4月のジャパンオープン、5月のワールドチームカップ(WTC)、6月の全仏オープンと車いすテニスのビッグトーナメントが続いている。その車いすテニスは、1月に現役引退した国枝慎吾氏(ユニクロ)や世界ランキング2位につける17歳の若きエース・小田凱人(東海理化)らの「男子」、パラリンピック2大会メダリストの上地結衣(三井住友銀行)や世界ランキング5位につける大谷桃子(かんぽ生命)らの「女子」、そして、競技レベルが年々向上している「クアード」の3つのクラスでそれぞれ試合が行われている。今回は、この「クアード」クラスについて紹介したい。
「クアード」は英語で四肢麻痺を意味する「Quadriplegia(クアードリプリジア)」の略称で、三肢以上に障がいがある(下肢だけでなく、上肢にも障がいがある)クラスだ。試合は男女混合で行われる。握力が弱かったり、手指欠損などでラケットが握れない場合は、ラケットと手をテーピング等で固定することが認められている。選手の障がいの種類や程度はさまざまで、電動車いすを操作してプレーをする選手もいる。2バウンドまでの返球が認められている点は、男子、女子と同じだ。
上肢にも障がいがあるため、チェアワークのスピードを出しにくい分、ショットの正確さや戦略性がゲームを構築するカギとなる。展開を先読みして試合を組み立て、息詰まるようなラリー戦を繰り広げるクアードならではの魅力について、活躍した元選手はかつて「詰将棋のような面白さがある」と、筆者に教えてくれたことがある。
冒頭でも触れたように、クアードのテニスは年々進化を遂げている。そのきっかけを作ったひとりが、昨年引退したディラン・アルコット(オーストラリア)だ。アルコットは左右に伸ばせば195センチあるという腕のリーチを活かした力強いサーブとショットの多様さを武器に、東京2020パラリンピック(以下、東京2020大会)が行われた2021年、1年間でグランドスラムとパラリンピックを制する「年間ゴールデンスラム」を達成。翌年の全豪オープンを最後に引退するまで、一時代を築いた。
そんなアルコットと入れ替わるように台頭し、現在世界ランキング1位(2023年5月15日付、以下同)を維持しているのが、20歳のニールス・フィンク(オランダ)だ。東京2020大会では、シングルスで銅メダル、サム・シュローダーと組んだダブルスで金メダルを獲得。グランドスラムは昨年の全仏オープンと全米オープンを制している。1歳の時に細菌感染症にかかり、脚と手指の第一関節から先を失ったフィンク。しかし、ラケットはテーピングを使わずに持つことができ、フォアハンドとバックハンドでグリップチェンジできることが、より安定した質の高いプレーにつながっている。ちなみに、ボーイズ時代にフィンクのライバルとしてしのぎを削ったのが、現在は男子で活躍する小田である。シニアにあがると小田は「男子」、フィンクは「クアード」とクラスが分かれたものの、今でも連絡を取り合って刺激しあう仲で、テニスやスニーカーの情報交換などを行っているそうだ。
日本勢では、菅野浩二(リクルート)が世界ランキング8位につけている。菅野はもともと男子でプレーしていたが、2017年にクアードに転向。東京2020大会はシングルスで4位、諸石光照(EY Japan)と組んだダブルスでは銅メダルを獲得している。諸石は56歳と最年長ながら豊富な練習量に裏打ちされた確かな配球術で、今なお第一戦で活躍中だ。世界ランキングでは、16位に石戸大輔(三菱オートリース)、17位に宇佐美慧(LINE)、25位に諸石、27位に川野将太(シーズアスリート)と続く。2019年のWTCでは、クアード日本代表(菅野・諸石・川野・宇佐美)が見事初優勝を飾り、今年5月のWTC(菅野・宇佐美・石戸・川野)では4位と表彰台まであと一歩に迫るなど、クアード強豪国のひとつと言える。
そんなクアード界の選手たちが「すごい選手」と口をそろえるのが、元世界1位のデビッド・ワグナー(アメリカ)だ。1974年生まれのワグナーは、21歳のときにビーチでの事故で半身不随となり、車いす生活に。胸から下が麻痺しており、障がいの状態としては重い方だが、車いすテニスを始めてからめきめきと頭角を現し、2003年に自身初の世界ランキング1位を獲得して以降、20年間にわたってトップ5位を維持し続けている。彼の持ち味は、何と言ってもチェアワークとパワーを補うショットの正確性だ。絶妙なタッチでフラット気味にボールを打ち分け、スペースを作ってじわじわと相手を追い込んでいく。20代の若手選手が席巻する現在でも世界ランキング3位につけており、比較的障がいが重い諸石や川野は「彼のプレーを参考にしたい」と話している。
このように、クアードには独自の試合展開の面白さがあり、選手たちの自身の障がいにあわせたプレーや道具の工夫も見どころとなっている。魅力的なクアードの世界に、これからさらに注目してほしい。
写真・文/荒木美晴