台上に横たわり、上半身の力だけで重いバーベルを挙げるパラ・パワーリフティングの階級別日本一を決める全日本選手権が12月9日から10日にかけて東京の築地本願寺第二伝道会館(中央区)で行われた。例年は1月か2月に行われるが、今大会はパリパラリンピック出場につながる今年2月のドバイワールドカップ日本代表最終選考会も兼ね、前倒しで実施された。参加標準記録をクリアした男女計30選手が参加し、日本新記録は4つ誕生。自己新をマークした選手も多く、この大会に向け調整してきた選手たちの強い意気込みが感じられる大会となった。
パリパラ出場のためには世界パラ・パワーリフティング連盟(WPPO)設定の標準記録突破に加え、「パスウエイ」と呼ばれる複数の出場必須大会で記録を残さなければならない。これらの条件をクリアした上で、今年6月26日時点の「パリパラ出場ランキング」で各階級8位以内の選手に直接選出枠としてパリの出場権が与えられる(*1)。
2月のドバイW杯もパスウエイの一つであり、日本パラ・パワーリフティング連盟(JPPF)は派遣標準記録として同ランキングで各階級13位相当を設定しており、今大会はドバイへの記録突破の最終チャンスでもあった。
この重要な大会で会場を大きく沸かせた一人は女子79㎏級の田中秩加香だ。第一試技でいきなり87kgを挙げ、日本記録(79㎏)を塗り返ると、第2試技で失敗したドバイの派遣記録92kgを、第3試技で成功させ、特別試技(*2)では95kgも挙げた。パリパラ初出場に、また一歩、近づいた。
先天性の二分脊椎による下肢障害に加え、視覚障害もあるため成否を示すランプは自身では確認できない田中だが、「会場の歓声で成功だと分かった。すごく嬉しかった」と笑顔を見せ、「第3試技は気持ちを強く持ったことが成功につながった」と振り返った。
減量目的で通い始めたスポーツジムでパワーリフティングと出合い、昨春から競技として本格的に始めると急成長。最初は50kg台だった記録が約20カ月で40kg以上も伸びた。「どれだけ伸びるかは分からないが、ここまですごく順調に来れていると思う。ベンチプレスだけでなく筋トレにも取り組み、コーチのメニューを順調にこなせてきたことが成長の要因」と自己分析。「パリまでには100g台に乗せたい」と意気込む。
田中の夫はブラインドサッカー東京パラ代表の田中章仁で、チームは先日、パリパラ出場権を獲得、田中(章)も2大会連続代表入りを目指している。田中は自身の初出場とともに、「夫婦でパリを決められたらいいなと思う」と2024年の大きな目標を口にした。
107㎏級の佐藤和人は順に175㎏、自己新となる182㎏を軽々と挙げ、ドバイ派遣記録の187㎏も成功させた。すべて白3つのパーフェクト試技に、「目標の重量をきっちり挙げられて満足できる結果。練習でも握ったことがない重量で不安もあったが、いざシャフトを握ってみると、あれ、軽いぞと思った」と好調ぶりを見せた。
2013年、勤務中の交通事故で車いす生活になったが、2016年に東京パラリンピックに向けた選手発掘イベントで競技と出会い、2017年2月から本格的に練習を始めた。2年前に階級を97kg級から現107kg級に上げると記録もさらに伸びた。東京パラは惜しくも逃したが、パリ初出場に向け、「ドバイでは190㎏を、(6月の)マンチェスターでは195㎏を挙げ、いつかは200kgを目指したい」と力を込めた。
大堂秀樹80㎏級の大堂秀樹(SMBC日興証券)は163kg、170㎏、180㎏とパーフェクトに成功させ、第4試技で6年間破られていない日本記録(186.5kg)超えを狙って187kgに挑んだが、惜しくも不成功。ドバイ派遣記録(175㎏)は4月に突破済みで、「今日は無理しなくてもよかったが、ぎりぎりの選考でなく、しっかり越えていきたかったし、(日本新の)187kgは挙げたかった」と悔しがった。
北京から3大会連続出場のリオパラ後は右肩の手術など故障や体調不良がつづき、東京パラも逃した。復調の兆しは今年8月。世界選手権後にコロナに罹患したが、回復後から「練習が(結果に)返ってくるようになった」という。今後のパスウエイ2大会で、「いい成績を出し、ランキング8位以内で(パリパラへ)ストレート入りを目指したい」と話した。
「よかったなと思います」と感慨深げに振り返ったのは、145kgを挙げて男子54kg級を制した市川満典(コロンビアスポーツウェアジャパン)だ。4月につくった日本記録(158kg)でドバイの派遣記録も突破済みだが、8月の世界選手権後にフォームをいじったところ背中を痛めた。「ずっと調子が悪かったが、練習で160kgを挙げていたときのフォームに戻した。ここから調子をあげたい」。
