全仏オープンで車いすテニスの男子シングルスを史上最年少の17歳で制し、世界ランキング1位を達成した小田凱人選手が20日、凱旋帰国した。羽田空港で大勢のファンから祝福を受けたあと記者会見に臨み、「みなさん、こんにちは。世界ランキング1位の小田凱人です。これが言いたくて」と、第一声で会場を盛り上げた小田選手。緊張感に満ちた決勝戦の振り返り、快挙達成の心境、子どもたちへのメッセージのほか、憧れの先輩・国枝慎吾氏の存在、7月のウィンブルドンや今後の目標について、たっぷり語ってくれた。
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────改めて、全仏オープンの優勝おめでとうございます。まずは率直な感想を聞かせてください。
世界ランキング1位、そして最年少グランドスラム優勝が懸かった舞台だったので、僕としては「決勝戦でベストを出す」と、心のなかで思っていました。それが結果に出たと思っています。まだ始まったばかりなので、夢を叶えていきます。これからもよろしくお願いします。
────優勝の反響はいかがですか。
大勢の報道陣が集まってくれたこの会見場もそうですが、帰国後に到着ロビーには横断幕も掲げられて、度肝を抜かれました(笑)。それだけのことをしたんだと、帰国してから今にかけてが一番実感がわいています。ただ、今回は初めてのグランドスラム優勝で、まだこれから何度も頂点を獲れるチャンスがあると思っています。何回タイトルを獲れるか、それをこれからの人生の一番の目標として頑張っていきたいです。
────決勝戦は素晴らしい試合展開でした。
最後のマッチポイントの感覚は、ほかの大会では感じられないくらいでした。手が震えていたし、心臓が飛び出るんじゃないかというほど緊張したし、感動したことを今でもすごく覚えています。その後は、すぐにでもウィンブルドンのタイトルを獲りたいと思いました。あの感覚を何度も経験したい、より多く達成したい気持ちが大きくなりました。
────決勝戦後の表彰式で対戦したヒューエット選手が「これでグランドスラムで1勝1敗だね」と言っていました。これから何度も戦うだろうことを意識したような発言でした。今後、彼と戦ううえで何がポイントになると思いますか?
アルフィーとの試合は特別な思いがあるし、ライバル意識があります。これから100回くらい戦う可能性がある選手です。今は第1シードと第2シードなので決勝で戦うことになりますが、強敵だし、手ごわい相手です。次のウィンブルドンは彼のホームになるので、彼の力になると思います。ただ、僕が勝った試合は鮮明にいろんなことを覚えているので、それを蘇らせてというか、その時の自分を思い出してプレーしていければチャンスはあると思います。これから現役生活を共にしていくので、ある意味で楽しみだし、彼との勝負は長く続くと思います。
────スタッド・ローラン・ギャロスはパリ2024パラリンピックの会場になります。その場所で最初のグランドスラム優勝を遂げたことでパラリンピックに弾みがつくと思いますが、どう感じていますか?
パリと同じ会場でプレーできたのは少し有利なんじゃないかと思います。しかも決勝戦をセンターコートのコート・フィリップ・シャトリエでプレーできたのは大きいですね。車いすテニスの試合をセンターコートでセッティングしてもらうことは多くないので、車いすテニス界全体としても意義のあることでした。
────優勝された日は、「チーム凱人」のみなさんでお祝いしましたか?
一緒にご飯を食べに行きました。その夜はほぼ寝られなかったので、一人で部屋で音楽を聴きながら、次の遠征に向けて片付けをしていました。SNSではすごく反響がありましたけど、実はあまり実感がなくて。だから、日本に帰って来てあれだけお出迎えしてくれるとは思っていなかったので、衝撃でした。
────出発前に、「勝ったら凱旋門を観に行きたい」とおっしゃっていました。実際に行けましたか?
初めて観ることができました。エッフェル塔とかは通りかかったりしたし、去年も見たけど、凱旋門だけ見たことがなかったので。本当にすごい格好いいなと思いました。たくさん写真撮って、スマホの待ち受けにしています。
────賞金で買いたいもの、やりたいことは?
賞金は関係ないですけど、とりあえず髪の毛を切りたいです(笑)。
────優勝後のセレモニーで「車いすテニスを大きくしていきたい」とおっしゃった真意は?
やるからにはスケール大きくやりたい。誰もやったことがないことや自分にしかできないことが必ずあると思うので、それを見つけながら頑張りたいなと思います。車いすテニスを、よりメジャーで誰もが知っているスポーツにしていきたいと思っています。
────周囲のサポートや環境面で大きかったことはありますか?
メンタリティや試合の運び方とかには、両親の影響があると思います。車いすテニスを始めた当時から、「お前ならできる」と言われていたし、できなければ「なんでできないんだ」という教育方針だったので、自己暗示というか、言われ続けたことで自分もそういう考えになったというのがあります。今の自分のメンタリティは、両親の言い聞かせてくれた言葉が土台になっているかなと思います。優勝した後は感極まっていたので、ロッカールームで自分から両親にビデオ通話しました。「やったぞー!」って言いました。すごく喜んでくれたし、父親は「俺は勝てると思ってた」と。それを聞いて、すごく信じてくれていたんだなと感じました。
────大会前に今大会で優勝して世界一になることが、病気の子どもたちのヒーローになることにつながるとおっしゃっていました。実際に優勝されて、その想いはいかがですか?
僕は、目標や夢は口に出していかないと寄ってこないと思っているので、優勝しますとか、世界一になりたい、と何度も、いろんなところで言ってきました。それがモチベーションになるし、今回それをしっかりと達成できました。障がいの有無や、闘病中かどうかに関係なく、夢を持つ小学生や中学生に闘争心むき出しでガンガン戦う姿勢は見せられたんじゃないかなと思います。夢を叶えるまでの道のりが一番大事だから、夢は捨てないでほしいです。
──── 10歳で車いすテニスを始めて、7年でタイトルを獲りました。このスピードでの達成は想像されていましたか? また、当時の自分に声をかけるとしたら、どんな声をかけたいですか?
7年前からグランドスラム優勝と世界ランク1位という目標は変わらず、常にモットーにしながら頑張ってきました。そのころから「世界一になれる」と思って行動していました。世界一ならこういう行動や活動をするだろう、こういう立ち居振る舞いをするだろうと、常に想像していました。今、その目指していたところにたどり着いたという感覚があります。病気をして車いすテニスを始めるとなった時の自分に、もし声をかけられるなら、少し悩みますけど、「自分らしさを大切に頑張って」というふうに言うと思います。
────優勝を果たした今、小田選手が考える世界一らしさとは、またチャンピオンとしてどうあるべきか、どんな考えを持っていますか?
グランドスラムを含めて、ツアー転戦を始めてから、トップ選手から「こういうのがプロなんだ」「ボールを打つことだけがテニスじゃないんだ」と、いろんなことを吸収しました。試合でコートに立つ時間は練習を含めて2時間とか3時間だけど、トップ選手はウォーミングアップやケア、試合のための準備をこれだけやっているんだ、と知りました。とくに、グランドスラムに出始めてから「これくらいやんないとダメだな」と強く感じて、それからすごく準備をするようになりました。世界一にはなりましたけど、理想や自分が求めているところはまだ先にあるし、テニスの内容も求めているクオリティーにはたどり着いていないので、これからも追求していきたいと思います。
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写真・ 文/荒木美晴