3月9日と10日、パリ・パラリンピック水泳日本代表選考会を兼ねる「2024日本パラ水泳春季チャレンジレース」が静岡県富士水泳場(静岡県富士市)で行われた。2日間にわたり、パラリンピックへの切符をかけた手に汗握るレースが繰り広げられ、22名の代表内定選手が決定した。この大会で派遣基準記録を突破することが求められる重圧の中、ベストを尽くした選手たち。大舞台へのチャレンジの裏にあった様々な思いと表情に迫った。
春めいた快晴の富士山を見上げる会場は、その穏やかさを忘れるほどの緊張感に包まれた。今大会は、昨年7月の世界選手権(イギリス・マンチェスター)で獲得したパラリンピック出場枠(男子3、女子1)に、世界パラ水泳連盟からMQS配分獲得枠として日本に与えられた分を加えた、22(男子12、女子10)の出場枠をめぐる戦いとなった。
男子100メートルバタフライには、東京パラリンピックでワンツーフィニッシュを果たした木村敬一と富田宇宙(ともにS11・全盲)が登場。レースは、勢いよくスタートした木村が序盤からリードする泳ぎで1分03秒03をマーク、続く富田も1分03秒99でゴールし、二人揃って内定を獲得した。
東京大会で悲願のパラリンピック金メダルを獲得した木村は、「同じことをやって(パリで)金メダルを獲ろうとは思っていない」と語っており、昨年から、オリンピック競泳メダリスト・星奈津美さんの指導を受け、バタフライのフォーム改善に努めている。
「自分の知らなかった世界や新しいことをたくさん知ることができた。長く水泳を続けてきたが、まだまだこんなに知らないことがあるんだと、楽しむことができた一年だった」と話したが、現状に満足はしていない。「まだまだ自分のバタフライの技術力は(目標とするレベルに)及んでいない。しっかり磨き上げて、もう一度世界で戦えるような泳ぎを作ってパリに臨みたい」と、さらなる高みを目指す覚悟を見せた。
一方の富田は、過度の練習により大会前週に体調を崩し、レースの2、3日前にようやく回復の兆しが見えて、なんとかスタート台に立った。年始からスペインで調整を行い、コーチと「泳ぎがよくなった」と話していただけに、思い描いていたパフォーマンスが出せず悔しさの残る大会となった。
1日目に行われた400メートル自由形では「派遣A基準記録」(※)に1秒24届かず、「派遣B基準記録」(※)を切るタイムで終えた富田。2日目のバタフライで「派遣A」をクリアし、「派遣Aのタイムを突破するのが、パラリンピックでメダルに関わる最低ラインになるので、まずはほっとしている」と、安堵の表情を浮かべた。(※「派遣A基準記録」とは「パラリンピックでのメダル獲得を想定し設定されたタイム 」で、「派遣B基準記録」は「パラリンピックでの入賞を想定し設定されたタイム」。今選考会で「派遣A」を突破した選手は、その時点で内定が確定した)。
5か月後に控えるパラリンピック本番に向けては、「同じクラスで世界のトップを争う仲間(木村)がいるというのは、ありがたいこと。パリに向けて切磋琢磨し、また2人で『頂(いただき)』を目指してがんばっていきたい」と力強く語った。
張り詰めた会場の空気を一変させる泳ぎを見せたのは、窪田幸太(S8・運動機能障がい)だ。1日目に行われた、男子100メートル背泳ぎ。この1種目のみにエントリーした窪田は、失格しないように、ミスをしないように…と、いろいろな考えが頭をめぐり緊張したという。この富士水泳場は2年前に自己ベストを更新した良い思い出があるプール。その時の泳ぎを再現しようと、当時の映像を見てレースに臨んだ。窪田は前半から積極的な泳ぎでレースを展開し1分07秒41でゴール。その時点で内定が確定する「派遣A」のタイムを突破し、今大会での内定第1号となった。
レース後、笑顔を見せ「ほっとしてます」と語った窪田。東京パラリンピック後に泳ぎを変え、「両脚でキックをする部分を入れたことによって楽に推進力を得られている」と話す。加えて、後半の持久力の強化にも取り組んでいる。
