世界初の「車いすだけの国際マラソン大会」として1981年に始まった「大分国際車いすマラソン」が11月17日、大分市で開催された。43回目を迎えた今年は、日本と海外12カ国からパリパラリンピックのメダリストらを含む男女190選手が出走。障害の程度に応じ3つのクラス(*)に分かれたマラソンとハーフマラソンで、それぞれの目標に挑み、熱いレースを展開した。
(*:障害の重い順に、「T51」、「T33/52」、「T34/53/54」)
マラソン最速クラス「T34/53/54」の男子は、パリパラリンピック銀メダリストのジン・ホァ(中国)がT54男子アジア新記録となる1時間18分31秒で初優勝を飾った。中国勢の優勝は大会史上初。5連覇中の絶対王者、マルセル・フグ(スイス)がケガで欠場するなか、ジンはパリ大会銅メダルの鈴木朋樹(トヨタ自動車)との熾烈なトップ争いの末、35㎞手前の橋の上りでスパートし、逃げ切った。鈴木は1分3秒差の1時間19分34秒で2位だった。
ジンは大分には過去2回出場しているが、いずれもハーフマラソンで、8年ぶりの出場となった今年はマラソンに初エントリーしての栄冠だった。「初優勝でき、とても嬉しい。鈴木選手と一緒に走れて、いいペースが維持できた。“オーイタ”は沿道の応援が素晴らしく、力をもらえた」と笑顔で快走を振り返った。
スタートから飛ばし、10㎞手前からは鈴木との二人旅。コーナーや下り坂などで鈴木がたびたび仕掛けたが食らいつき、逆に終盤、得意の上りを利用して勝負を決めた。来年は東京マラソンなどメジャーマラソンにも積極的に出場したいというジン。年齢も25歳とまだ若く、伸びしろは計り知れない。「“オーイタ”をまた走りたい」。今後も世界屈指の好レースを見せてくれそうだ。
鈴木もスタートから先頭集団に入り、ジンとの一騎打ちになってからは前に出てハイペースを維持するなど積極的なレースを展開した。だが、終盤、ジンのロングスパートには対応できず、栄冠を逃した。同様の展開で銀メダルを逃したパリ大会のリベンジもならず、ジンには連敗を喫したが、その表情は清々しく、充実感を湛えていた。
「今まではマルセル(・フグ)選手が描くレースプランに乗っかる形だった。彼がいない今回は白紙のキャンバスに自分でレースを描かなければいけない。ジン選手もいたのでどういうレースにしようかと思ったが、(敗れた)パリ大会から数カ月でジン選手に勝ちにいくのは難しい。淡々と自分のペースを刻み、最後に刺されても悔いは残らないだろう。でも、1時間20分切りはしたいと思っていたので、今年最後のレースで出し尽くせてよかった」
2024年のラストレースを自身納得の内容で終えた鈴木は、「今年は自分のいいところは伸ばし、足りない部分は補いながら、充実した1年だった」と感慨深げに振り返った。実際、ここ数年の集大成といえる結果を残している。
2021年の東京大会ではマラソン7位、昨年のパリ世界選手権では出場したトラック2種目とも予選敗退と振るわなかった。そうした悔しさをバネに、レーサー(競技用車いす)の開発に取り組み、新しいコーチも迎え、未知のトレーニングにも挑むなど練習環境を変え、計画的により高みを目指してきた。
結果、今夏のパリパラリンピックで3位に食い込み、車いすマラソン男子では日本勢16年ぶりとなるメダルをつかんだ。その後も休むことなく積極的にレースに出場し、10月のシカゴマラソンと11月のニューヨークマラソンでも3位入賞。その合間にも東京レガシーハーフマラソンで大会3連覇を達成するなど結果を残し続けた。
精力的なレース出場は、「メダリストになったからこそ、できることもある」という、強いモチベーションに根差す。メジャーなレースにも出場しやすく注目され、さらに表彰台に上がれば露出も増える。そうすれば、障害のある子どもたちの目にも留まりやすく、もしかしたら、「陸上やマラソンをやってみようというきっかけにもなるかもしれない。来年以降も続けていきたい」。
パラリンピックメダリストという称号を得た日本の第一人者は競技普及にも高い意欲を示しながら、「来年はまた、しっかり目標を設定して挑みたい」と、“オーイタ”での雪辱も誓った。
鈴木に次ぐ日本人男子2位は岸澤宏樹(日立ソリューションズ)で、全体でも5位に入り、昨年の9位から躍進した。タイムは1時間28分59秒で、初の表彰台まであと14秒だった。
「先頭集団に入りたい」とスタートからハイペースに挑んだが、5km手前の橋の上りで徐々に離された。「高負荷のかかる上り坂を効率よく走るスキルや経験値がまだ足りていない。今日の走りは50点」と、厳しめの自己評価を下した。
