8月28日に開幕するパリ2024パラリンピック。4回めの世界最高峰の舞台に挑むパラ陸上・髙桑早生(T64/切断・機能障害)は、100mと走り幅跳びに出場する。前回の東京2020パラリンピックの直後は心身ともに疲弊した状態で、結果も出ない苦しい日々が続いた。さらに昨年の世界選手権では、初めて日本代表から落選するという苦い経験も味わった。しかし、髙桑はそうした日々を無駄にすることなく、プラスへと転じて来た。「あの時があったからこそ、今がある」――。そう語る髙桑は今、進化の時を迎えつつある。
「もう一度、この舞台に挑みたい……」。 3年前、髙桑はそう思いながら世界最高峰の舞台を後にした。2021年夏、1年延期となって開催された東京2020パラリンピック。12年ロンドン、16年リオデジャネイロに続いて3大会連続での出場を果たした髙桑は、その時の精一杯のパフォーマンスを発揮したという自負はあった。ただ、自分の中に“納得”や“満足”といった気持ちはほとんど残らなかったという。
「チャンスがあるなら、次のパリ大会に出場したい」その気持ちは、ごく自然に髙桑の中に芽生えた。
「私にはどこで競技生活を終わらせようという線引きの概念はなくて、年齢で競技生活に終止符を打つつもりもありません。ただこの先、引退を考えるとすれば、自分が何かを成し遂げられたと感じた時なのかなと。そういう意味で改めて思ったのは、自分はまだ何も成し遂げられていないということ。だからパリを目指すのは、アスリートである自分にとってはごく自然なことでした」
そしてもう一つ、髙桑にはまだまだトップアスリートであり続けなければならないと思う理由がある。「これまで日本では私のクラス(T64)の女子選手は、(谷)真海さん、(中西)麻耶さんが牽引してくれて、私がその後に続くという形で継承しながら、日本のレベルを底上げしてきました。自分もその一員としての自負があるなかで、私の下の世代を見ると、ほかのクラスと比べても、まだまだ世界で戦うレベルには育ってきていないというのが実情だと思います。そういうなかで、自分がやめるわけにはいかないなと。女子T64の中に日本選手も健在であることを証明するためにも、自分が世界の舞台に立つことは大きな意味があると思っています」
ただ、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。なかでも東京パラリンピックの翌年、22年のシーズンはなかなかモチベーションが上がらず、結果もふるわない苦しい日々が続いた。
「パリへの気持ちにブレは生じなかったですし、方向性はしっかりとかたまっていたんです。ただ今思えば、少し疲れていたのかなと。その頃はコロナでまだまだ規制もありましたし、世界情勢も不安定になっていく中で、いろいろなことを考えなければならなかった。そういう状況に心身ともに疲れ果ててしまって、やることはやってはいましたが、ちょっと中身が空っぽというか、少し惰性でやっていた1年だったなと思います。義足の調整がうまくいかず、100mで結果が出ないことにイライラもしていましたし、走り幅跳びに関しては一度も試合に出場しませんでした。でも、あの1年は自分を見つめ直すために必要だったのだと思います。あの時間があったからこそ、今があるのだと思います」
転機となったのは、23年3月に行われたドバイグランプリへの出場を決めたことだった。丸3年ぶりに海外に渡航し、国際レースで走るということで髙桑は久々に心躍るような感覚に包まれた。そして実際、ドバイのレースに出たことが、疲れ果てた心をリフレッシュさせ、頭をリセットするのに十分な効果があった。
とはいえ、厳しい状況から抜け出したわけではなかった。結局、100mと走り幅跳びのいずれも望んだ結果を出すことはできず、同年7月の世界選手権は出場することがかなわなかった。それは12年ロンドンパラリンピックで代表デビューして以来、初めての落選だった。
しかし、その結果に以前のような苛立ちや不安といった気持ちはほとんど起こらなかった。それは成長の証でもあった。「疲弊してすぐにイライラしていた22年シーズンは、自分を見つめ直す時間でもありました。“結局、私は何をしたいんだろう?”“何に対して楽しいとか嬉しいとか感じる人間なんだろう?”みたいなことをずっと考えていたんです。そういうなかで、自分が本当に大事にしたいものがわかったおかげで、それに集中すればいいんだって思えるようになりました。余計な部分をそぎ落としたという感じ。それまでは自分のことでなかったとしても、ちょっとしたことが気になって、それを全部受け止めちゃうから気持ちがボロボロになっていました。でも、昨年からはいろいろなことにすごく大らかな気持ちでいられるようになりました」
もちろん世界選手権の代表落選に、ショックを受けなかったわけではなかっただろう。しかし、髙桑はそのことさえもプラスに転じるまでに成長を遂げていたのだ。
「世界選手権に出られないとわかって、実は夏休みを取って姉と一緒に海外旅行に行ったんです。それがまたいいリフレッシュになりました。もちろん世界選手権に行けていたら、それはそれで得られるものはあったと思います。でも、もしかしたらさらに疲弊して、その後に影響を及ぼしたかもしれません。だからあの落選で得られた時間は必要だったのだと思いますし、しっかりと休むという選択をしたことは良かったと思いました」
帰国後、髙桑の気持ちは陸上競技に真っすぐに向かうようになっていった。トレーニングも順調に進み、やっていることがより実になっていることが感じられるようになった。ウエイトトレーニングのほか、特にシーズン後半に導入したエクササイズがうまくはまり、体の動きに対して“伸び”を感じるようになったという。
「高野(大樹)コーチが考えてくれた、走りの動きにつながるエクササイズをやればやるほど効果を感じていて、それが実際の走りにリンクしていると感じています。走る距離や練習時間はこれまでと変わりませんが、内容の濃さが違うなと。“この動きのメニューは、こういう部分につながっている”ということを理解してやっている分、しっかりと実になっているところが、今までとは全然違います」
なかでも効果を感じているのが肩甲骨の動き。背中周りの筋肉の柔軟性に伴い、肩甲骨の可動域が広がったことにより、走るフォームの修正につながっている。
「私の走りは骨盤が前に出るために、背中が反った状態になってしまうんです。それを修正するために、今までは体の前の部分、つまり腹筋や体幹を鍛える必要があると思っていました。でも、実は体を支えるためには肩甲骨が重要なんですよね。肩甲骨の周りの筋肉を鍛えることで体を支える軸ができ、さらに可動域を広げることで上半身を骨盤の動きに合わせて動かせるようになりました。そのために上半身と下半身が連動した動きを今、掴み始めているんです」
実際、髙桑の走りは傍目から見ても変化が見てとれる。これまでは、上半身もしくは下半身、あるいは腕の動きなど、体の一部に対して意識している、あるいは修正が加えられていると推測できる走りだった。そのため、見る側も一部の部位に視線が注がれることがほとんどだった。しかし、今年5月の世界選手権、6月の日本選手権で久々に目にした髙桑の走りは、上半身と下半身の動きに連動性が感じられた。そのため、どこかの部位に視線が一点集中するのではなく、「8」を描くように、自然と両腕と両脚の動きを追っていたのだ。
パリパラリンピックでは、さらに連動性が感じられる走りが見られるかが注目される。2大会ぶりの決勝進出を目指す100mはもちろん、走り幅跳びでも重要な要素となる助走に直結するからだ。4回目となる世界最高峰の舞台で、進化した髙桑の走りが放つ輝きに注目だ。
写真/植原義晴(MA SPORTS)・文/斎藤寿子