2月24日から25日にかけて、「CO・OP 2024FISパラ・ノルディックスキージャパンカップ白馬大会」が長野県の白馬クロスカントリー競技場(スノーハープ)で開催された。多様な障がいのある選手を対象とするパラ・ノルディックスキーでは国内最高峰の大会で、国内では唯一のFIS(国際スキー連盟)公認大会としてFISポイントも獲得できる。日本代表強化指定選手などトップレベルの選手に加え、育成選手たちも出場し、頂点を競った。
24日にはスプリント1.25kmクラシカルが行われ、23選手が男女もカテゴリーもすべて混合で行う「オールコンバインド」方式によって順位を争った。予選はタイムレースで行われ、計算タイムによる上位12人が準決勝に進出。準決勝は6人ずつの2組で、係数に基づいた時差スタートでレースが行われ、先着した各3人が決勝に駒を進めた。決勝も同じく時差スタートで競われ、2番目にスタートした川除大輝(日立ソリューションズ)が12秒差を逆転して優勝した。2位には先頭から35秒差でスタートした新田佳浩(同)が、3位には1人目でスタートし、川除、新田には交わされたものの、粘りの走りを見せた阿部友里香(同)が入るなど上位6位までをパラリンピアンが占め、貫録を示した。
25日は初日の1.25kmを4周回する5kmフリーが行われ、19選手が男女立位、男子座位に分かれて競い、男子立位は川除が、同座位では森宏明(朝日新聞社)が、女子立位では阿部がそれぞれ優勝した。
2種目を制した川除はスプリントレースについて、「苦手な平地の多いコースなので、平地でも加速することを意識した。もっと接戦になるかと思ったが、思った以上にリードできた。それだけ自分の平地での走りが成長できたかなと思えたレースになった」と手応えを語った。課題とするスケーティング走法で競った5kmフリーでは、「脚をちゃんと引きつけることなどを意識し、効率よく疲れない登りの登り方が最近できるようになってきた」と強化の成果も口にした。昨年4月に大学を卒業して社会人となり練習環境に少し変化があったそうだが、「僕の中でやるべきことは変わらず、『スキーで勝つ』という気持ちで取り組んでいる。ポールを持たない(パラ競技用の)技術の練習が増え、レースに生きているのではと思う」と力を込めた。
北京パラリンピックにつづき、2026年イタリアでのパラリンピック(ミラノ・コルティナダンンペッツォ)でも金メダル獲得が期待されるが、今季はすでにイタリアでのワールドカップで2勝しており、たしかな進化も実感している。同W杯はパラリンピック開催会場ではなかったが、「イタリアの時差や食事を経験できたし、標高など(パラと)似た環境でメダルを獲得できることが証明できた。これからの2年、日本でどう調整するかが大切」と決意を新たに。日本のエースがさらなる高みに向け、大きな1歩を刻んだ。
ベテランの新田は、「(雪質など)コース状況が時間によって変わる難しい条件のレースだった。準決勝ではちょっと余裕をもって滑ることを課題にして滑り、決勝も自分の力を発揮できた」と充実感をにじませた。今年からトレーニング方針を「フィジカル強化から総合的なコンディショニング向上」へと変えたことで、「去年よりレベルアップしていると感じている。今後もスキーだけでなく、(トレールランニングなど)他の競技大会にも出て身体能力を向上させ、パフォーマンスの維持を図っていきたい」と話した。今季はW杯で4位入賞を2回など、「クラシカルに関しては自分の実力がまだ世界に通用することが確認できた。ただ、海外では新人がどんどん出てきているので、もう1段階ベースアップする必要があるかなと思っている」。レジェンドの見据える先も、まだまだ高い。
