11月18~20日、車いすラグビーの国際親善大会「三井不動産 車いすラグビーSHIBUYA CUP 2024」が、国立代々木競技場第二体育館(東京・渋谷区)で行われた。若手の育成を目的とするSHIBUYA CUPは、東京パラリンピックのレガシー大会として2022年に初開催され、2回目となった今大会には前回同様、日本とオーストラリアの2か国が出場した。国際大会初出場の選手を含む両国の代表が4試合を戦い、日本は1勝3敗で大会を終えた。
パリ・パラリンピックで史上初の金メダルに輝き、新たな歴史を刻んだ車いすラグビー日本代表。その偉業を受け継ぐべく、SHIBUYA CUPには自身初の国際試合に挑む4名を含む12名の選手が出場した。
岸光太郎ヘッドコーチは今大会の目的について「2028年のロス・パラリンピックに向けたチームの底上げ」と語り、勝ち負けよりも「まず自分たちのプレーをしっかりとやること」を目標に掲げた。
パリ金メダルメンバーからは、中町俊耶、橋本勝也、草場龍治の3名が選出。しかし、攻守においてプレーの軸となる橋本が、体調不良により第1戦と第2戦を欠場し、日本代表にとってタフな戦いが続いた。
大会1日目の初戦。硬さの見られる日本は連係がかみ合わず、立ち上がりから苦しい展開を強いられる。状況を打開しようとするも、個々の経験の差に加え、このメンバーで合宿を行えたのが2回とあって、コミュニケーションもまだ消極的だった。パリ出場の中町や今大会でキャプテンを務めた壁谷知茂、そして堀 貴志といった競技歴の長い選手がリーダーシップをとり、徐々に自分たちのラグビーが表れ始めたが、その一方でオーストラリアは、パリ大会出場の次世代エース、コノリーが高さとスピードを活かしたプレーで次々とスコアを重ねリードを広げる。日本は11人全員が出場し総力戦で戦うも、45-58で敗れ黒星スタートとなった。
続く大会2日目の第2戦では、攻撃時のスペーシングや連係などで多くの修正が見られ、また守備においても、相手のトライ寸前までプレッシャーをかける粘り強さを見せた。48-56と勝利をつかむことはできなかったが、チームとしての成長がスコアに表れた。
今大会最大の盛り上がりを見せたのは、橋本が復帰した第3戦。開始から3分、橋本はコートに入ると、万全とは言えないコンディションながらも、パラリンピック金メダリストの実力を示す別格のプレーで、試合の強度を一気に高めた。それに呼応したチームはビハインドを翻し、第3ピリオドでついに逆転。そこから両者一歩も譲らぬ互角の戦いが繰り広げられる。53-53の同点で第4ピリオドが終了し、大歓声のなか延長戦へと突入した。
フル代表で経験を積んできた、白川―中町―壁谷―草場のラインナップで挑む日本は、連続失点を許すも、身体と頭に叩き込まれた共通のビジョンとスムーズな連係ですぐに奪い返し、57-57とまたもや同点。2回目の延長戦、相手のファールによりアドバンテージのある状況でスタートした日本が試合を優位に進め、62-61で今大会初の勝利を収めた。エキサイティングなゲームを演じた両チームに、会場からは割れんばかりの拍手が送られた。
最終日に行われた第4戦は、一進一退の攻防。前半を同点で折り返すと、橋本vsコノリーの“エース対決”をはじめ、火花がバチバチと散るプレーが続く。しかし、後半の中盤でターンオーバーを許した日本は、巻き返しを図るも一歩及ばず、52-54で試合終了。1勝3敗の成績で大会を終えた。
全試合にスタメン出場し、どんなに苦しい局面でも「日本ラグビー」を体現し続けたのが白川楓也だ。橋本が欠場するなか、白川は唯一のハイポインターとして特に攻撃面でチームを支えた。スピードとパワーが増した白川は、チーム最多の46トライをマーク。経験の浅い選手たちに積極的に声をかける場面も多く見られた。
2022年のカナダカップでフル代表デビューを果たした白川は、同大会でミッドポインター(クラス2.5)からハイポインター(クラス3.0)へとクラスが変更され、世界トップレベルを誇る日本のハイポインター陣の中でしのぎを削ってきた。パリ出場という目標は叶わなかったが、パラリンピック直前の代表最終合宿にもサポートメンバーとして参加し、切磋琢磨してきた仲間を力強く送り出した。
パリ・パラリンピックの日本代表戦は全試合、同じく最終合宿まで参加した壁谷知茂と電話をつないでリアルタイムで観たといい、「ずっと一緒に合宿をやってきた仲間が金メダルを獲れて、本当によかったと心の底から思った」と率直に語る。一方で、みずからを重ね合わせ、「自分だったらどういうプレーを選択するのか。やれるのか、どうなのか」と、自問することもあったと明かす。
白川には体幹機能がないというハンディキャップもあるが、それを言い訳にはしない。(体幹のある)他の選手のような動きが難しいのなら、「コミュニケーションやラグビーの知識の部分を伸ばしていく」と、ブレない覚悟をにじませる。「ロス・パラリンピックの前に世界選手権(2026年開催予定)がある。そこでメンバーに入らないとロスはないと考えている。いまは世界選手権のメンバーに入ることが目標です」
4年後を見据え、白川は着実に階段を上っていくつもりだ。
今大会では、鈴木康平、横森史也、山城来、若狭天太の4名が、日本代表として自身初の国際試合に臨んだ。いずれも競技歴が1年~3年半程と、大きな可能性を秘めた選手たちだ。
車いすラグビーでは一番障がいの重い、クラス0.5のローポインターである鈴木と横森。デビュー戦を終え、鈴木は「緊張して何がなんだか分からなかった」と話し、横森は「初めての国際大会で緊張もあったが、試合中は楽しくプレーすることができた」と振り返った。
競技を本格的に始めた時期も近く、お互いを「ライバル」と公言する二人。フィジカルを武器とする鈴木、強化指定選手も多く参加する練習に足を運び、頭脳と技を磨く横森。ともに刺激し合いながら成長していく両ローポインターの今後に期待だ。
そして、ミッドポインターの若狭と横森には、ある共通点がある。今回の日本代表メンバーのうち、中町俊耶と橋本勝也も在籍するクラブチーム「東北ストーマーズ」に所属していることだ。さらに、若狭も横森も、リハビリをしていたときに中町から声をかけられたことが、車いすラグビーを本格的に始めるきっかけとなった。
競技を始めた頃、若狭は「中町選手のようなプレーヤーになりたい」と目標を話し、横森は「中町選手がストイックに練習する姿に憧れて、一緒に切磋琢磨していきたいとストーマーズに入った」と語っていた。そうして、その数年後、日本代表のユニフォーム姿で中町と同じ舞台に立ち、橋本も加わっての“ストーマーズライン”もお目見えし、国際大会を堂々と戦った。
日本代表の先輩として、中町は「自分も彼らに教えてはいるが、本人たちの努力があってここまで上がってきた。ここからさらに上がるには高い壁があるが、今後も継続して、シニアの選手たちをくっていけるように頑張ってほしい」とエールを送った。
1勝3敗の悔しい結果で大会を終えるも、初出場組を含めた12人のメンバーそれぞれに、大きな刺激と学びをもたらしたSHIBUYA CUP 2024。ここから、どれほどの選手が世界へとフィールドを広げ、どのように日本ラグビーを継承し発展させていくのか。楽しみは尽きそうにない。
写真・ 文/張 理恵