パラリンピック3連覇を成し遂げ、ケガから復活したリオでは5個目のメダルを掴み獲った柔道家・藤本聰。「TOUGH」シリーズで格闘技マンガにビッグウェーブを巻き起こす漫画家・猿渡哲也。2人のレジェンドの奇跡の邂逅から、今、「TOUGH」の世界に新しいストーリーが誕生する!!
猿渡 藤本選手は柔道はいつから始めたんですか?
藤本 5歳です。家がラーメン屋をしていて忙しかったので、兄貴と2人で学童保育代わりに放り込まれたんです。
猿渡 視力は子どものときから……。
藤本 はい。先天性なんですよ。今は子どもの頃より視力が悪くなってるんで、左の視力はほぼゼロ、右が0.05ですね。
猿渡 その視力で最初はずっと健常者の中で柔道をやってたんだよね?
藤本 そうです。1993年に徳島と香川で国民体育大会の共同開催が決まっとったんです。小学生の頃からずっと国体に向けた徳島県の強化選手には選ばれとりました。
猿渡 国体はどうだったの?
藤本 純粋に地元出身の選手だけでメンバーを組んで少年男子は優勝しました。ほやけど、補欠でしたから私の手柄とは違いますけどね(笑)。
猿渡 高校までは健常者の中でやって、そのあと視覚障害者柔道に転向したんだよね。
藤本 そうですね。
猿渡 さっきアイマスクして柔道を体験させてもらったけど、見えないことが想像以上に怖かった。相手が何をしてくるかわからないから、腰が引けちゃう。
藤本 一般の人がアイマスクで柔道するとみんなそうなります(笑)。
猿渡 藤本選手は左目の視力はゼロだから、左側から足払いされたら見えないでしょう。
藤本 それがなんとなくわかるんです。前にテレビの企画で検査してもらったんですけど、小脳が普通の人より発達しとって、見えないものをイメージする能力が高いらしいです。
猿渡 試合のとき、対戦相手はどんなイメージなの?
藤本 組むと黒いシルエットみたいなんが、ぶわっと出てくる感じですかね。右足が出てるとか、こう動こうとしているとか、情報は釣り手と引き手から入ってくるんですよ。
猿渡 格闘技やプロレスでいう、組んだ瞬間に相手の強さまでわかるってやつだ!
藤本 そうです。だいたい強さまでわかりますね。でも外国の選手には規格外もおって、背が高くて懐が深い選手に釣り手を伸ばされると、こちらの釣り手が使えんようになるんです。
猿渡 情報が遮断されちゃうわけだ。
藤本 釣り手がスカスカだと、命綱なしで綱渡りしてるようなもんです。猿渡先生がアイマスクで柔道するのと同じで、私も怖いですよ。
猿渡 メダルを5つも見せてもらったけど、パラリンピックはアトランタ、シドニー、アテネと3大会連続金メダル。北京で銀、リオで銅、すごい!
藤本 3連覇まではほとんど背負投げで勝ってました。当時は、なんぼでも研究して対策してきてよって思ってました。相手が重量級でも背負っちゃるって。まぁ、生意気でした(笑)。
猿渡 無敗だったから、そうなるでしょ!
藤本 でも、実際は強くなかったんです。アトランタから3つの金は、中学・高校時代の貯金で獲れたんですよ。ほんで、その貯金を北京で使い果たしました。手首をケガしてどん底に落ちて、手術をくり返しても治らず、ロンドンには出場すらできんかった。
猿渡 ケガは重症だったの?
藤本 背負投げができんようになりました。ほんで、手首に負担がかからない技を身につけようとするんですけど、内股も大外も下手くそで。
猿渡 勝ち続けた分、そこで味わう苦しみも大きくなる……。
藤本 稽古で高校生や大学生にボッコボコに投げられて、ホンマに情けないなと思いました。それでも顔を上げて前に進むしかなかった。
猿渡 そこから這い上がるために、いろいろと新しいことに取り組んだそうだね。
藤本 トレーナーについてもらって、身体作りから見直しました。ギリギリまで追い込んでトレーニングしていく中で、だんだんとメンタルがコントロールできるようになってきたんですね。他にも寝技を磨くために柔術もやるようになりました。ありがたいことに、この柔道バカをいろんな人が支えてくれたんですよ。
猿渡 そんなすべてが昨年のリオで復活の銅メダルにつながったんだね。
藤本 自分の中では一番価値のあるメダルになりましたね。ガッツポーズしそうになったのを我慢しましたよ。
猿渡 えっ!? やっちゃダメなの?
藤本 柔道はやっぱり相手を尊重して互いに高めあうという「自他共栄」の精神ですから、日本人選手はほとんどしないですね。
猿渡 へぇ~、そうなんだ。
猿渡 3連覇をしてた頃の藤本選手と今の藤本選手が闘ったらどちらが勝つかな?
藤本 楽勝で今の私です。今が心技体のバランスが一番いい。心が制御できて、技も増えて、あの頃より効果的なトレーニングしてるからパワーもスタミナも落ちてないです。
猿渡 若い頃に考えていた“強さ”と今の藤本選手の考える“強さ”も変わったのかな。
藤本 若い頃は、投げて投げられてということだけで、心技体の心の部分が欠けていたように思います。
猿渡 ケガを乗り越えたことが大きな財産になった。
藤本 ケガもそうですし、いろんな人との出会いや、そこから学んだ人生経験が柔道をする上での引き出しになってます。自分ひとりだけでは、ここまで強くなれんかったということは強く感じますね。
猿渡 藤本聰はまだまだ強くなれる?
藤本 なれると思います。試合で相手にローキックみたいな足払いされたら、カーッとアタマに血が上りますからね。まだまだ私も修行が足りん(笑)。
猿渡 東京パラでメダルを獲ったら、我慢しきれずにガッツポーズしちゃうかもね(笑)。
藤本 東京パラでだったら、許してもらえるかもしれんですねぇ。
猿渡 これからもっと強くなる藤本選手の活躍と、「TOUGH 番外編 柔の章」をたくさんの方に見てもらいましょう。藤本選手、これからもよろしく。
藤本 こちらこそ、よろしくお願いします!
【PROFILE】
FUJIMOTO SATOSHI
5歳から柔道を始め、高校までは一般の柔道の大会に出場。その後、視覚障害者柔道で驚愕のデビュー。1996年アトランタからシドニー、アテネとパラリンピック3連覇を果たした。北京で銀、リオで銅を獲得。45歳で迎える東京で4つ目の金メダル獲得を目指す!
【DATA】
1975年8月2日徳島県出身
階級:男子66kg級
パラリンピック出場:5回(メダル5個獲得)
『パラリンピックジャンプvol.1 』(集英社)より転載
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構成◎市川光治(光スタジオ) 取材・文◎名古桂士(X-1) 写真◎X-1