9月2、3日、スカイホール豊田では「TOYOTA U25日本車いすバスケットボール選手権大会」が行われた。今大会には25歳未満のほか、オーバーエイジ枠として30歳未満で競技歴3年未満の選手が、東北・北海道・東京選抜、関東、甲信越、東海北陸、近畿、九州と6つのブロックごとに結成された選抜チームで出場。加えて10月に女子U25世界選手権を控える女子U25日本代表も特別参加した。優勝は、決勝で東海北陸を55-44で破った関東。MVPには2大会連続で赤石竜我が選出された。フレッシュな顔ぶれとなった今大会、車いすバスケットボールに情熱を燃やす若き選手たちが溌溂としたプレーを披露した。今回はそのうち3選手を紹介する。
バスケ部出身の平山拓臣、同世代の活躍を励みに世界を目指す
1人目は優勝を飾った関東選抜のメンバー、平山拓臣だ。競技歴はまだ1年ほどだが、初めての公式戦として出場した今年1月のU25日本選手権では関東選抜Bの一人としてプレーし、オールスター5に選出。鮮烈なデビューを飾った。
実はもともと健常のバスケットボール選手だったという平山。小学4年生からミニバスを始め、中学、高校とバスケ部に所属した。高校卒業後も会社に勤めながら、地元のクラブチームでプレーを続けるほどバスケ一筋だった。
そんな平井の人生が一変したのは、社会人1年目の9月。交通事故で障がいを負い、車いす生活となったのだ。車いすバスケに出会ったのは、手術後に入所したリハビリ施設でのことだった。
「理学療法士の方に“いろいろなスポーツを体験してみたら?”と言われて、車いすテニスなどもやってみたのですが、どれもしっくりきませんでした。その中でもともとバスケをやってきたわけだし、車いすバスケを本気でやってみようかなと思っていたところ、千葉市長杯を見に行く機会がありました。そしたらすごくレベルが高くて、面白かった。“楽しそうだし、自分もやってみたいな”と思いました」
昨年11月、地元の千葉ホークスに入団。まずは走り込みとチェアスキルを磨くことに専念したという平山。健常のバスケットをやってきたからこそ、“見るのとやるのとではまったく違う”車いすバスケの難しさを感じる日々だったという。もともとスモールフォワードだった平山はシュートには自信があった。ところが、車いすバスケを始めた当初は、ゴール下のシュートでさえ、制止した状態からは届かなかった。そこから徐々にシュートレンジを伸ばしていき、フリースローラインからのシュートが入るようになるまでには半年以上を要した。
「やっぱり僕はオフェンスが好きなので、ゆくゆくは3ポイントシュートも打てるようになって、どこからでも狙えるシューターになりたいです。あとは1対1を仕掛けてドライブで切り込んでいくのも好きでよくやっていたので、そういうプレーもしていきたいなと思っています」
23歳の平山の同世代には、東京2020パラリンピックで銀メダル、男子U23世界選手権で金メダルに輝くなど錚々たるメンバーが顔をそろえる。そんな彼らの存在に、平山は大きな刺激を受けている。
「世界的な大きな大会で結果を残して本当にすごいなと思うと同時に、やっぱり悔しいという気持ちもあります。それを励みにして日々の練習を頑張りたい。そしていつかは僕も日本代表として世界の選手たちとプレーしたいです」
所属する千葉ホークスには、同じクラス1.5では男子日本代表のキャプテンを務める川原凜、そしてクラス1.0には代表活動の経験が豊富な緋田高大や、次世代強化指定選手入りし、今大会ではオールスター5に選出された徳丸煕もいる。チーム内競争は激しく、プレータイムを確保することも容易ではない。だが、間近に代表クラスの選手がいる環境こそ、平山の成長を促し、バスケットマンとしての矜持を駆り立てるはずだ。
健常プレーヤーにも、車いすバスケに並々ならぬ情熱を燃やす選手がいる。18歳、高校3年の和田楯汰だ。実は、物心ついた時から最も身近だったのが車いすバスケだったという和田。「スポーツの中で一番好きなのは、今も昔も車いすバスケ」というほどほれ込んでいる。
その背景には、父親の存在があった。K9長野でプレーする和田泰幸、クラス4.5のハイポインターだ。その父親のプレーが「かっこよくてたまらなかった」という。そして父親の背中を追い、ついに昨年、K9長野に入団した。