女子で存在感を示した阿部は昨年4月に第一子を出産後、8月末の合宿から練習に復帰し、今大会がパラのレースとしては復帰2戦目だった。「スピードはまだ戻り切っていない」と話したが、母となり、スキーへのモチベーションは「上がっている」と力強い。3位に入ったスプリントでは、「最初は不安だったが、意外と体が動くなと思い、自信をもって滑ることができた。自分の力をしっかり出し切れて、手応えのあるレースだった」と振り返り、フリー優勝については、「スケーティングは苦手種目だが、雪上練習が少ない中で、この結果までもってこられた点は満足している」とうなずいた。出場すれば自身4回目となる2026年パラリンピックに向けて、「3月中旬の海外遠征で今の立ち位置を把握して、オフシーズンのトレーニングにつなげていきたい」と前を見据えた。
スプリント6位、フリー男子座位優勝の森は「スプリントのファイナル進出は初だったので成長を感じたし、今後、勝ち切るために何が課題かも見えた。(後続に)並ばれたときに粘れず、すぐに抜かれたのは反省点。改善したい」と反省も口にしたが、フリーについては、「昨日と同じコースを4周するレースだったので反省もいかし、1周ごとにロスなく走れるように修正できた」と振り返った。昨年末、腰のヘルニアを発症して調整が遅れたが、回復傾向であり、「今年はいろいろ見直す1年になった。来年また、ブレークしたい」と意気込んだ。
視覚障害の有安諒平 (東急イーライフデザイン・杏林大学)はスプリントで初の決勝進出に、「強化(選手)チームでは競技歴が一番短いが、やっとここに入れるようになった。地道で持久的な練習の継続が結果につながった。今後の大会で表彰台に上れれば」とさらなる目標を口にした。ガイドとしてコンビを組む藤田佑平(スポーツフィールド)は、「僕も決勝は初めての経験だった。二人で試行錯誤し、少しでもベストラインを取りながら、戦略や戦術を使って走れたのは良かった。今後はワールドカップなど(国際大会)で決勝に残れるように頑張りたい」と力を込めた。
今大会は育成選手たちにとっても先輩たちの滑りを間近に体感し、競い合える貴重な機会となった。初日はスプリントレースでベテラン勢に挑み、2日目は育成選手7名が立位、座位、視覚コンバインドの測定レースに臨んだ。その5㎞フリーを制した鈴木剛は先天性の左肘先欠損の27歳。幼い頃からサッカーや水泳に取り組んだが、選手発掘プロジェクト「J-Star」6期生に応募したことをきっかけにクロスカントリースキーを始め、雪上を走ったのも昨年12月が初という新星だ。「スプリントは予選敗退で悔しいし、まだまだ足りない部分はあるが、(フリーで)1位が取れて嬉しい。スケーティングは初めてで練習もしていなかったが、なんとかうまく滑れた」と声を弾ませた。運動経験も豊富で基礎体力には自信があると言い、同じ障がいクラスにはレジェンドの新田がいる。「動画を撮らせてもらったり、質問したりして、早く技術的に追いつけるように頑張りたい。今回の結果に満足せず、さらに上を目指していきたい」と向上心を示した。
鈴木と同じ27歳で、J-Starでも同期という佐藤那奈(丹羽広域事務組合消防本部)も、競技人口の少ない女子座位で可能性を感じさせた一人だ。幼い頃からスポーツ好きだったが、消防士だった2020年3月、趣味のサーフィン中に突然、原因不明の「サーファーズ・ミエロパチー」を発症し、下肢の完全麻痺となった。アルペンスキーやスノーボードの経験はあったが、J-Starに応募して「新しいスポーツに挑戦したい」とクロスカントリースキーを選択。「車いすでは行けないところに行ける」と非日常感に魅力を感じており、今大会では「下りでスピードを怖がっていたが、少しずつ克服できている」と笑顔を見せた。仕事は消防の現場から事務職に異動したが、職場の施設を活用しトレーニングも継続できている。「夢はパラリンピックだが、まだ遠い。先輩たちの指導を受けながら、少しずついろいろな大会に出たい」と着実な成長を誓っていた。
新田は育成選手たちに向け、「下の世代が育っていかないと日本のクロカンチームが循環しない。今大会で強化選手たちと一緒にレースができたことで自分の位置やレベル差を身近で感じたことだろう。来シーズン以降にもつながるように頑張ってもらえればと期待している」とエールを送った。
写真/日本障害者スキー連盟・ 文/星野恭子