昨年10月のパラアイスホッケー世界選手権Bプールで日本代表が全勝優勝を果たし、次季のAプール昇格を決めた。海外の強豪と対峙するなか、5試合で6ゴールと高い得点力で日本チームの勝利に貢献したのが、18歳の伊藤樹(FW)だ。世界選手権初出場ながら大会MVPに選出され、パラアイスホッケー界の次代を担う新星として注目を集めている。
大会後、「非常に楽しかった」とコメントを残した一方で、「もっと決定力を上げたい。ゲームコントロールする力もつけなければ」と課題を口にした伊藤。Bプールとはいえ、世界という高い壁に果敢に挑み、チームでの自分の役割がより明確になった。「これまでの日本は点を取り切れない試合が多かった。それを見てきたから、今はパックが集まる僕がやらなきゃ、と思っています。自分が決定力を上げることが勝利に直結する。エースの自覚? ありますね」
その気持ちが強く芽生えたのが、2年前のことだ。日本代表は北京パラリンピックの最終予選で敗れ、出場を逃した。当時16歳だった伊藤は、年齢制限によってそもそも最終予選には出られなかったのだが、だからこそ悔しさが増した。「人に頼っていてはいけない。勝利は、自分の力でつかみ取らなきゃいけないんだ、と改めて思いました」と、伊藤は当時の心境を語る。
幼稚園生でアイスホッケーを始め、大阪の臨海ジュニアアイスホッケークラブに所属。小学3年の時に練習に向かう途中に交通事故に遭い、車いす生活になった。翌年からパラアイスホッケーを始め、2018年に13歳で日本パラアイスホッケー協会の強化指定選手に選出。同年10月のチェコ遠征で大会デビューを果たした後、チームの中心選手に成長し、現在に至る。
そんな伊藤が影響を受けている人物が、2人いる。ひとりは、伊藤が「師匠」と呼ぶ、2022年から日本代表のハイパフォーマンスディレクターを務める元カナダ代表のブラッドリー・ボーデン氏だ。アメリカと並び屈指の強豪国であるカナダでファーストラインを担った伝説的フォワードで、スレッジコントロールやパックを扱う技術、戦術はもちろんのこと、用具の選択、物事の考え方、ブレないメンタルの在り方など、元選手らなではの目線で指導してくれる。伊藤は「ブラッドは実際にスレッジに乗って教えてくれるので、手探りではなくて、氷の上で目の前の彼から吸収できるのが大きい。ブラッドがいなければスティックも変えていないし、僕のドリブルやフェイクはもっと下手だったと思います」と話す。
そしてもう一人は、アメリカ人のデクラン・ファーマーだ。16歳でソチパラリンピックに出場し、平昌大会、北京大会でもチームを金メダルに導いたアメリカチームの絶対的エースだ。「ファーマーは誰も寄せ付けないくらい、速くて、強い。彼みたいなドリブラーになりたい」と、中学生のころから話していた伊藤。彼への尊敬の念は今も変わらないが、「もう“憧れ”ではなく、“目標”です」と言い切る。
「今、世界のパラアイスホッケーの競技レベルがとても上がっているけれど、その中でもファーマーは絶対に衰えないんです。僕がナンバーワンになるためには、そんな彼の成長スピードに追い付き、追い越さなきゃいけない。周りの選手の何倍もの努力をしなければいけないし、プレッシャーもあるけれど、やらなきゃいけないことだから」
その言葉から、18歳の矜持と覚悟が垣間見える。
伊藤はこれまでにアメリカ代表と公式戦で戦ったことがないが、昨年は北海道・苫小牧で行った日本代表合宿にアメリカ・コロラドのクラブチームの選手数名が来日し、ともにパックを追う機会を得た。そして今年3月下旬に予定している合宿はさらにバージョンアップし、北京パラリンピック金メダリスト8人を含む9人が来日予定で、かのファーマーも参加する見込みだ。ファーマーは生まれつきの両脚欠損で伊藤と障害の種類は異なるが、「(両脚切断ならではの)彼にしかできないプレーもあるから、すべて吸収して自分流に変えていきたい。下手くそだと仲良くしてもらえないので、『おお? 案外やるじゃん』と思ってもらえるように頑張りたい。本当に楽しみ!」と心を躍らす。
世界ランキングのトップ8が集う世界選手権Aプールは、今年5月にカナダ・カルガリーで開かれる予定だ。日本代表がAプールを戦うのは、2019年のチェコ大会以来。Bプール優勝の原動力となった伊藤のプレーは研究・対策されるだろうが、「それを超えて行けばいい。コロナもあってAプールの国とはほとんど試合ができていないけれど、それで不安になるようなレベルのトレーニングはしていません」と力強い。
個人目標は自身が点を取ること、そしてチーム目標は6位以内に入ってAプールに残留すること。そうすれば、2025年の世界選手権もAプールを戦うことができ、さらにそこで5位以内に入れば、ミラノ・コルティナダンペッツォ2026パラリンピックの出場権を獲得することができる。2大会ぶりのパラリンピック出場に向け、まずは今年の世界選手権で結果を出すことに注力する。
伊藤にとって、今年はプライベートでも新たな挑戦の一年となる。今春の高校卒業を前に、2月にストリートアパレルブランドを展開するビーズインターナショナルにパラアスリート社員として入社した。さらに世界選手権後は、アメリカへの留学を予定しているという。「アイスホッケーを始めた幼少期のころから海外でプレーしたいと思っていました。2年後のパラリンピックに出場して、誇れる結果を残したい。そのために、世界ランキング1位のアメリカに留学して、メダル争いができる実力を身につけたいんです」と伊藤。現在のところは、所属企業や奨学金のサポートを受けて語学学校に通いながら、ファーマーと同じコロラドのチームに入ってプレーすることを目標にしており、準備を進めているところだという。
伊藤が描く未来図は、「世界ナンバー1プレーヤーになること」。目の前の扉を開け続け、夢に向かってまっすぐ伸びる道を歩んでいく。18歳の挑戦に、これからも注目していきたい。
写真・文/荒木美晴