だが、2カ月ほど前に新調したレーサーの乗り心地や自身最高5位でのフィニッシュなど、手応えは確かにつかんだ。車いす生活になる前は陸上競技で110mハードルなど短距離系を専門としていたこともあり、「強みは神経系の反応の良さ。スタートやスパートでの一瞬の力を発揮するところで生かしていきたい」。「来年はトラック種目で世界選手権出場を狙いながら、メジャーマラソンにも挑戦していきたい。切磋琢磨しながら、(鈴木)朋樹さんをいつか負かしたい」と決意を新たにしていた。さらなる進化に期待したい。
マラソン「T34/53/54」女子はパリパラリンピック金メダルの実力者、カテリーヌ・デブルナー(スイス)がスタートから独走し、1時間36分49秒で2連覇を達成した。世界新記録ペースで飛ばしながら後半に入って急失速したが、2位に3分11秒差をつける圧勝だった。
「シーズン最後の“オーイタ”で連覇でき、誇りに思う。今年はとくに私にとって最も長く、厳しい1年だったので、今はハッピーと疲労感が混ざった複雑な心境」と明かした。後半の失速は、「エネルギータンクが空っぽになって、残り10㎞からはとくに辛く、棄権も考えた。でも、支えてくれる皆さんに感謝の想いを伝えたくて走りつづけた」と女王の矜持を示した。「新たな目標は、少し休みを取ってから、立てたい」と話した。
ハーフマラソンでも、見ごたえあるレースがいくつも展開された。「T34/53/54」男子はラストのトラック1周まで三つ巴の勝負となったが、生馬知季(World-AC)が44分4秒で大会4連覇を達成した。2位とは1秒差の激戦だった。圧勝だった過去大会に比べ、「かなり苦しいレース展開だったが、接戦で勝ち切れたことを嬉しく思う」。
トラックに入ってコーナーでバランスを崩すなど少し遅れをとったが、残り150m辺りからギアを替え、トップに立った。短距離をメインとし、パリパラリンピックで100mとユニバーサルリレーに出場後、少し休息をとったため持久力に不安があったというが、「どんな手段を使っても勝ち切ることが目標だった。接戦になったので、『ここで力を抜く、ここでは少しペースをあげて他の選手の体力を奪う』という(駆け引きの)経験もできた」と手ごたえを口にした。4年後のロサンゼルスパラリンピック出場も見据えながら、「来年も5連覇を目指したい」と力強く言い切った。
“オーイタ”は新人の登竜門としても知られ、大会初出場で好結果を残した選手には新人賞が与えられる。ハーフマラソン「T34/53/54」男子で14位(52分46秒)に入り受賞した緋田高大は日本代表経験もある車いすバスケットボール選手でもある。「めちゃめちゃ、しんどかったが、なんとか走りきれてホッとしている。いつかフルマラソンにも挑戦できたら」と目標を口にした。
29歳の緋田は幼い頃は陸上にも取り組んでいたという。中学3年からはバスケに専念したが、「30歳を前にもう1度、陸上をやりたい」と思いたち、今年に入ってレーサーの練習を再開させた。
チーム競技のバスケと違い、マラソンは「孤独。自分との戦いだった」と振り返ったが、「マラソンの走り込みで無駄な脂肪が落ちて、バスケの練習で、『機敏になった』と言われた」と二刀流の相乗効果も感じている。まずは来年1月末の日本選手権に向け、「バスケモードに戻します」。チャレンジはいつからでも始められる。
同「T33/52」女子は西村柚菜(関東パラ陸協)が初出場で優勝(1時間11分28秒)し、新人賞にも輝いた。「1時間半切りを目指していたので、大幅に更新できた。初めてのコースで不安もあったが、沿道から大勢の人が声をかけてくださって、走りやすく、楽しかった」と笑顔を見せた。
サッカー選手として活躍していた2022年、大学の授業中の事故により脊髄を損傷した。車いす生活になったが、「大好きなスポーツにまた取り組みたい」と思っていた2023年6月、見学した車いす陸上の「疾走感」に魅せられた。アスリートとしての心身の素質もあり、本格的に競技に取り組んで1年余りで、トラック数種目で日本新相当の記録をマークするなど一気に頭角を現した。
今大会は初のロード種目挑戦だったが、トラックにはない坂道練習に意識して取り組むなど準備を重ね、「橋の上りで納得の走りができてよかった。21kmも、あっという間に感じた」と頼もしい。西村の障害クラスはT52。女子の競技人口は世界でも少なく、パラリンピックを含め、T52女子を対象とするレースはかなり少ないのが現状だ。しかし、見据える先は高い。
「世界で戦える一流の選手になりたいという目標がある。いつかチャンスが巡ってきたときに自分が万全の状態で挑めるように、さまざまなレースに挑戦して経験を積み、しっかり準備したい」
14歳から98歳まで、出走した190人それぞれのドラマが刻まれ、幕を閉じた伝統の“オーイタ”。来年はまた、どんな名勝負や挑戦が見られるだろうか。
写真・ 文/星野恭子