ゴールボールは視覚がい者のリハビリ用に考案されたパラリンピック特有のチーム球技だ。1チーム3人で対戦し、サッカーゴールに似た相手ゴールに向けてボールを投げ合って得点を競う。
視覚障がいといっても、「見え方」は選手によってさまざま。公平を期すため、ゴールボールでは全員がアイシェード(目隠し)をして、完全に視覚を遮断した上でプレーする。暗闇の中にいる選手の頼りは、「音」。鈴が内蔵され、転がると音が鳴るボールや仲間の声、相手の足音や気配などをヒントに、攻めて、守る。
2012年ロンドンパラリンピックで、日本女子チームは世界の頂点に登りつめた。決勝戦で、王者中国の猛攻を完封し、先制点を守り切っての勝利だった。歓喜の瞬間、日本のセンターにいたのが堅守日本の要、浦田理恵だ。
連覇を狙った2016年リオ大会で日本は、中国に準々決勝で敗れ、5位という結果に終わったが、キャプテンという立場も加わった浦田は、まさに軸となってチームを率いた。その技量やリーダーシップで多くの後輩から、「憧れは浦田さん」と目標にされる存在でもある。
1997年、浦田は網膜に異常が起こる難病の網膜色素変性症を患い、現在は左目を失明、右目の視野もほとんどない。最初に目の異変に気づいたのは20歳の頃。教師を目指し、故郷を出て福岡で学んでいたときだった。
「あれ、なんか見えにくい」
そんな現実を受け止めきれず、最初は見えているふりをした。そのうち、「カフェに行きたいけど、ひとりじゃ行けない」「洋服を買いたいけど、選べない」など、できないことが増えていった。そうして、「子どもの顔が見えない状態で、教師として指導なんてできない」と、長年の夢を諦めた。
家族の後押しを受けて次の道を歩み始め、2004年からは鍼灸・マッサージ師を目指して専門学校に通い始める。ゴールボールと出会ったのは、その年、アテネパラリンピックで日本女子代表が銅メダルを獲得したと伝えるテレビ番組がきっかけだった。
「見えないのに、球技? 世界で戦う?」
ゴールボールは全員がアイシェードを着けてプレーするので、条件は同じ。「目が見えないこと」を言い訳にはできない。
「見えないから仕方ないよね、と限界をつくるのではなく、今の自分自身と向き合い、どこまでやれるのか試してみたい」
そんな前向きな思いが背中を押した。
ゴールボールを始めてすぐの頃は、元々スポーツが苦手だったこともあり、いろいろな壁にぶつかった。例えば、ボールの大きさはバスケットボール大だが、重さは約2倍の1.25kgもあり、最初は両手でしか投げられず、体を張って行なう守備練習では突き指や打撲などケガも絶えなかった。
ゴールボールでは不可欠の「聴く力」も弱かった。ボールの鈴の音は聞こえても、正確な位置までは聞き分けられず、止められない。「センスないなぁ」と落ち込むばかり。「辞めたい」と思ったことは1度や2度じゃなかった。
それでも続けられたのは、「大丈夫。みんな最初はそうだったよ」という仲間たちの言葉のおかげだ。信じて、ただ努力するうちに、数カ月でボールは片手でも投げられるようになり、速いボールでもしっかり止められるようになった。
「努力すれば、やっただけ結果が出る。もっとがんばれば、もっとうまくなれるはず」
可能性を信じて取り組むうちに、ゴールボールの練習が日常生活にも役立つことを実感した。9m×18mのコート内を自由に動けるように、「3m先のラインまでは何歩」「センターの位置まではこの角度に何歩」など繰り返し練習する。おかげで距離感が身につき、外出への恐怖も薄れた。
周囲の音に耳を澄ますクセがついて、近づいてくる人や乗り物などに敏感になり、そのうち、音源と自分の距離感もつかめるようになった。例えば、向かってくる人の足音を聞き、ぶつからずにすれ違うことができたり、落とした物を上手に拾えるようにもなった。
さらに、一度は閉じてしまった世界が、再び開けたようにも感じたという。目が見えなくなってからは余裕がなく、どうしても自分中心の暮らしだったが、チーム競技のゴールボールでは、「仲間は今、どんな状態か」を感じてプレーしなければならない。常に仲間に興味を持ち、気を配ることが社会とのつながりも広げてくれたのだ。
「ゴールボールに出会えたことは本当に大きかった。競技としてもやりがいがあるし、日常生活にもすごく生きています」
ロンドン大会で金メダルを獲得して以降、ゴールボールの知名度も一気に上がり、講演会に呼ばれることも増えた。そこで浦田は、自身の半生を真摯に伝えている。視力を失って諦めたこと、ゴールボールと出会ってできるようになったこと、夢を持つことで、前向きになれたこと……。
「私は才能などない普通の人。普通の人が勝つためには努力しかありません。諦めなければ、絶対にかないます」
金メダリストの力強い言葉に、「勇気をもらった」「私もがんばろうと思います」といった感想がたくさん届く。そのたびに浦田は、「誰かの元気の源やプラスになれた」という手応えを感じ、それがまたつらい練習へのモチベーションにもなるという。
「いい循環をしているなと思います」
次の大きな目標は2020年東京大会での金メダル奪還だ。その前にまず、6人の代表選手に選ばれなくてはならない。後輩たちも成長しているが、「私が目標にされ、追い越されることは、日本チームにとって勝利の第一歩。競争心がなければ、チームは衰退してしまうから。でも、『私だってまだ、絶対に負けないよ』って思っています」
爽やかな笑顔の瞳の奥に、覚悟の炎が見えた気がした。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko 竹藤光市●写真 photo by Takefuji Koichi