昨年11月に開催された「北九州チャンピオンズカップ国際車いすバスケットボール大会」。2002年から続く歴史あるこの大会の会場、北九州市立総合体育館のメインコートにいの一番に飛び出したのは、各国の代表選手ではなくカラフルな車いすを操る小学生たちだ。国際大会と同時期、同会場で「北九州市小学生車いすバスケットボール大会」が開催され、同じく約20年の歴史を持つ。「こんなに子どもが大声で泣いたり、喜んだりする姿は見たことがない」。この大会を見た人は口々にそう話す。それは、どんな大会よりも熱い、小さな車いすアスリートの頂上決戦だ。
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2024年11月7、8日に開催された第19回大会も、市内の5つの学校に通う小学5年生で構成された8チーム、約200人が熱戦を繰り広げた。
子どもたちは、毎年6月ごろから各小学校で車いすバスケの練習を開始し、本番に向けてトレーニングを重ねる。参加者の大多数は体に障害などを持っていない「健常者」だ。なので、車いすバスケはおろか、「車いすに乗るのも初めて」という子どもも少なくない。病気やケガをした家族の誰かが乗っている車いすをこいだことはあったとしても、体育館の中を全力で走った経験のある子はほとんどいない。それが、たった5カ月間でドリブルをしながらコートの中を走り回れるようになり、仲間とパス投げ合ってシュートを決めるようになる。
第19回大会で優勝した小森江小学校は、選手の車いすのスピードの速さとチーム内の連携プレーの精度の高さで初戦から他チームを圧倒し、決勝戦も28-2で制した。決勝戦で4つのシュートを決めた高野泰雅くんは、「5カ月間、頑張って練習してきたのでめっちゃうれしい」と話した。同じく4つのシュートを決めた木村和司くんは「最初は練習に来られないこともあって役に立てなかったけど、最後は車いすバスケを通じてみんなの役に立てるようになれた」と喜んだ。
チームを率いた宮房あゆみ先生は、5カ月間の練習を通じて子どもたちが変化していくことが実感できたという。
「車いすバスケを通じて、みんなが自分と向き合うことができました。自分の弱さ、あるいは自分では気づいていなかった自分の強さ。それにみんなが向き合えたから、上手になれたのだと思います」
小学校の授業の一環とはいえ、スポーツ大会である以上、優勝以外の7チームはすべて敗者だ。5カ月間、クラス全員で何度も話し合いをして練習を重ねてきたのだから、負けた時の悔しさは大きい。泣きじゃくる子、悔しさで床を叩いて大声を出す子、あるいは試合後に感情的になって審判の判定に愚痴が出て、先生に「審判のせいにしてはダメ」と注意される子もいる。それもすべて、真剣に取り組んでいるからこその光景だ。
大会はトーナメント形式。負けたチーム同士での順位決定戦も行われる。面白いのは、大会2日目に実施される決勝戦以外は、チーム全員が1試合に1度はゲームに出場しなければならないというルールだ。
大会2日目に実施された決勝戦ではその縛りはないが、敗れた城野小学校は、あえて準決勝までと同じ全員出場にこだわった。城野小学校の小西隼平先生は、こう話す。
「子どもたちには決勝戦の日の朝、小森江小学校はとても強いチームで厳しい戦いになると思うと話しました。そのうえで、決勝は全員が出なくてもいいルールになっていると伝えたのですが、子どもたちが『全員出ないことなんて考えられん』と言って、準決勝までと同じように全員が出場しようとなりました。決勝では負けてしまったけど、私としては、子どもたちがみんなのことを思って自分たちで決断してくれたことが、一番良かったと思います」
一般的に、小学校の体育の授業ではバスケやサッカー、水泳などを経験したことのある子、あるいは成長が早くて体の大きい子が活躍することが多い。運動の苦手な子はどうしても授業の中で存在感が薄くなってしまう。それが、車いすバスケだと変わってくる。車いすを乗りこなす練習から始めなければならないので、運動能力やスポーツ経験の差は大きな問題にならない。女子でも練習を熱心にした子は、チームの中心メンバーとして活躍できる。
一方、練習を重ねて徐々に上手になってくると、勝利を目指すために仲間により高いレベルを要求したくなるものだ。それは、城野小学校のチームの中でもあったという。それが表に出たのが、大会直前に前年大会で優勝した6年生のチームと練習試合をしたときだった。小西先生は、その時のことをこう話す。
「ものすごいボロ負けだったんです。『このまま大会に出ても負ける』という空気になったときに、やっぱり、誰かを責める声が出てきた。でも、そのときにみんなで『チームの負けを誰かのせいにしたら、その子は車いすバスケをやってよかったと思えるのか』ということについて話し合いました。すると、子どもたちから『声のかけ方がよくなかった』、『もっとみんなをサポートしたい』という声が出るようになりました。最後に本当にいいチームになれたと思います」
試合には負けたが、クラスが一体となって同じ目標に向かってお互いを支え合う。それこそが、北九州市で20年以上にわたって大会が続いてきた魅力だ。
決勝戦は、国際大会である「北九州チャンピオンズカップ国際車いすバスケットボール大会」の前に行われる。2024年の国際大会は、日本、カナダ、スペインの3チームが参加した。出場した選手たちは、自分たちの試合直前であるにもかかわらず、子どもたちの勇姿を真剣に見ていた。カナダ代表のナシフ・チャウドリー選手は、こう話す。
「ほとんどの子どもたちが車いす未経験者だったことを考えると、すごい成長している。こんな小さな子どもが車いすバスケを経験するのはとてもいいことで、もっとたくさんの子どもにプレーしてほしいね」
大会の運営を担う、北九州市障害者スポーツセンター「アレアス」の山下悟さんは、こう話す。「毎年のように、外国の選手たちから『この大会のレガシーは子どもたちだ』と言われるんです。それが一番うれしい」
車いすに乗ったことで、子どもたちが変化していく。5カ月間の努力は、試合の勝ち負け以上に尊いものを教えてくれる。
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写真/越智貴雄[カンパラプレス]・ 文/西岡千史