11月13日から17日まで中国・杭州市で開催された「2023 IBSAゴールボールアジアパシフィック選手権大会」(以下、AP大会)で、女子日本代表がパリパラリンピック出場権を獲得した。16日の準決勝でオーストラリアに8-3で勝ち、中国との決勝戦に進出を決めたことで確定。日本のパラリンピック出場は2004年のアテネ大会から、6大会連続となる。
AP大会はアジア・パシフィック地域のパリ大会への予選会も兼ねて開催され、女子は5カ国が出場した。最終的に優勝した中国にパリ出場権が与えられたが、日本は8月に同じく予選会を兼ね12チームが出場して行われた「2023ワールドゲームズ」で中国に次いで準優勝していたことから、規定により繰り上がりで出場権を獲得した。
AP大会準決勝では第1試合で中国が決勝進出を決めたため、第2試合の日本はオーストラリアに勝てばパリパラ出場が決まることになっていた。試合は日本が終始優勢に進め、前半を3-0で折り返すと、後半は選手を入れ替えながらリードを伸ばし、最後は8-3で勝ち切った。
日本ゴールボール協会を通じて、キャプテンでセンターの高橋利恵子(関彰商事)は、「パリ切符がかかった大事な(AP大会)準決勝で、チーム一丸で臨み、チーム全員が出場し、チームみんなでつないで(切符を)取れたところが何よりも一番、嬉しく思う。パリに向けてようやくスタートラインに立てた。これからの9カ月間、しっかりと強化したい」と、喜びと意気込みを話した。
また、副キャプテンで、大会通算28得点中チーム最多の19得点をたたき出したエースの萩原紀佳(アソウ・ヒューマニーセンター)は、「得点を取って出場権を獲得という、オフェンス型の選手として役割を一つ果たせたかなとホッとしている。パリのスタートラインに立てたばかりなので、ここからまたチームで強くなって、個人としてもさらにレベルアップして、(パリの)金メダルだけを目指してがんばりたい」と力強くコメントした。
AP大会で指揮を執った工藤力也ヘッドコーチは、「選手たちは出場権を獲得するために大会期間中も自分とチームの課題に向き合い苦しみながら前進してくれた。(パリに向けて)自分たちの目標を見据え、本当の喜びを掴むためにこれから目の前に現れる壁を一つひとつ乗り越えていきたい」と力を込めた。
日本女子は開催国枠で出場した東京パラリンピックでは銅メダルを獲得したが、パリ大会出場は予選大会で勝ち抜かねばならず、さらに規定変更で出場国数が10から8カ国に減ったこともあり、その道のりは険しく長かった。だが、苦しみや悔しさをすべて成長の糧にしてきた。
最初の予選大会は昨年12月の世界選手権で、上位2位までに入ればパリ出場権が与えられた。だが、日本は準々決勝で世界ランキングでは格下だった韓国に2-3と惜敗し、逃した。韓国はそのまま決勝まで進み、優勝したトルコとともにパリ切符をつかんだ。中国は出場していなかった。
次のチャンスが8月のワールドゲームズだったが、日本は決勝で中国に3-0で敗れ、またもパリ切符には届かなかった。だが、価値ある準優勝だった。実は準々決勝(対アメリカ)、準決勝(対ブラジル)と2試合連続でエキストラスロー(サッカーのPK戦に似た勝者決定方法)にまでもつれる激闘となったが、いずれも日本がゴールデンゴールを決めて望みをつないだ。苦しみながらも粘り切り、中国と並んで決勝に進出していたことが、結果的にパリへのラストチャンスだったAP大会での歓喜につながったわけだ。
パリ出場権には直接関わる大会ではなかったが、日本はAP大会の前哨戦として10月に同じく中国・杭州で開かれたアジアパラ競技大会に出場した。予選を2位で抜け、準決勝で韓国を下して中国との決勝に進出したが、前半は0-0で折り返すも後半に崩れ、0-5で敗れ、銀メダルだった。
この中国戦後、高橋は「前半はやりたいことができたが、後半は1失点後に粘り切れなかったのが敗因」と悔しさをにじませたが、大会全体を通して選手起用や戦略など、「いろいろな可能性を試しながら、APに向けてどういう風に自分たちが強くなっていくかを確かめられた。この負けを反省して振り返りながら、さらにトレーニングしたい」とAP大会への意気込みを語っていた。チームはこの後、ビザの関係もあり、そのまま中国・杭州に留まって強化合宿を続け、約2週間後のAP大会に臨んだのだ。
パリ切符獲得への日本の戦いを指揮官として見守った市川喬一総監督兼ハイパフォーマンスディレクターは「若い選手にパラリンピック出場権獲得の難しさを経験させられたことは何よりの財産であり、次世代育成の観点からも大変意味がある。今後、ますます選手同士の競争が激しくなり、チームが活性化することを願っている」と、さらなる目標を掲げた。
実際、アジアパラ大会からは新井みなみ(アソウ・ヒューマニーセンター)が、さらにAP大会からは木村由(文京盲学校生)がそれぞれ初の日本代表として加わっていた。新井はアジアパラ大会、AP大会とも得点を決めた一方、守備では課題もあったと振り返り、「いい経験となったので、これからの成長につなげていきたい。自分の得意とする攻撃で、世界のなかで自分の力が通用するかどうかを知れたのは良かった」と手応えを口にした。
木村はAP大会前に「自分の持ち味を生かしたボールで攻撃の一つの力になりたい」と話していたが、目標通り得点も決め、オーストラリアとの準決勝後には、「個人としては課題も残ったが、チーム全員でつないだゲームで、(パリ切符獲得の)その瞬間にコートに立たせてもらい、感謝している。次のステージに向けて攻守の課題をクリアしてもっと強くなりたい」とさらなる成長を誓った。
「予選の苦しさを今、味わっておくことが、来年のパリパラリンピックのメダル獲得には絶対に必要」と日本代表を鼓舞するのは長く第一線で活躍し、東京パラ後に代表活動から引退した浦田理恵さん(総合メディカル)だ。例えば、新井や木村といった若手はもちろん、東京大会でパラリンピックにデビューし、現在はチームの中心である高橋や萩原も開催国枠だったため予選大会は未経験だった。
浦田さんは、「私もパラリンピック4大会に出場したが、右肩上がりでなくアップダウンがあった。勝ち切れない時期もあって、『今のままでは勝てない。次にどうしよう』と考えて工夫し、気持ちの面も含めて強化につなげていった。今の代表選手もいろいろ苦しい時期を味わいながら、パリではきっと飛躍してくれると信じている」とエールを送る。
苦しんだ分だけ、目標を成し遂げたときの喜びは計り知れないはずだ。ゴールボール女子日本代表は最高のエンディングに向け、チームで切磋琢磨を続けていく。
写真/吉村もと・ 文/星野恭子