7月10日、フランス・パリで開催されているパラ陸上の世界選手権で、女子走り幅跳び(T64クラス)の中西麻耶(阪急交通社)が銅メダルを獲得した。大会は来年のパラリンピック・パリ大会の予選も兼ねていて、同種目で4位以内に入ると与えられる出場枠の獲得も、日本パラ陸上第1号で確定した。
銅メダルの獲得までの道のりは、決して順調ではなかった。大会3日目となる10日、前回大会の優勝者として登場した中西の1回目のジャンプは、ファウルから始まった。2回目も4メートル99で、本調子には見えなかった。大会前には中西自らが「調子を落としている」と語っていたこともあり、不安の方が印象に残る滑り出しだった。
潮目が変わったのは3回目だ。このジャンプで5メートル14を記録すると、助走の勢いと踏切の精度が増した。5回目5メートル32、最終6回目は5メートル38と回を重ねるごとに記録を伸ばし、今シーズンの自己ベストを13センチ更新した。2位の選手との差は、わずか2センチ。最終ジャンプの後には、審判員や観客に向かって手を振りながら、観客席を埋めた人たちに感謝の笑顔を見せた。
試合後には、大会前に調子を落とした理由も説明した。2020年9月にアジア記録を更新し、東京パラではメダルの期待がかかったものの6位に終わった。新しいコーチを採用したものの、今年になって契約を解消。コーチ不在で練習する環境も整わず、「こんなに準備のできなかった世界選手権は初めてだった」という。一人でトレーニングをしていても、「今の練習でいいのか」という不安がつねに頭の中によぎる日々だった。
その状況で意識的に取り組んだのが、自分の足音のわずかな違いから、助走の精度を高めることだった。正しいテンポで徐々にスピードを上げているか。踏み込んだ足に左右差が生じていないか。そのことを意識し始めると、途中で失速したり、リズムが狂ったりしたところが体感としてわかるようになってきた。その練習を繰り返した。中西は、具体的な練習方法をこう説明する。
「自分の中で心地よいテンポをBPM(Beat Per Minute=1分間ごとの拍数)にして出して、それにリズムを取りやすい音楽を乗せて録音して、ひたすらそれを毎日聞く。それで体の中にいいリズムを入れた」
研究の末に発見した最適のBPMは、助走の最初が160〜170、最後から6歩目で210に上げ、跳躍の瞬間は300まで持っていくこと。まずは理想のBPMの足音を録音し、DJをしている友人に、そのBPMをもとに曲をつくってもらった。遠くにジャンプするためだけに制作されたオリジナル曲の効果は抜群だった。「一歩目のBPMは、毎回一緒になるぐらい正確性が高まった」という。
それでも、手応えを感じたのは大会からわずか3週間前。最後の仕上げ練習をしていた時だったという。うまくいくと信じて、大会本番の計6回の試技でも、BPMのリズムは絶対に崩さないと決めた。試合前には勇気ある決断もした。ジャンプを失敗した後も助走の位置を確認するためのマークを動かさないことにしたのだ。走り幅跳びの選手は、ファウルをした後はマークの位置を変えたくなるものだ。それを自ら禁じ、身体に染み込ませたBPMを優先することにした。1本目がファウルになった後も、そのルールを守った。
「(1本目は)最後から6歩目を過ぎてからの足が、ちょっと後ろになっていたので、前でしっかりとさばくようにしました。すると自然と歩幅は狭くなっていく。それくらいの調整で大丈夫かなと思った」
自らの課題を自らのアイデアで改善できたことで、自信も得られたはずだ。また、音楽関係者というこれまで陸上をやる上で関わりのなかった友人たちの協力に「良い希望だと思った」と感じている。
とはいえ、現状で満足しているわけではない。パラリンピックには、2008年の北京大会から4大会連続で出場しているものの、いまだにメダルを獲得したことがない。また、近年はパラ陸上の女子走り幅跳びの記録が飛躍的に伸びていて、メダル争いに絡むには高い壁がそびえ立っている。
今大会で優勝したオランダのフルール・ヨングは、2位に68センチの差をつける6メートル28(大会新)で優勝した。2019年の世界選手権で5メートル21の世界記録を樹立したヨングは、4年間で自らの記録を6メートル48まで更新した。身長183センチという恵まれた体格と、両足の義足を活かしたカモシカのような跳びはねる助走から生まれる跳躍は、他の選手を圧倒している。さらに、絶対王者となった彼女を追って6メートル台を記録する選手もあらわれている。パリ大会のメダル争いはこれまで以上にハイレベルになることが予想される。
中西は、今大会で銅メダルを獲得したことで5大会連続となるパリ大会の出場に大きく近づいた。一方で、日本が出場枠を得たことで、中西以外の日本選手にも火が付くだろう。国内の競争も激しくなるに違いない。しかし、そのあたりはベテランらしく、「この貴重な出場枠をチームジャパンでも強みに変えて、いいパラリンピックを迎えられるようにしたい」とライバル選手たちを鼓舞する。目指すのは、大舞台での表彰台の頂点だ。まずは、自己ベストの5メートル70を上回る6メートルを超えるジャンプを目指す。新しい景色を見るために、挑戦は続く。
写真/越智貴雄[カンパラプレス] ・ 文/西岡千史