13歳での初出場以来4大会に渡ってパラリンピックで活躍し続けている水泳の山田拓朗選手。ここでは、3月号の本誌ではお伝えしきれなかった内容をあらためてご紹介。メンズノンノモデル守屋光治が、日本屈指の経験をほこるパラリンピアンの秘めたる思いに迫ります!
守屋 山田選手は3歳で水泳を始められて、13歳の若さでアテネパラリンピックに出場されています。
山田 まだ中学校1年生だったこともあって、アテネの時は全然実感が湧かなかったですね。自分のレベルが世界に通用するとも思っていませんでした。実際、出場したレースは全て予選落ちしましたし、ただ出場しただけという印象。それでも大会の雰囲気や選手たちの表情から他の大会とは違う迫力を感じましたし、日本の代表に選んでいただいたことに対する喜びもありました。
守屋 その後も北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続で出場されて、リオでは50m自由形で銅メダル! そんなここまでの選手生活を振り返ってみて、人よりも速く泳げた要因はどこにあったと思いますか?
山田 スイミングスクール時代、他の同年代の子たちがどういう思いで通っていたかはわかりませんが、僕自身はとにかく早く進級したい、早く新しい泳ぎを教わりたい、そしてそのためには今練習している課題を早くクリアしなければいけない。そういうふうに常に考えて、上を目指しているうちに自然とレベルアップしていったように思います。
守屋 当時から今も変わらず、ほぼ毎日水泳漬けかと思いますが、「今日はちょっとプールに入りたくないなぁ」なんて思うこともあるのでしょうか。
山田 もちろんありますよ。というかほぼ毎日です(笑)。練習は基本的に辛いものですし、決して楽しいことではないですから。僕はどちらかというと、オリンピックやパラリンピックを目指しているような選手の中では、それほど気持ちを高ぶらせて練習に向き合っている方ではないと思っています。
守屋 パラリンピックに4大会も出られているのでそんなことはないと思いますけれど(笑)。長くモチベーションを保つ秘訣などはあるのでしょうか。
山田 細かく、毎日毎日を比較すればモチベーションの差というのはもちろん出てきますが、目標自体がぶれたことはないです。こだわっているとすれば、気持ちを入れすぎないようにしていることでしょうか。あまり体調が良くなかったり、気持ちが乗らない時は無理をしない。そうやってある程度、自然の流れに身を任せてゆるく向き合う方が自分には合っているなと思いますし、そのおかげで変なストレスを感じずに長く泳ぐことを続けているのかなと。トップアスリートを目指すためには多少のストレスやプレッシャーは必要ですが、根を詰めすぎて泳ぐことが嫌になってしまうとそこから先には行けなくなるので。そういう意味でも自分の中でオンとオフはしっかり切り替えるようにしています。
守屋 そこにはご自身なりのルールがあるのでしょうか。
山田 そんなたいしたものはないですが(笑)、水泳の練習は日常の習慣として、それ以外の時間は、特別なことをするわけでもないのですが、僕はアクティブな方ではないので家でボーッとテレビを見てるくらいがちょうどいいというか。あとは、まだまだ始めたばかりですが最近はゴルフが好きです。
守屋 NTTドコモに所属されて、平日は普通にお仕事もされているんですよね。
山田 はい。仕事がある日は午後2時くらいまで働いて、夕方から練習です。仕事をしながらアスリート活動をしていくというのは僕にとってすごく大事。一生現役選手でいられるわけではないですから。それにスポーツの世界にずっといると、世の中がスポーツを中心に回っているような錯覚に陥りがち。だから普段はスポーツが中心ではない中で仕事をし、会話をすることで、外からもスポーツを捉えるようにもしています。そこから自分が何をやらなきゃいけないのかがなんとなく見えてくることもあるんですよ。
守屋 2020年の東京パラリンピックはもちろん、前回のリオ以上の結果を目指されていると思いますが、意気込みをお願いします。
山田 リオで銅メダルを取った時、もちろんうれしかったのですが涙を流すほどではなかった。もちろん当時はこれ以上はやれないというパフォーマンスを出したつもりではいましたけれど、ここで終わったら後悔すると思いましたし、まだ速くなれるだろうというのはすぐに感じることができました。本当はリオで金メダルを取って、全てを出し切れたと思えればよかったんですけど(笑)。銅メダルだったということで、次の東京でしっかり決めたいですね。
守屋 最後に、2020年以降のビジョンについてもうかがえますか?
山田 今はまだ現役なので、まずは東京で出し切るために自分がやらなければいけないことを全てやるということ。それができた時に、将来自分に何ができると思えるか。片腕で生まれて、でもこれだけ長く水泳をやれてきて、というようにわりと特殊な人生を歩んで来られているなとは思うので、その経験を生かせるようなことをしたいなとは考えています。具体的にそれが何かというのは見えていないですが、僕にしかやれないことをやっていきたいと思っています。
【プロフィール】
山田拓朗さん
やまだ・たくろう●1991年4月12日、兵庫県出身。生まれつき左腕のひじから先がない左先天性前腕亡失。3歳から水泳を始め、2004年アテネパラリンピックに日本人選手史上最年少の13歳で出場。その後も08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと4大会連続でパラリンピックに出場し、リオでは男子50m自由形S9クラスで銅メダルを獲得。筑波大学を経て、14年からNTTドコモに所属。
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Photos:Teppei Hoshida Composition & Text:Kai Tokuhara Cooperation:Rikkyo University