2010年に勤務中の事故で車いす生活になったが、2017年から競技を始めると、持ち前の運動能力とボルダリングなどの競技経験でメキメキと力を伸ばした。東京パラは逃したが、「出られなくて、よかった。『まだ早いよ』と言われていた気がしたし、パリを狙うための準備期間が増えたと受け止めている」。前進あるのみだ。
田中の他に3名が日本記録を更新した。59kg級の光瀬智洋(エグゼクティブプロテクション)は第3試技で157㎏を成功させ、自身のもつ日本記録を1kg更新したが、特別試技での160kgは惜しくも失敗。「調子はよく、日本記録はもう少し更新したかった。まだ足りない」と悔しさをにじませた。この日は161kg 成功を目指していたと言うが、第2試技(157kg)、特別試技(160kg)で「胸の止めが短い」という判定により未達に終わった。
8月の世界選手権、10月のアジアパラ競技大会など今年だけで国内外合わせ5大会目だが、「疲労はあるが、体重コントロールが楽で、コンディションはいい。ずっとエンジンがかかった状態」と力強い。145kgの記録で10人中10位だった東京パラ時に比べ、「一つ上のステージに上がり、トップに近づいている実感もあるが、若手が迫ってきている危機感もある。足りないところをどう補うか、地道に課題を一つひとつクリアし、パリパラでは日本人初の表彰台を目指してがんばりたい」と意気込む。
また、男子97kg級の佐藤義隆が171kgの、女子61kg級の龍川崇子(EY Japan)が74kgの日本新記録を樹立した。
JPPFの吉田進強化委員長は、「自己新を出した選手も多く、日本新も出て、いい大会だった」と総括。とくに女子の田中については「視覚障害があるのに重量を怖がらないし、体形も競技向き。あと半年でどこまで伸ばせるか楽しみ」と期待を寄せた。
また、「若い選手が伸びているのが分かって嬉しい」とも話した。なかでも、2017年からスポーツ庁主導で始まり、今は日本パラスポーツ協会が引き継いで実施している新人発掘事業「ジャパンライジングスタープロジェクト(J-star)」出身の選手が多く、結果も出している。以前は選手発掘にも苦労していたそうで、「J-starには助かっている」と話す。
今大会にも多くのJ-star出身選手が出場した。例えば、その一人、柳原愛(アイ工務店)は第3試技で自己新となる59kgを成功させた。優勝した堂森佳南子と成功重量で並んだが、先に挙げたほうが勝ちというルールにより、惜しくも2位だった。「悔しい。1位を取れなかったこともだし、60㎏以上挙げたいと目標を立てていたのに、(第3試技で)挑戦を選ばなかった。自信のなさが出てしまった」と言い、勝敗を決めるルールは知っていたそうだが、堂森の59kg挑戦には気づかず、「無難に1kg下げてしまった。知っていたら、60kgに挑戦していた」と反省を口にした。
1987年生まれの26歳。6年前に転落事故で車いす生活になったが、リハビリ中に競技と出会い、J-starで見出され昨年から本格的に始めたばかりで、全日本は初出場、公式戦も2回目だった。「いろいろ勉強になった。課題はたくさんあるが、一つずつ改善していくのが楽しみ」と前向きで、「無茶苦茶負けず嫌いなので、やるからには1番を目指したい。(2028年の)ロスパラを目指し、年間10㎏くらいずつアップして100㎏を挙げたい。まだまだですけど、自分を信じて頑張りたい」と力を込めた。
なお、同寺での開催は前回(2023年1月)につづいて2回目。「非日常空間での開催で競技普及につなげたい」というJPPFと「開かれた寺」を目指す寺側の思いが重なり、連続開催された。同寺によれば、「前回終了後、多くの方からいい反響があった」という。
今回も有料開催され、2日間で280人が訪れた。音楽や映像などの演出に加え、競技ルールや見どころなどをコンパクトにまとめたPR動画や効果的な応援方法などを紹介する前説も取り入れ、「魅せる工夫」もパワーアップ。応援用ハリセンを手に、「押せ~」といった観客の掛け声も前回以上に響き、選手からは「応援が力になった」と好評だった。
(*1:直接選出枠では1カ国・地域から最大1選手という規定のため、8位以下の選手が繰り上がる。また、この他に推薦枠もあり、男女合わせて180選手の出場枠がある)
(*2:通常は3回の試技中に成功した最重量の記録が採用されるが、特別試技(第4試技)は新記録を狙う時のみ認められる。第3試技後、1分以内に要申請。成功すれば、大会結果に反映されることになった)
写真/小川和行 星野恭子・文/星野恭子