北九州市で毎年開催される「北九州市小学生車いすバスケットボール大会」。普通校に通う子どもたちが、5ケ月間の練習を経て車いすバスケットボールの頂点を競う、世界でも類のない画期的な大会だ。昨秋の大会で第19回を数えた。
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子どもたちに車いすバスケを指導するのは、大会事務局を担う北九州市障害者スポーツセンター「アレアス」のスタッフだ。田中八恵さんは、週1回のペースで小学校に出向いて子どもたちに車いすバスケのルールから練習方法、良いチームになるための心がまえなどを伝えている。ただ、「障害」についてはあえて教えないことにしているという。
「例えば、練習中に体育館の外にボールが出てしまって、それを拾いに行く。車いすに乗ったまま入り口の階段を降りてボールを拾うのは大変なので、自分の足で歩いて拾いに行く。そのときに『あれ、車いすの人って階段を降りるとき、どうしてるんだろう?』と子どもが感じますよね。そのときに質問があれば答えることはしますが、私から事前に車いすユーザーの人について説明することはしていません。子どもたちが、実際に車いすに乗る中で何かに気づいてもらえたらというスタンスにしています」
教えることよりも、「車いすに乗る」という非日常的な体験を通じた「気づき」を大切にする。自分自身の経験から学んだことは、その子の人生に何らかの影響を与えるはずだ。それが、田中さんたちがたどり着いた考えだった。
バスケの技術でも、またそれ以外のことでも授業で大切にしているのが「思いやりのパス」だ。練習のときは、田中さんも、先生も、子どもたちもこの言葉を繰り返す。
スポーツ大会である以上、本番では優勝から最下位まで順位が決定してしまう厳しさがある。しかし、車いすバスケを通じて勝敗よりも学んでほしいことは「思いやり」の大切さだという。それは、「障害者」や「健常者」といった区別をもとにしたものではなく、どんな人であっても自分自身があるときは支える側で、ある時は支えられる側の存在であることを理解してもらうことだ。
そのために、大会に参加する学校では、子ども一人ひとりに「思いやり日記帳」が贈られる。このノートは、大会の協賛企業であるフォントメーカーのモリサワが提供している。
モリサワは1924年に世界初となる邦文写真植字機を発明し、日本語デザインの歴史を変えた企業だ。写植の技術者には身体障害者も多く働いていて、片手しか動かせない人用など、その人の特性に合わせて写植機を改造することが多かった。デジタルのフォントが主流になってからは写植の仕事は失われていったが、同社が独自に開発した弱視や老眼の人でも読みやすい「ユニバーサルデザインフォント」は、東京パラリンピックでも公式採用された。障害者と縁が深い歴史があったことで、大会の協賛者になっている。
ノートには、練習で気づいたことや反省、チームメイトへの接し方、次の目標など、子どもたちがびっしりと文字を書き込んでいる。小倉中央小学校の安部ンペポ眞耶さんは、6月13日の「次の目標」に「パスする時の気持ち」と書いた。
「最初は友達にうまくパスができなくて、気持ちがこもってなかったなと思って書きました。今は友達にパスができると『ありがとう』と言われるので、私も『ありがとう』って言いたくなります」
大会は2003年から続いているが、新型コロナウィルスが流行した2020年は、大会の開催が危ぶまれた。同時期に開かれる国際大会の北九州チャンピオンズカップは、海外チームの来日が困難であることから中止せざるを得なくなった。小学生大会も中止かと思われたが、子どもたちが積み重ねてきた練習の成果を見せる機会まで失われることに、関係者も心を痛めていた。大会に出場できるのは小学5年生だけ。中止を決定してしまえば、練習の成果を発揮できる舞台が永遠に失われてしまう。そんな状況の中で、モリサワは「未来の社会を担う子どもたちが、障がいへの理解と認識を深め、バリアフリーの意識や人へのやさしさを養うことを目的に、十分な感染対策をとりながら開催する」(モリサワ公式ホームページ)と、2020年の小学生大会への支援を表明し、単独スポンサーとして開催の実現に協力した。モリサワは、東京五輪・パラリンピックのオフィシャルサポーターを務めたが、同時期に北九州市でのパラスポーツの普及と教育にも取り組んでいた。
練習を重ねてきた子どもたちにとって大会以外の楽しみは、毎年11月の大会本番前に開かれる国際大会に出場する各国代表選手たちとの交流会だ。学校では選手たちの歓迎会が開かれ、応援メッセージが贈られる。そのなかで、実際に車いすバスケの実技も披露される。田中さんは言う。
「実際に車いすに乗っている選手は足がなかったり、極端に細かったりします。立つことはできないけど、プレーすると選手たちは自分たちが半年間やってできなかったことを当たり前のようにできる。そうなると、『かっこいい!』となるんですよね。私たちは、5カ月間の取り組みだけで、すべての子どもたちが障害者のことについて理解できるとは思っていません。ただ、5年後や10年後、あるいは親になってからでもいいので、いつかこの5カ月間のことを思い出してくれたら、と思っています」
田中さんは、子どもたちに車いすバスケを教え続けて20年になった。それでも、子どもたちの成長は今でも予想ができないという。
「子どもたちにスイッチが入る瞬間があって、そうなると急に強くなります。大丈夫かなと思っていたチームが、夏休みがあけて2学期になるとまったく変わっていて、子どもたちが先生を引っ張っていくこともよくあります。だからこそ、私たちはいつでも子どもたちに真剣に向き合うことが大切だと思っています」
子どもが大会に出場した経験のある母親は、「車いすバスケを授業でやるまでは、運動はどちらかというと苦手な方で、まったく興味がない子だと思っていたんです。それが、大会が近づくにつれて一人でいすに座ってシュート練習をして、一生懸命になっていました。負けたときも大泣きして、そんな姿は見たことがなかったので、本当に驚きました」という。
車いすに座ることで、新しい世界が広がる。そして、それが社会全体に広がって、障害者に優しい街づくりに近づいていく。田中さんが、子どもたちに「車いすに乗っている人を見たことある人?」と子どもたちに質問すると、年々数が増えているという実感がある。
アレアスの山下さんは「ここ数年で街中でも車いすに乗って公共交通機関や買い物に行く人が増えたように思います。バリアフリーの整備が進んだことも大きいと思いますが、多くの市民に車いすが身近に感じられるようになっているのではないでしょうか」と話す。
車いすバスケというパラスポーツを通じて街が変わる。北九州市はその変化の歩みを続けている。
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写真/越智貴雄[カンパラプレス]・ 文/西岡千史