投手と打者の両方で世界トップレベルの活躍をする大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手の存在で、アスリートの「二刀流」が注目されるようになった。それは、パラアスリートでも同じだ。2022年の北京パラリンピックの女子アルペンスキーで三つの金メダルを獲得した村岡桃佳選手は、2021年の東京パラリンピックにも陸上女子車いす100メートル(T54)で6位に入賞。村岡選手を含め、北京大会に出場した日本選手29人のうち4人が夏のパラリンピックにも出場した経験がある。一方、スポーツとは異なる分野で二刀流を実践する選手もいる。前川楓選手は、女子陸上走り幅跳びや100メートル(いずれもT63クラス、以下同)として活躍しながら、絵本作家などアーティストとしての活動を両立させている。彼女が目指すものとは。
表紙に描かれている絵本のタイトルは『くうちゃん いってらっしゃい』(白順社)。黄色の背景にワンピースを着た黒犬のくうちゃんが立っている。よく見ると、右の後ろ足は義足だ。ページをめくると、義足ユーザーの一日がくうちゃんというキャラクターを通して説明されている。朝起きると、着替えをして、義足をつけて、友達と出かける。本では、そんな日常が描かれている。
絵本を制作したきっかけは、アスリートとして小中学校で講演した時に、子どもたちから「義足はどうやって付けるの」「お風呂はどうやって入るの」といった質問がたくさん来たことだった。子どもたちが親と一緒に義足のことについて知ることのできる本があればいいなと考えていた時に、「それなら絵本を作ろう!」というアイデアが思いついたという。
2021年12月に出版されると、現役のパラアスリートが義足について絵本を描いたことが評判を呼んだ。特に、前川の出身地である三重県の小学校や保育園、幼稚園から注文が相次いだ。今年8月には続編『くうちゃん うみにいく』も出版。夏休みに家族と一緒に海に出かけたくうちゃんのことが描かれている。
驚くことに、『くうちゃん いってらっしゃい』絵本は同年夏に出場した東京パラリンピックの最終調整と同じ時期に制作されたという。大会直前の追い込みの練習を続けながら、絵を描いた。それでも、大会本番で前川選手は、走り幅跳びで当時の自己ベストに迫る4m23を記録して5位に入賞した。
周囲からは「大会前は陸上に集中した方がいい」との声も出ていた。それでもアスリートとアーティスト活動の両立の道を選んだのには、理由がある。
「一時期、アスリートとしての活動を最優先して、私生活に制限をかけたことがありました。そうしたら、逆に自分のやりたいことが見えなくなってしまったんです。東京パラでメダルを取りたいから、いろんなことを我慢している。毎日の練習は『早く終わってほしい』と思ってしまっていて、そんな自分がショックでした」
「やりたい」と思った時には、すぐに行動に移したくなるタイプだ。逆に、やりたいことをやれなくなってしまうと、強いストレスを感じてしまう。生まれながらにしての表現者であるからこそ、一つの目標のために他のことを我慢することをやめた。それでも、絵本の制作ではかなりの無理をしたようで、当時を振り返ると「めっちゃ大変でした」と笑う。
右足を失ったのは、14歳の時だった。犬の散歩で近所の道を歩いていると、突然、駐車場から車が飛び出してきて向かいの塀との間に挟まれた。運転手がブレーキとアクセルを踏み間違えたのが原因だった。最初は何が起きたか、まったく理解できなかった。自分の周りが血だらけになっているのを見て、事故にあったことにようやく気づいた。
部活動では、バスケットボール部の選手として一週間後に迫っていた大会に向けて練習を重ねていた最中の出来事だった。医師からは「このまま死ぬか、右足を切るしかない」と言われ、切断を決意する。中学生最後の夏は病院で過ごさざるをえなくなった。「最後の大会に出場できなかったことが、本当につらかった」という。
義足をつけるようになったのは、高校1年生になってから。ファンだったバンド「SEKAI NO OWARI」のライブが10月にあることを知り、「松葉杖ではジャンプできない! 義足が必要だ!」と思いたって、夏休みに義足の練習をするために入院したことがきっかけだった。医師からは「2カ月かかる」と言われたが、2週間で歩けるように猛特訓した。その甲斐があってライブに参加でき、久しぶりに右足を使って飛んだり、跳ねたりすることができた。さすがに右足の切断部周辺は血だらけになってしまったが、「あの時は生きていて、一番幸せだった」という。
その後、パラ陸上の大会に誘われて出場すると、義足で走ることの楽しさに目覚めていく。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは女子走り幅跳びで4位、女子100mで7位に入賞した。翌年にロンドンで開催された世界陸上では走り幅跳びで銀メダルを獲得。若手の有望選手として注目されるようになった。
世界のトップクラスと互角に競争できる実力も徐々につけてきた。現在の自己ベストは4m58。ただ、パラリンピックのような大きな国際大会でメダルをとるためには5m前後の跳躍が必要となる。そのために、現在は助走スピードの向上に力を入れている。ただ、今年7月に開催されたパラの世界陸上では4m19で6位。「体調は良かった」と語っていただけに、「自分に対しての悔しさしかない」と悔し涙を流した。助走の速さを、どのようにして距離の長い跳躍に結びつけるかに課題を残した。
世界を見わたすと、アスリートと別の仕事を両立させている選手は珍しくない。視覚障害トライアスロン女子のスサーナ・ロドリゲス選手(スペイン)は、医師として働いている。東京大会で金メダルを獲得したが、大会に出場するまでは、国が募集した新型コロナウイルスの感染対策スタッフに志願し、コロナ患者の支援に従事していた。障害を持ちながらアスリートとして活躍し、さらにスポーツ以外の仕事にも全力をかけている。
前川選手にとって、アスリートとしての活動もアーティストと同じ「表現の場」だという。自らが理想とする跳躍の姿に、いかに近づけていくか。そのためにトレーニングを重ね、たくさんの失敗と小さな成功を繰り返していく。昨年のインタビューでは、こう話していた。
「これからも陸上を続けながら、やりたくなったことは同時にやっていきたい。絵本をつくったのもその一つで、最近は、自分のやっていることが、自分の中で全部合わさっているのを感じています。私の中では、足を切った時の絶望より辛い出来事がその後にたくさん待ち構えていて、その方がもっと大変でした。『死にたい』と思うほどつらいこともたくさんあった。だけど、それがあったから成長できたと思っています」
写真/越智貴雄[カンパラプレス] ・ 文/西岡千史