一方、中学、高校ではバスケットボール部ではなくバレーボール部に所属していた。それには理由があった。
「バレーボール部に入ったのは単に誘われたからだったのですが、バスケ部にだけは入らないと決めていました。自分は車いすバスケをうまくなりたかったので、変にクセをつけたくなかったんです。だから誘われても断っていました」
やりたかったのは、あくまでも車いすバスケ一択だった。しかし、中学、高校では部活が忙しく、車いすバスケに時間を割くことが難しかった。ようやく今年の夏で部活を引退した和田は今、車いすバスケができる時間が一気に増えた。和田は、そのことが何より嬉しくて仕方ない。
「子どもの時からずっとやりたくてやりたくて仕方なかったので、ようやく思う存分やれるようになって、今めちゃくちゃ楽しいんです。“やっと、きた!”って感じです」
目標は、父親に追いつき、追い越すことだ。
「父がプレーするのを見て、いつも“うわー、かっこいいなぁ”と憧れてきました。その父に、今はぜんぜん勝てません。スピードにしろドリブルにしろ、歯が立たない状態です。それこそ1対1をやると、父の動きが速すぎて視界から消えるんです。“あれ?”と思った瞬間には、もうそこにはいないみたいな。その父をいつか1対1で抜くのが目標です」
高校卒業後は地元の専門学校に通う予定の和田。今後は勉強と両立しながら車いすバスケで青春を謳歌するつもりだ。
10月にタイ・バンコクで開催される女子U25世界選手権に向けてチームの総仕上げの場として今大会に臨んだ女子U25日本代表。チームをけん引するのは、ダブルキャプテンの江口侑里と畠山萌だ。4年前、2019年の前回大会に出場した経験を持つのは2人だけというなか、プレー面ではもちろん、チームの精神的支柱にもなっている。
畠山がチーム最年少の10代で代表デビューをした前回大会、日本は過去最高のベスト4という好成績を残した。しかし3位決定戦で敗れ、最終日まで残った4チームの中で唯一、表彰式では“蚊帳の外”だった。
「4年後は、必ずメダルを取れるように頑張ります」
そう宣言したあの日から4年。江口がすでにA代表デビューを飾った一方で、畠山は人知れず苦しんできた。
「ハイポインターであっても、背も小さいし、スピードがあるわけでもなかったので、自分の役割って何なんだろう、何が自分の仕事なんだろうか、と悩みました。でも、U25の代表活動が再スタートし、侑里と共同キャプテンを務めることになって、引っ張っていく立場の自分が悩んでいる姿を見せれば、年下の子たちに不安を与えてしまうだろうなと思ったんです。だったら、とにかくやれることをやろうと。今の自分がやれることと言ったら、これまで練習してきたことを自信を持って全力でコート上でやるだけだなと。そこで気持ちが固まりました」
今回のU25世界選手権にかける思いの強さは、行動にも表れている。畠山は短大を卒業後、地元の青森県の会社に就職し、車いすバスケの活動も地元のチームで続けてきた。しかし、競技に専念する環境を得るため、今年4月にアスリート雇用の会社に転職。住まいも関東に移し、車いすバスケと向き合う日々を送っている。
「私がこれまで頑張ってこられた一番の原動力は、応援やサポートしてくれる周りの人たちの存在なんです。その人たちにどうやったら感謝の気持ちを伝えられるのだろうかと考えた時に、やっぱり一番の恩返しは車いすバスケで結果を残すことなんじゃないかなと。それでいろいろと考えた結果、練習環境が整っている関東に拠点を移そうと思って転職を決めました。来年以降はどうするかまだわかりません。とにかく今はU25世界選手権でチームの目標でもある金メダルを取ること。それだけしか考えていません。全力を出しきって大会を終えた時に、どういう気持ちが湧き出てくるのか。今後のことはそれ次第で決めようと思っています」
大きな決断した成果はすでに表れている。8月のカナダ遠征では、1対1の強さを発揮。自らドライブで切り込み、レイアップを決めるなどクイックネスを披露した。それは、これまでにはなかった姿だった。
「4年前は自信を持ってプレーすることができませんでした。でも、今は違います。“絶対にできる”という気持ちを持ってコートに立っています。今度こそ自分を信じて、仲間を信じて、思い切りぶつかりたいと思います」
大会史上最多となる10チームが参加するU25世界選手権は、10月3日に開幕する。
写真・ 文/斎藤寿子