7月8日から17日までフランス・パリで開催されていたパラ陸上の世界選手権で、初出場の福永凌太(中京大クラブ)がT13(視覚障がい)男子400mで金、同走り幅跳びで銀、とメダル2個を獲得。400mは47秒79で自身のもつアジア記録タイ、走り幅跳びは7m03(+0.5)でアジア新記録を樹立するハイレベルなパフォーマンスを見せた。同大会で4位以内の選手の所属国・地域に与えられる来年のパリパラリンピックの出場枠も一つ(*)獲得した。
(*:規定上、1選手が複数種目で4位以内に入っても、与えられる出場枠は1つのみ)
約3年前にパラ陸上への転向を決めてから、「世界一になることを目指してやってきた。運がよかったなと思うところもあるが、自分が思ったようにできるんだということを証明できた」。パリパラリンピックのエース候補に名乗りをあげた福永は満足そうに話した。
400m決勝は15日夜に行われた。前日の予選で47秒79のアジア新をマークし、1位突破した福永は3レーンからのスタート。号砲に勢いよく飛び出すと、冷静にレースを組み立て他を圧倒した。
身長182㎝と大柄な福永は前半から積極的な走りで上位に立つと、中盤でもいいリズムを維持し、200mから300mの曲走路をトップで駆け抜ける。ホームストレートでも後続を寄せつけない力強さで、2位に入ったジョハネス・ナンバラ(ナミビア)に0.35差をつけて勝ち切った。ナンバラは東京パラリンピックの銅メダリストだ。
タイムは自身が前日の予選で叩き出したアジア新と全く同じ47秒79。「いい走りができた」と納得のパフォーマンスに、フィニッシュでは右こぶしを突き上げながら雄叫びで喜びを爆発させた。
「レース自体は冷静に走ることができ、プラン通りに行けた。ゴールしてからは、冷静にするのが僕らしさかなと思ったが、自然と、勝手に声が出てしまった。『やっぱり、ここを目指していたんだな』と、今一度、自分に確認できた」
国内大会では優勝や新記録樹立を祝福されても、「まだまだ」と淡々と受け止める印象の福永だが、初の大舞台で納得できる結果だったのだろう。「本能で喜びのままに体が動いた」という。
ここまでの調整もうまくいき、今大会には東京パラの金、銀メダリストが不在だと知った福永はひそかに「優勝してやろうと思ってここへ来た」というが、さすがに予選前夜は「1時間おきに目が覚めた」と緊張感があったことを明かした。それでも、スタジアムでアップを始めると、「懐かしい。またこの(真剣勝負の)場所に戻ってこれたんだ」と思えた。「気持ちよく行こう」とスタートした予選では自身初の47秒台が出て、「シンプルに嬉しかった」。
迎えた決勝でも、「予選の走りを300mまで再現し、予選では流したラストは(今日は)しっかり走り切ろう」とスタートし、その通りのレースができた。予選と全く同タイムにも、「47秒台は僕の感覚からすると、すごい記録。『400m選手というイメージがある記録』だったので、そこに自分が入ることができて素直に嬉しい」とうなずいた。
1998年滋賀県生まれ、24歳の福永は先天的な弱視だったが、小学校高学年から陸上競技を始め、中学、高校では棒高跳びに取り組み、インターハイにも出場。中京大時代は十種競技で活躍したが、大学4年のとき、周囲の勧めもあってパラ陸上に転向。2020年11月の大会でいきなり、100mと円盤投げの日本新記録を樹立、21年3月には400mと走り幅跳びの日本記録も塗りかえた。
その後は種目を絞ってチャレンジを続け、今大会前のベストは400mが48秒34、走り幅跳びが6m96で、両種目ともアジア記録保持者にもなっていた。だが、コロナ禍もあって、ようやく迎えた大舞台が今大会だった。
次に見据える目標はアルジェリアの選手がもつ世界記録(46秒70)越えだ。パラ転向時から掲げている。
「来年のパリパラリンピックで世界新を出すことを、4年スパンで考えてやってきた。順調に進められているかなと思う」と自信を深め、今大会の結果で、「本当に届きそうなところに来たのかなという実感もある。(この先も)しっかり頑張っていきたい」とさらなる進化を誓った。
銀メダルを手にした走り幅跳びは大会最終日の17日午前に行われた。メイン種目とする400mと違い、「楽しみながらできた」と振り返った。「まずは記録を残そう」と1回目で6m56を跳び4位につけると、「あとは記録を狙って行こう」と仕切りなおした。
この時点でターゲットとなる記録は1回目の試技でアイザック・ジャンポール(アメリカ)がマークした7m06(0.0)だった。東京パラ銅メダリストで、7m28の自己記録を持つ選手だ。
福永の2回目は踏切位置が「少し遠かった」にも関わらず、6m72まで記録を伸ばす。助走のイメージはよかったので、「観客からの力も借りて走らせてもらおう」と思い、自ら手拍子を求めて臨んだ3回目は踏み切りもピタリと合った大ジャンプ。着地後に手をポンとたたいてから両手を横に広げる仕草に手応えが感じられた。果たして、記録は自己ベストにしてアジア新となる7m01(0.0)、2位に浮上した。
上位8人に残り、試技順も変わった4本目以降は記録を伸ばすだけでなく、他の選手もそれほど記録を伸ばせていない状況を見て、金メダルも意識したという。
4本目は 6m96と伸ばせなかったが、悪くない。5本目の前に、スタンドで見守る跳躍ブロックの鈴木徹コーチから、「思い切って行こう」とアドバイスされ、「踏み切りは気にせず、しっかり走ること」を意識した跳躍は踏み切りもピタリと合って7m03(+0.5)、アジア記録を再び塗り替えた。短距離のスピードを生かした助走と踏み切りに手応えを感じた今後につながる1本だった。
それでもまだ順位は2位。ジャンポールは2回目以降の跳躍は安定せず、「越えれば、1位に行ける」と思ったが、「その思いが空廻っていた」という福永の最終跳躍は6m69と伸ばせなかった。試技後はピットに軽く会釈し、7m03で競技を終えた。ジャンポールの優勝記録まで、わずか3㎝だった。
「今日の周りの結果なら金を狙える記録だったので行きたかったが、これが今の実力」と淡々と振り返り、400mをメインに調整してきた今季は、走り幅跳びピットでの練習はせず、「試合を重ねるなかで作ってきたし、それ以外に学生時代にやってきたことが今につながっている」と話した。
十種競技でマルチに鍛えてきて、今も母校のアシスタントコーチとして世界を目指す学生たちと切磋琢磨する福永にはさまざまな可能性がある。来年のパリパラに向けては、「もう少し400mに重きをおくことになる」と話したが、「どの種目に出ようと、1番を狙ってやっていきたい。相乗効果的にどれも上がっていけばいい」と力強い。
「中学、高校とそれぞれのステージで『1番になりたい』と思ってずっとやってきた。今の自分が当時の自分に、それを証明できたという気持ちがある。今の身体でよかったと思うし、今の自分が大好きだと思える大会になった」
満を持して世界を驚かせた福永の、頂点を極める挑戦はまだ始まったばかり。この先、どんなキャリアを積み重ねていくのか、注目だ。
写真/吉村もと ・ 文/星野恭子