に慣れるまでに時間がかかり、「難しかった」と振り返ったが、アシスタントと微調整を繰り返しながら、最終試技でボードに立ち上がり、記録を残した。
葭原のアシスタントを務めるのは実弟の隆之さんだ。近づいてくる波の動きを見極め、「来るよ。5、4、3、2、1、ハイ!」と声をかけ、パドリングを始めるタイミングを伝える。だが、会場の環境や当日の天候などを含め、的確なアシストには考慮すべき点が多々あり、「毎回、試行錯誤しながらやっている」と話す。安全確保も重要な役割だが、アシスタントの数は不足しており、隆之さんはこの日、視覚障がい2クラスに出場した2選手のアシスタントも兼務していた。サーフィンに興味を示す視覚障がい者は全国的に増えているといい、隆之さんはアシスタント用マニュアル作成などサポーターを増やす取り組みにも積極的に関わる。「危険回避を考えると、一人では難しい。体験会などで多くの人に興味をもってもらいたい」と話す。
シットクラスを制した辰巳博実はカヌーで東京パラリンピックに出場した「二刀流」だ。カヌーと同じくパドルを使うウェイブスキーとは、「共通点も多く、相乗効果がある」という。この日も安定したライドを見せた。
海外からは4選手が決勝ラウンドに残り、ハイレベルなライディングで魅了した。なかでも会場を大きく沸かせたのは、パラサーフィン歴40年以上の61歳、ニールクラスで何度も世界王者に輝いているオーストラリアのレジェンド、マーク・モノ・スチュワートだ。決勝1本目で、トンネル状になった波のなかをスピードコントロールしながら進む「チューブ」と呼ばれる大技を決め、今大会初の10点満点をたたき出した。なんと2本目も同様のライドで再びパーフェクトを出し、圧倒的な強さで表彰台の頂点に立った。
「私は1976年に(病気で)足を失ったが、今日は(パーフェクト2本で)夢のようだ。パラサーフィンはこの先10年、もっともっと発展していくことだろう」と笑顔で話した。
スチュワートと同じニールで4位に入った小林征郁は交通事故で車いす生活になり、一度はサーフィンを諦めたが、海に帰ってきた選手だ。「10点を出されたら、もう攻めるしかない。彼(スチュワート)に勝つことが目標なので、いい刺激になったし、試合が盛り上がってよかった」と熱戦を振り返るとともに、「若い世代やキッズにも出てきてほしい。(競技の)土台作りも頑張りたい」と前を見据えた。
JAPAN OPENは4月22日から24日まで行われた「第2回静波パラサーフィンフェスタ」のメインイベントとして行われ、22日の初心者向けの体験会や地ステージイベント、元業者などによる飲食ブースなども催され、3日間でのべ3,000人以上が訪れ、賑わいを見せた。同フェスタは昨年7月につづいて2度目の開催で、昨年は1日のみで体験会と大会が実施された。
今大会の主催団体「ユニバ」の田中慎一郎代表理事は5月上旬のハワイでの公式戦と日程が近く、海外選手の参加が伸びなかったものの、「歴代のチャンピオンたちが参加してくれて、日本のパラサーフィン界発展の第一歩としては大きな一歩になった」と手応えを語った。
会場となった「静波サーフスタジアム」は2021年 8 月にオープンした日本初のサーフィン用ウェイブプールで、初心者から上級者まで多様なレベルに対応した良質の波を造ることができる。また、海に比べて安全確保もしやすく、同フェスタとJAPAN OPEN は来年以降も同会場で継続して開催し、育てていく意向だという。
「牧之原市をはじめ、多くのネットワークでサポート体制も充実させながら、5年、10年と続けていきたい。そして、この大会がインクルーシブな街づくりの一助になっていければ」と今後の抱負も語った。
なお、パラサーフィンは年々、注目度が高まり、競技者も増えている。国際サーフィン連盟(ISA)が主催する「ISA世界パラサーフィン選手権大会」は昨年の2022年大会で7回目を数え、日本を含む28カ国から過去最多となる180名以上のパラサーファーが参加した。世界をリードするアメリカが3連覇を果たし、日本も10選手が出場して4つのメダルを獲得、国別団体では8位に入る健闘を見せた。
さらに、国際パラリンピック委員会(IPC)は昨年、2028年のロサンゼルスパラリンピックの実施競技として、サーフィンとクライミングの追加を検討していると発表。今年末には最終決定が下される予定となっているが、サーフィンは開催地ロサンゼルスのあるカリフォルニア州の公式スポーツでもあり、追加への期待は高い。もし、パラリンピックの正式競技に決定すれば、競技普及のさらなる後押しとなることは間違いない。
国内でも今年9月3日には千葉県の白子町剃金海岸で、パラサーフィン全国大会となる「パラサーフィン全日本選手権」が予定され、今年末にアメリカで開催予定の「ISAパラサーフィン世界選手権」の代表選考会も兼ねて行われることになっている。
JAPAN OPENは競技会ながら、会場は笑顔と歓声があふれていた。パラサーフィンはまだ伸びしろも大きく、これからの展開が楽しみなパラスポーツだ。
写真/吉村もと ・ 文/星野恭子