1月12~20日、タイ・バンコクで開催された車いすバスケットボールのアジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)。予選プールを3位で通過した男子日本代表は、準々決勝ではタイに圧勝し、順当に4強入りを果たした。しかし、最大のヤマ場とされた準決勝でイランに63-48で敗れ、アジアオセアニアゾーンに振り分けられたわずか1枚のパリ行きの切符を掴むことはできなかった。さらに同じく1枠しかなかった4月の世界最終予選への道も断たれ、1976年トロント大会から続いたパラリンピックの連続出場記録は12で途切れた。厳しい現実を突き付けられた男子日本代表の戦いを改めて振り返り、今後への道を模索する。
大会8日目の19日、ついに大一番の時が訪れた。負ければパリへの道が完全に閉ざされるという準決勝。オーストラリア、イラン、韓国、そして日本の4強が順当に勝ちあがってきていた。
日本の対戦相手は、世界選手権3位の強敵イランとなった。昨年10月のアジアパラ競技大会では同じく準決勝で対戦し、日本が競り勝った。だが、このAOCの予選プールでは65-74で敗れていた。
迎えた準決勝、1Qは16-23とリードを奪われるも、2Qの10分間では10-2と日本が攻防にわたって主導権を握り、26-25と1点をリード。試合を振り出しに戻して、後半を迎えた。ところが3Q、イランが序盤の3分で4連続得点。その間、日本は無得点に終わり、一気に流れはイランへと傾いた。その後もイランの勢いを止めることができずに48-63で敗退。パラリンピック2大会連続でのメダル獲得への挑戦は早くも終焉を迎えた。
勝敗を分けたのは、やはり3Qの出だしと考えられた。それは、4日前に行われた予選プールでの一戦を彷彿させるものだった。予選プール第3戦で迎えたイラン戦。1Qでイランにわずかばかりのリードを許した日本は、2Qではイランのスコアを上回り、33-34と1点差で前半を終えていた。ところが、3Qでイランが大量得点を奪い、一気に流れを引き寄せたのだ。
この3Qで最もスコアが大きく動いたのは、後半の5分間だった。5連続得点を叩き出し、3ポイントシュートも3本決めるなど、イランの怒涛の攻撃が続いたのだ。
しかし京谷和幸ヘッドコーチ(HC)が最大の敗因に挙げていたのは、出だしで連続得点を奪われた時間帯だった。「(ハーフタイム明けの)3Qの入りが全体の流れをつくる。そのなかでどちらが先に得点するかとなった時に、この試合ではイランだった。そこで悪い流れを作ってしまったことが最大の要因」
その同じ轍を、日本は準決勝で踏んでしまったのだ。
男子日本代表がパラリンピックの予選で敗れ、本戦への出場を逃したのは史上初めてのこと。それだけに選手たちが受けた衝撃ははかり知れないほど大きかったに違いない。翌日の3位決定戦は「最後までしっかりと戦おう」と誓って臨んだものの、やはりどこかいつもとは違って見えた。選手たちは必死に気持ちを高め、ベンチも盛り上げようと努めていたが、どうしても歯車が合わずにもがき苦しんでいたように感じられた。結果は4位。日本に突き付けられた現実は、過去最大と言っても過言ではないほど過酷なものとなった。
今大会、日本は予選プールから最大のライバルであるイランとオーストラリアに敗れている。しかし、いずれの試合も内容的には指揮官のプラン通りで、負けられない決勝トーナメントに向けて感触は非常に良かった。傍目からもチームは大会期間中にもステップアップしていることが見て取れた。
決勝トーナメントに入って以降も準決勝の前半までは、ほぼ完璧だった。ところが、3Qの出だしで筆者は同大会で初めて嫌な予感がしていた。気がかりだったのは、課題とされてきたシュート成功率よりも、むしろ日本が最大の強みとしてきたディフェンスにあった。
攻防にわたってイランを圧倒し、流れをつかんだ2Qのラインナップは、フラットやフィスト(プレス)、あるいはフィストパワーと、いずれもフロントコートで相手の動きを止め、ペイントエリアでの攻撃の時間を削るディフェンスがほぼ完璧に機能していた。そのため、イランはインサイドでボールを持つことができず、わずか2得点にとどまった。
一方、1Qはレギュラーとゾーンプレスの2アップを併用。5人もしくは3人がバックコートに戻り、ペイントエリアを守ることに重きを置いたディフェンスだ。しかし、インサイドを攻められるシーンが多くあり、この日のイランには機能していないように感じられていた。3Qは、その1Qと同じディフェンスでのスタートだったのだ。
すると、多くの場合は杞憂に終わる“嫌な予感”はこの日に限って的中してしまった。わずか2分半で3連続得点を奪われ、1点リードが5点ビハインドと流れが一気に変わってしまったのだ。
すぐに日本は2Qのラインナップを投入し、ディフェンスも変更した。しかし直後に4連続目の得点を挙げられ、7点差に。結局、その点差を縮められないまま32-39で4Qを迎えた時には、イランはすっかり勢いに乗ってしまっていた。その後、レギュラーとゾーンプレスをしなかったことからも、この日のイランにはやはり機能していなかったことがわかる。3Qの最初のディフェンスが、勝敗を分けた一つのポイントとなったことは間違いないだろう。
ただ、今大会を現地で取材した数少ない記者として言いたいのは、日本が決して弱かったわけではないということだ。それでもアジアオセアニアゾーンのレベルも上がっており、厳しさが増していることは間違いない。ほんの一瞬のミスが命取りになり、勝敗を分けるのだ。さらにパラリンピックの出場枠が12から8に激減したこともあり、今後はより過酷な状況となることは容易に想像ができる。“世界”の前に、まずはアジアオセアニアで勝ち抜くことが難しくなっているのだ。
日本は、この現状をどう打破していくのか。5年後に世界最高峰の舞台へのカムバックを果たすため、新たな戦いの幕が上がるーー。
写真・ 文/斎藤寿子