自身初のパラリンピックとなった東京大会は決勝レースに残ることが目標だったが、昨年の世界選手権ではこの種目で銀メダルを獲得、パリで目指すのは“メダル獲得”だ。「1分04秒台が出れば金メダルは堅いと思う。パラリンピックまでに6秒台、5秒台と徐々に上げて、メダル争いにしっかり食い込んでいきたい」と、明るい表情で語った。
女子では、100メートル平泳ぎに出場した宇津木美都(SB8・運動機能障がい)が7年ぶりに自己ベストを更新し、パリへの切符を手にした。「中学3年生のとき以来の自己ベストが出せてすごくうれしい。(ライバルの)福田果音選手に取られていたアジア記録を塗り替えることができてうれしい」と声を弾ませた。
デッドヒートを繰り広げた宇津木と福田。50メートルを先に折り返した宇津木は、最後まで福田にリードを譲らなかった。1分25秒23のアジア新記録が電光掲示板に映し出されると、笑顔があふれた。
「1月に出場した試合での課題を分析し、健常者のトップ選手の映像を見て自分の泳ぎに生かしながら水泳に対して真面目に取り組んだ。2月頃から短水路の大会でベストを順調に更新していたので、この選考会には自信が7割、緊張が3割という状態で臨めた。分析と結果で自信を積めたのがこの記録につながった」。持ち前の明るさとポジティブさで、東京に続き2度目となるパラリンピックの舞台に向かう。
会場に響き渡る声援を力に変え、自身初となるパラリンピック日本代表に内定したのは、17歳の木下あいら(SM14・知的障がい)だ。パリ大会の出場権がかかる今大会を、大きな緊張で迎えた。大会1日目に出場した200メートル自由形では思うような泳ぎができず、「いつも通りの泳ぎができるように、焦らないように」と自分に言い聞かせ、2日目のレースに臨んだ。
昨年の世界選手権で銀メダルを獲得した200メートル個人メドレー。スタート前に名前がコールされると、客席に木下の顔写真入りの応援うちわがパタパタと舞い、熱のこもった応援団の声がプールに届けられた。木下は集中力を高め、最初のバタフライから力強い泳ぎを見せる。「あいら!あいら!」の声がこだまする中、背泳ぎ、平泳ぎと着実にレースを進め、得意とする自由形では大きく水をかきながらグングンとゴールに向かった。2分25秒92。「派遣A基準記録」を突破したことがアナウンスされると、会場は拍手と歓声に包まれた。
「目標としていたタイムをきることができて、ほっとしました。うれしいです」と白い歯を見せ、はにかんだ木下。「これからもっと強化して、タイムをもっと上げて、いい色のメダルを獲れるようにしたい」。初めて出場するパラリンピックに向け、元気よく意気込みを語った。
緊張感ただよう2日間の全レースを終え、パリ・パラリンピック水泳日本代表に内定した22名(保留を含む)が発表された(下欄)。記録を突破して喜ぶ笑顔、目標に届かず溢れ出た悔し涙、ライバルだからこそ分かり合える仲間への思い…さまざまな表情と感情に満ちた代表選考会となった。
この夏、トビウオパラジャパンの誇りを胸に、パリの大舞台に挑むスイマーたちの活躍に期待だ。
山口 尚秀 SB14(知的障がい)
鈴木 孝幸 S4(運動機能障がい)
窪田 幸太 S8(運動機能障がい)
木村 敬一 S11(視覚障がい)
富田 宇宙 S11(視覚障がい)
荻原 虎太郎 S8(運動機能障がい)
日向 楓 S5(運動機能障がい)
田中 映伍 S5(運動機能障がい)★
南井 瑛翔 SM10(運動機能障がい)
村上 舜也 S14(知的障がい)★
川渕 大耀 S9(運動機能障がい)★
宇津木 美都 SB8(運動機能障がい)
木下 あいら SM14(知的障がい)★
石浦 智美 S11(視覚障がい)
芹澤 美希香 SB14(知的障がい)
小野 智華子 S11(視覚障がい)
西田 杏 S7(運動機能障がい)
由井 真緒里 SM5(運動機能障がい)
福井 香澄 S14(知的障がい)
(保留)※
齋藤 元希 S13(視覚障がい)
辻内 彩野 S13(視覚障がい)
福田 果音 SB8(運動機能障がい)★
※2024年3日20日時点。保留扱いの選手は、6月30日までに国際クラス分け等のパリ・パラリンピック出場資格を満たせば内定となる。
★は、パラリンピック初出場
写真/SportsPressJP ・ 文/張 理恵