パリ2024パラリンピックで陸上競技が行われたスタッド・ド・フランス。連日多くの観客を集め、最終日にはオリンピック、パラリンピックを通して最大となる67,000人が声援を送った。40以上の世界新記録が誕生するなど競技レベルが上がっていくなかで、日本勢はどう戦ったのだろうか。これからの約4年間を、ロサンゼルス2028大会に臨む進化につなげるためにはパリ大会の結果を総括し、分析することが重要だ。164種目が実施された陸上競技にフォーカスし、熱かったパリの日々をふり返ってみよう。
パリ大会で日本選手団は22競技合計で金14、銀10、銅17の41個のメダルを獲得したが、そのうち陸上競技で獲得したメダルは銀4、銅5の計9個だった。陸上競技単体で比べると、金3個を含む計12個(銀3、銅6)のメダルを獲得した前回の東京大会には及ばなかった。大会直後に日本パラ陸上競技連盟の宍戸英樹強化委員長は、「メダル数は2桁を狙っていたので少なかった。だが、メダルポテンシャルの選手に加え、初出場の選手3名がメダルを取ったことは評価できる」と振り返った。
まずは、日本選手の主な結果を振り返ってみよう。陸上競技でパリ大会第1号メダリストになったのは東京大会銀メダリストの唐澤剣也(SUBARU)だ。男子5000m(T11・視覚障がい)決勝で、アジア記録を更新する4分51秒48をマークし、銀メダルを獲得した。このレースでは唐澤を含め、上位3選手がそれまでブラジル選手がもっていた世界記録(14分53秒97)を上回るというハイレベルなレースだった。東京大会銅メダルの和田伸也(長瀬産業)も出場し、15分16秒41で4位に入ったが、「上3人が14分台とは、『異次元』のレース」と、舌を巻くほど。
唐澤は男子1500m決勝(同)でも4分4秒40でアジア新記録をマークしたが、惜しくも4位だった。奇しくも、唐澤は両種目とも東京パラリンピックと全く同じ順位だったが、「パリは2種目ともに自己新で、アジア記録更新。価値ある結果だった。東京大会は初出場で勢いだけだったが、今回は勝負にこだわって準備してきた結果」と振り返り、強化の過程と自身の進化に対し、「金メダルにも近づいているかな」と手ごたえを口にした。
東京大会で2冠(400m、1500m)の男子T52(車いす)、佐藤友祈(モリサワ)は男子400mでは銀メダル(56秒26)、100mでは銅メダル(17秒44)を獲得した。得意とする1500mがパリ大会の実施種目から外れたため、パリに向けて100m挑戦も決意し、新コーチにも師事してスタートやスプリント力などの強化に努めてきた。両種目とも東京大会以降、急に台頭してきたベルギーの新星、マキシム・カラバンに王座を奪われたが、佐藤は「東京大会よりも着実に力はついていると思うが、今回はマキシム選手の力が一枚上手だった。次こそは必ず金メダルを奪いたい」と次回での雪辱を誓った。
また、伊藤智也(バイエル薬品)も400mで銅メダル(1分01秒08)を獲得、100mは7位(17秒67)だった。北京2008、ロンドン2012のメダリストで、東京大会は代表選出後、直前のクラス分けでT53に変更され苦戦したが、今年5月の再判定でT52に復帰。日本選手団最年長の61歳でのメダル獲得の快挙だった。自身の体に合うレーサー(競技用車いす)の開発やレーサーを活かすフォームの改善などさまざまな強化対策を快挙の要因に挙げ、「タイムは満足できないが、最低限の仕事はできた。まだまだ若い選手たちを追いかけていきたい」と力強く語った。
宍戸委員長も挙げたように初出場選手の健闘も光った。5月に神戸市で行われた世界選手権での経験や自信も糧に、とくにT13(視覚障がい)では男子400mで福永凌太(日本体育大学)が48秒07でフィニッシュし、銀メダルを獲得、同走り幅跳びでも今季ベスト(6m55)で7位入賞を果たした。「しっかりと自分のできることをしてメダルを取りに行った。次回は金メダルに絡んでいける勝負ができれば」と高みを見据えた。
同じくT13の川上秀太(アスピカ)は男子100mで銅メダル(10秒80)を獲得。予選も全体3位で通過し、決勝はスタートで少し出遅れたが、持ち味である中盤からの加速で盛り返した。競り合いながらフィニッシュした隣のコースのオーストラリア選手を1000分の5秒差で振り切った。視覚障害クラスの100mとしては日本勢36年ぶりのメダル獲得の快挙だったが「予選と決勝でタイムを上げられず、(銀メダルだった)神戸世界パラ(陸上選手権)から一つ順位を落としたことも、悔しい。4年後は金メダルを狙いたい」と、いっそうの進化を誓った。
もう一人、鬼谷慶子(関東パラ陸上競技協会)も女子円盤投げ(F51~53・座位)で2投目に自らのアジア記録を塗り替える15m78を投げ、初出場で銀メダルをつかんだ。「銀メダルと記録は自分でも信じられないくらい、夢なんじゃないかな」と笑顔で振り返ったが、2015年に突然の病で車いす生活になるまで投てき選手として活躍していた実績もあり、今後も、投てき台への移乗などアシスタントとして支える夫の健太さんとともにさらなる高みを目指す。
