昨夏に開催されたパリ2024パラリンピックは、チケット販売枚数が2012年ロンドン大会に次ぐ史上2番目に多い258万枚となるなど大盛況に終わった。そのパリ大会で“3度目の正直”とばかりに、走り幅跳びでパラリンピックでは自身初となる5mのジャンプを見せ、アスリートとしてさらなる可能性を感じさせたのが、パラ陸上・髙桑早生(T64/切断・機能障がい)だ。「まだまだ自分に成長を感じている」と語る彼女が、次に見据えているものとは――。
髙桑にとって、今回のパラリンピックはある意味、特別だっただろう。ロンドンパラリンピック以降、髙桑は常に日本代表に選出されてきた。しかし東京2020パラリンピック後は、調子もモチベーションもなかなか上がらず、結果を出すことができなかった。すると、2023年世界選手権の代表から落選。パリの舞台は、そこから這い上がった末につかんだステージだったのだ。
そしてパリでは本番での強さを見せ、1種目目の走り幅跳びで本領を発揮した。1回目はファウルにはなったものの、踏み切り板のぎりぎりを攻める跳躍をし、「自分の中ではばっちりだった」と調子の良さを確信していたという髙桑は、2回目にシーズンベストを10cmも更新する4m89をマークした。
そして、いつもなら髙桑が記録を伸ばせないこともある一方で、トップ選手たちがメダルをかけて記録を伸ばしてくることが多い終盤に、さらにギアを上げた。5回目に4m90、そして最後の6回目には向かい風にも屈することなく5m04をマーク。シーズンベストを25cmも更新しての5mジャンプは、20119年以来果たせていなかったものだった。さらに16年リオデジャネイロ大会では4m95、21年東京大会では4m88と、パラリンピックの舞台で5mジャンプを成功させたのは初めてのことだった。
「本当に久々に、しかもパラリンピックという舞台で5mにのせることができて本当に嬉しいです。私にとって大きな自信となりました」と髙桑。順位はリオ大会と同じ5位だったが、過去の自分を超える跳躍に、それまで感じていた“成長”は間違いではなかったことを確信したに違いない。
スプリンターでもある髙桑は、パリでは100mにも出場。自己ベスト更新を目標としていたが、結果は予選敗退に終わった。ただレース後のインタビューで「タイムにはつながらなかったが、練習してきたことはできたし、これが今の自分のベスト」と語る髙桑の表情に落胆は微塵も感じられなかった。それどころか、その目はすでに次に向かっているようにも見えた。
「(4カ月前の)神戸での世界選手権では100mはレースにさえも出場できなかった。そのことを踏まえるとパラリンピックという舞台で走ることができたことを自信にして、今後の糧にしたいと思います」
今、髙桑はトレーニングの積み重ねによる可能性の広がりを感じ、自身への期待に胸を膨らませている。「年齢的にこの状態がずっと続くとは思っていない」としながらも「年齢を重ねるごとにやれることがどんどん増えていると感じている」からだ。
そして今、何よりモチベーションとなっているのが、来年に日本初開催となる愛知県でのアジアパラ競技大会だ。
「もともとアジア大会は相性がいいし、大会自体とても好きなんです。そのアジア大会が日本で初開催される。こんな嬉しいことはありません。自分が若い頃、みんなで『パラリンピックや世界選手権、アジア大会が日本でできたらいいのにね』という話をよくしていたんです。それが東京パラリンピックに続いて、2024年は神戸で世界選手権が開かれ、そして今度は愛知でアジア大会が開かれる。それが自分が競技者であるタイミングというのも運がいいと思いますし、国内開催の3大会すべて出場できるチャンスなんてそうそうないと思うんです。だからアジア大会は今、私の最大のモチベーションになっています」
それを見据えて、今後、目標としているのは、100m、200m、走り幅跳びでの自己ベスト更新だ。今やコンスタントに13秒台を出す安定感を持つ100mは、リオパラリンピックで更新して以降、東京パラリンピックも含めて、これまで3回マークした“13秒43”の壁に挑む。
一方、200mは100mと同様にリオで更新した28秒77がアジア記録となっている。だが、実は日本記録である中西麻耶の28秒52を上回ることができていない。世界パラ陸上競技連盟の規程が絡んだ“ねじれ現象”が起きているのだ。
「やっぱり引退する前に、ちゃんと日本記録を出してねじれを解消し、本当の意味でアジア記録保持者になりたいと思っています」と髙桑。もともとスプリンターであるがゆえの矜持でもある。そして走り幅跳びは、19年に記録した5m27の更新だ。
髙桑早生、32歳。失われていない挑戦心と熟練度が増しているパフォーマンスで、アスリートとして“魅せる”のは、まさにこれからだ。
写真/X-1・文/斎藤寿子