学生のかけ声が響く柔道場で、闘志むき出しの高校生に混じり練習に励んでいた廣瀬順子さん。リオパラリンピックの視覚障害者柔道57キロ級で銅メダルに輝いた25歳だ。現在は夫であり、同じくリオパラリンピックに出場した選手兼コーチである悠さんと共に、愛媛県松山市に住み、地元の高校や短大の道場を借りて、週6日練習をしている。
「組み手がポイントの健常者の柔道と違い、視覚障害者柔道は組んだ状態から始めるのでパワー勝負。技のかけ合いも多く、寝技が得意な悠さんにも指導してもらっています。私は根を詰めてマジメに練習しないと不安になるタイプですが、自分のペースで楽しく柔道をする悠さんのおかげで、気持ちも楽に取り組めています。ひとりだとやる気が出ないときも、どちらかが『行くよ!』と引っ張って補い合っている感じです」
小学生から柔道を始め、高校時代は全国大会に出場。ところが大学1年生のときに膠原病を患い視野の大部分を失った。
「ICUに入るなど本当に危険な状態になって。その時に思ったのは、『まだ死にたくない』ということ。アルバイトもしたいし車の運転もしたい。旅行もしたいしカッコイイ男の子とおつきあいもしたかったのに……と、とにかく日常生活でやりたかったことが次々と浮かびました。だから、今は柔道だけにすべてを注ぐのではなく、次に同じことが起きても『ああ、幸せだったな』と思えるくらい、日常を楽しんで後悔のない人生にしたいんです」
その言葉通り、視覚障害者柔道に転向してから出会った夫の悠さんに、廣瀬さんからプロポーズしたというエピソードも!
「元々私は東京、悠さんは愛媛と遠距離恋愛だったので、『なかなか合えないし大変だから別れよう』と言われてしまったんです。でも私は大好きだったので、『距離が問題なら私が愛媛に行くので結婚してください』と電話で伝えました。お互いに障害者同士ということもあり、『考えさせてほしい』と言われたのですが、次の日には『結婚しようか』と言ってくれました」
【視覚障害者柔道とは?】
互いに組んでから試合が開始され、離れた場合は中断して開始位置に戻る。場外規定は基本的に適用しない。区分は障害の程度ではなく体重別で行われ、全盲の選手も弱視の選手も一緒に戦う。ただし世界ランキングに加算されるポイントは障害の程度によって異なる。
(後編につづく)
【プロフィール】
廣瀬順子さん
ひろせ・じゅんこ●1990年10月12日生まれ、山口県出身。視覚障害者柔道57kg級。区分はB3。伊藤忠丸紅鉄鋼に所属。同じく視覚障害者柔道選手である悠さんと2015年に結婚。夫婦で出場した2016年のリオパラリンピックでは同種目で、日本女子初の銅メダルを獲得した。
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取材・文/松山梢 撮影/岩城裕哉 ヘア&メイク/中村 明紀子(HAIR BRAND Jin Tiara)