メダルには届かなかったが、「あと一歩の4位」でポテンシャルを感じさせた選手も少なくない。T36(脳原性まひ)の松本武尊(医療法人鎮誠会)は男子400mで惜しくも4位に終わったが、自己記録を2秒近く縮める53秒63をマークし、自らのアジア記録を更新した。「これまではスタートからスピードを上げ、前半でガス欠を起こしていたが、今回は100m、200mとペースのプランを立てて走ったことがこの結果になった」と狙い通りのレースを展開。東京大会の7位から順位を上げ、「メダルまで手が届く位置まできた感じもするので、次のロスが楽しみになった」と達成感をにじませた。
「(メダルを)取れるところを落としてしまった。悔いは残るが、これが今の実力」と振り返ったのはパラリンピック初出場で、F37(脳原性まひ)男子円盤投げで4位に入った新保大和(アシックス)だ。1投目に51m37を投げて3位につけたが、ファウルも多く終盤に逆転されメダルを逃した。フランスでの直前合宿中に腰を痛めるなど本調子ではなく、悔しい経験を成長につなげていく。
齋藤由希子(SMBC日興証券)はF46(上肢障害)女子砲丸投げで、最終試技で11m 61と伸ばしたが、惜しくも4位。メダルは逃したが、「楽しかった。パラリンピックの雰囲気や不安感、プレッシャーなど全部経験したことのない体験ができた。目指してきて良かった」とかみしめた。元世界記録保持者(12m47)だが、当時はF46女子砲丸投げがパラリンピック種目から外れていたため、やり投げに転向して出場を目指した時期もあった。パリ大会で砲丸投げの復活が決まり、結婚と出産を経て、見事に初出場を果たした。
T64(義足)クラス男子は競技人口が増し、多様な種目で競技性も高まっているクラスの一つだが、日本勢も健闘した。大島健吾(名古屋学院大学AC)は男子100mで決勝進出は逃したが、11秒24で自らのアジア新記録を更新した。予選敗退の12位に終わった東京大会後、故障や義足の調整で長く不調が続いたが、復調の兆しを感じさせた。井谷俊介(SMBC日興証券)はパラリンピック初出場ながら男子200mで予選を突破。故障による調整遅れもあって決勝は7位だったが、大舞台で今季ベスト(23秒50)をマークした。スムーズなコーナリングからの加速が持ち味で、今後は200mをメインに磨くとともに、新たに走り幅跳びにも挑戦し、両種目でメダル獲得を目指していく。
陸上唯一のチーム種目、混合4x100mユニバーサルリレーは、1走はT12(視覚障害)の澤田優蘭(エントリー)と塩川竜平ガイドのペア、2走はT47(上肢障害)の辻沙絵(日本体育大学)、3走はT36の松本、アンカーはT54の生馬知季(GROP SINCERITE WORLD-AC)の布陣で臨み、4位(48秒16)だった。東京大会は銅メダルだったが、上位チームの失格による繰り上がりだった。今大会は予選で47秒09をマークし日本記録を更新するなど、3年間のチーム強化の成果は示した。
大会最終日に行われたマラソンは狭いコースや細かな起伏、石畳の路面など「史上最高の難コース」と言われるレースだったが、まず男子T53/54(車いす)の部で鈴木朋樹(トヨタ自動車)が銅メダル(1時間31分23秒)を獲得。この種目での日本勢の表彰台は16年ぶりの快挙だった。「最後まで集団でもつれたら、勝ち目はない」とスタートから積極的に攻め、序盤で「メダル圏内」を確保した。レース直後は、「タフなコースで、もう体力が残っていない。とにかく最後まで、『諦めない、逃げない』と口に出して走った」と疲労の色を浮かべた。表彰式後はメダルを首に、「(レーサーの開発者やコーチ陣など)多くの皆さんの協力がメダルという形で残せた」と清々しい表情で喜びを語った。
女子T11/12(視覚障害)の部では道下美里(三井住友海上)が3時間4分23秒で銅メダルを獲得した。スタートから海外勢に先行され、前を追いかける展開となった。粘ったものの、いったんは4位でフィニッシュ。だが、3着で入った選手の失格により繰り上がり、リオ(銀)、東京(金)と3大会連続でメダルを手にすることとなった。東京からの3年間は2度の故障もあり、「厳しいときもあったけど、いろいろなことを乗り越えてきた。それを神様が見ていてくれたのかな」と、トレードマークの笑顔を輝かせた。
宍戸委員長は改めて、本命大会で実力を発揮するために「場数を踏む重要性」や「メダルポテンシャル選手への集中強化」、「有望な新人発掘」などを強化策のポイントに挙げ、「今後さらに、海外選手も含めた詳細な結果分析などを進め、ロサンゼルス大会に向けた準備に取り掛かりたい」と、4年後の大舞台を見据えた。
(注: 選手所属先はパリ2024パラリンピック開催時点のもの)
写真/吉村もと ・ 文/星野恭子