日曜の朝、荒川の支流で黙々とパドルをこぐ。サングラスをはずすと人懐っこい笑顔がこぼれた。リオ、東京と2大会連続でパラリンピックに出場、昨年の杭州アジアパラ大会では銀メダルを獲得したパラカヌーの瀬立モニカ選手だ。
河川が多く水上競技がさかんな江東区出身。中学の部活動でカヌーをしていたが、高校1年生の時に体育の授業で怪我をして車いす生活に。その後、東京でのパラリンピック開催決定がパラカヌーとの出会いとなった。「“江東区在住で、カヌー経験者で、若い”。三拍子揃った選手がいるっていうので誘われました。“早い・安い・うまい”、みたいな(笑)」
「カヌーで川に浮いていたら、障害があるとは誰にもわからないので、普通に怒られたり励まされたりする。先入観なくみんなが声かけてくれるのがすごく嬉しいです。一人の競技者として見てもらえているっていうところが嬉しいですね。カヌーそのものの楽しさは、純粋に自分が強くなっていくこと。状況によって、向かい風、追い風でタイムが変わってくる中で自分の記録を更新していく、いい漕ぎを追い求めていくというのは、最高に楽しいです」
みるみる頭角を現し日本代表に入り、メダル獲得を目標に臨んだ東京パラリンピックは7位。リオ大会より1つ順位を上げたが、満足のいく結果ではなかった。その後左腕を負傷し、手術も経験した。カヌーをやめようかと悩んだことも。
「東京大会までは、自分が生きていくモチベーションが“東京大会での活躍”だったので、カヌーをやらない理由が見つからなかったんです。みんなが東京オリンピック・パラリンピックに向けて盛り上がっていて、その流れにのっていたので、そこから出る必要がなかったんですよね。だけど、東京が終わって、大学に戻って勉強したり、怪我をしてカヌーができない時期があったりして、カヌーを引退してもいいという選択肢が生まれた。もう競技に戻れないんじゃないかっていう思いもあってけっこう悩みました。でも、カヌー以外でも楽しいことを見つけて、カヌーに毎日乗らなくても『あっ自分の人生は楽しい』ってわかった上で、それでもやっぱりカヌーをやりたい、強くなりたいと思えたのが、ひとつ成長というか、東京大会との大きな違いかなと思います」
手術を経て、新たな気持ちで競技に向き合った。「昨年、腕の手術が終わって、自分の手が自分のものになったときに『これでようやく頑張れる。カヌーを頑張れる環境を与えてもらった』って思いました。悩んでいた間にも、競技復帰に向けてサポートしてくれた人たちがたくさんいましたし、この環境を自分で生かしたい、と。コーチの存在も大きいです。西(明美)コーチとカヌーやるのが楽しい(笑)。自分が漕いでる時に『船伸びてるなー、船進んでるな』って思う感覚と、コーチが『いいね!』と言ってくれるのが一致することが多くて」
「東京大会では、自分でコントロールできないことに対して不安になっていました。スピード競技って、自分が100%の実力を出せたとしても、相手が速ければ、相手が勝つし、相手が自分より遅ければ、自分が勝つ、すごくシンプルなんです。相手がどれぐらいのタイムで漕いでくるのか、自分が何位か、そこは自分でどうにもできないんですよ。なのに、あぁ予選ビリだった、ダイレクトで決勝行けなかった、どうしよう、ってそこに対して緊張してしまっていました」
コントロールしきれなかったメンタル。解決のヒントをくれたのは、同じく水上で0.01秒差にしのぎを削るアスリートだった。「先日、競泳の大橋悠依さんとオリンピックの日本代表が決まるときの話になって、上位3人が0.04秒差の中にいて、みんなオリンピックに行きたいし、実力も拮抗している。『その時、何が勝敗を分けると思う?』って。すごくビビッとときたのが、“自滅しないこと”。レースはシンプルなのに、泳ぐ前に『思い描いたレースができない』って思い悩んでどんどん自爆していったらもう確実に負けると。自滅しないで自爆しないで、やることをやっていくことが、一番勝利につながる近道なんだ、という話を聞いたときに、すごく心に響きました」
大橋選手とは手術後のリハビリ中にトレーニングセンターで出会った。「水泳とカヌーは似ていて、タイム競技だし、ルールも大体同じだし、漕ぐスキルも一緒。道具が挟んでるか、挟んでないかというところの違いぐらいです。泳ぎ、漕ぎに対する考え方が、あーなるほどねと思える部分がたくさんあって、それを惜しみなく話してくれるんです。ふざけてるときの顔と、競技の話になった瞬間の顔が全然違うのも面白くて大好きです(笑)」
「今、パリに向けて自分の“軸”を作りたいと思っています。以前はインタビューもスラスラ流暢に答えられたけど、それは、期待されている答えを反射的にしゃべっている感じでした。でも今、東京が終わって色々あって、それでもカヌーを選びました、っていうときに、自分の胸の真ん中に“軸”がなくちゃいけない。人の理想像に合わせるんじゃなくて、自分の中の基準をしっかり持って、よい自分も悪い自分もちゃんと外に出せるようにって。何を基準にって言われると難しいけど、自分にとって、幸せか幸せじゃないかというところかなと思います」
「今、幸せかどうかって言ったら、もう、日々の中は幸せじゃない方が多いです。怪我もあったし、他のいろいろなこととかも大変なときの方が多いですね。ちょっと整合性はないけど、それがリアルのかなって思います。でも自分にできることをやり切りたい。パリの目標は、レースで自分の力を出し切るっていうこと。今までやりきったなと思えるレースは数えるほどしかないので、やりきった、出し切れた、というレースができたら、一つ自分が満足できるのかな。自分ができる最大限―――100%は絶対無理なんです、だけど100%に限りなく近い準備をして大会に臨むことが、私達ができることなので、それを確実に、正確にやることが一番大切だなと思っています」
考えながら言葉を選ぶようになった。そして自分の“軸”で選んだ「パリへの道」をまっすぐに進む。
【瀬立モニカ】
せりゅう もにか●1997年11月17日生まれ、東京都江東区出身。水泳など様々なスポーツを経て中学から江東区カヌー部に所属。東京国体を目指したが、高校1年の体育の授業中の事故で、両下肢・体幹機能障害に。高校2年からパラカヌーを始め、パラカヌーが初めて採用された2016年のリオパラリンピックで8位入賞。2019年世界選手権で5位、東京パラリンピックで7位。パラマウントベッド株式会社に所属。
【越智貴雄】
おち たかお●1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、これまで夏・冬、11度のパラリンピックを撮影。2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと社会を「近づける」活動を展開中。
写真/越智貴雄[カンパラプレス]