今年で18回目となった「東京マラソン2025」が3月2日に開催された。男女車いすマラソンの部も東京都庁前をスタートし、銀座や浅草などを回って東京駅前・行幸通りにフィニッシュする42.195㎞のコースで争われた。21選手が出走した男子はパリ2024パラリンピック銅メダリストの鈴木朋樹(トヨタ自動車)が大会連覇を飾った。マークした1時間19分14秒は従来の記録を1分43秒上回る大会新記録。2位に入ったパリ大会6位の羅興伝(中国)にも11分以上の大差をつける快走だった。
「気象条件もよく、メダリストとして臨む初めての東京マラソンだったので、連覇はしたかった。自分も小さい頃から競技を始めたが、子どもたちに夢を与えたり、こんな選手になりたいと思ってもらいたいという気持ちで走っていた」
鈴木の、パラリンピックメダリストとしての地力と矜持を示すかのようなレースだった。スタートから5㎞地点までで先頭集団は鈴木と西田宗城(バカラパシフィック)に絞られたが、8.5km辺りで鈴木が一気にペースを上げた。一人旅となって以降も、自身が持つ日本記録(1時間18分37秒)にも迫るハイペースを維持して他を圧倒。両手を大きく広げてフィニッシュテープを切った。
とはいえ、プランとは少し違ったレースになった。実はレース2日前の招待選手会見では、「ハーフまでは集団で走りたい」と話していた。大会前に、ライバルと目されていたパリ大会銀メダルの金華(中国)や同4位のダニエル・ロマンチュク(アメリカ)がケガや体調不良で出場を辞退し、「鈴木優位」が予想されていた。だが、昨年大会でも18㎞から独走し、2位を5分以上も離して優勝していた鈴木は今年、「去年の『再放送』 ではなく、(集団で競り合うことで)面白いレースを見せたい」と考えていたからだ。想定よりかなり早い時点でペースアップしたのは、「ハーフまで一緒に行ける選手がいなかった」。そこで、「手を抜くわけにはいかない。それなら、大会新記録を目指すことでレースを面白くしよう」と途中で目標を切り替えたという。
見事に達成したが、内心では不安もあった。今大会に向けて、走り込みも調整も充分とは言えず、「冷蔵庫の余り物でお弁当を作ったみたい」なレースだったと明かす。パリ大会後、長めの休養を取ったからだ。パリ大会の表彰台は、初出場でマラソン7位と悔しさを残した東京2020大会から3年しかない中、急ピッチで仕上げた結果だった。「1分1秒も無駄にできないと、すごくきつい思いをしながら練習し、全てを出し切って獲った銅メダル。上にはまだ金も銀もあるが、自分の中では達成感があった。次のロサンゼルス(2028大会)に向かうには陸上と少し離れ、(心身ともに)安らぐ時間が必要だった」。そんな中で、今大会を好タイムで走り切ったのは地力の強さだろう。
だが、「うぬぼれてはいけない」と気を引き締める。見据える先はもっと、もっと高い。世界のトップ選手たちと比べ自身に足りないものは、「圧倒的なスプリント力」であり、その克服には、「フォームや(手に着ける)グローブなど細かい部分を見直したい」と話す。フォームの見直しには最も効率よくレーサー(競技用車いす)を操るための体の使い方をはじめ、座面の高さや傾斜角度といったレーサーの調整なども含まれる。手に着けるグローブは、レーサーに力を加えるための重要なアイテムであり、高速でこぎ続けたり、急な加速への対応は、「グローブの少しの感覚で違ってしまう。ロスでちゃんとメダルが取れるよう、今年1年かけていろいろ考えたい」と強化プランを口にした。
まずは来年の東京マラソンで3連覇を狙いながら、「強い選手たちと、東京の地で面白いレースができれば」。より見ごたえあるレースを届けるつもりだ。
女子はパリ2024パラリンピックの1位から6位までを含む全9選手が出走した。同パリ大会金メダルで世界記録保持者のカテリーヌ・デブルナー(スイス)が1時間35分56秒の大会新をマークし、初出場で初優勝を果たした。「天気もよく、コースもきれいで、素晴らしいデビュー戦となった」と笑顔で振り返った。昨年は世界王者になったが、「今年もいろいろな挑戦をしたい。とても楽しみ」と充実の表情で語った。
デブルナーと終盤まで競り合い、2位に入ったパリ大会銅メダルのスザンナ・スカロニ(アメリカ)のタイム1時間36分28秒も大会新だった。そんな高速レースのなか、「いいレースができた」と手応えを口にしたのは1時間40分33秒で、日本人トップ全体6位に入った土田和歌子(ウィルレイズ)だ。
約10㎞まで先頭集団に加わり、前半は自己新ペースをキープした。30㎞以降はパリ大会銀メダルのマディソン・デロザリオ(オーストラリア)と5位を争った。最後は1秒差で敗れたが、「世界トップ選手たちが勢ぞろいするレースなので、力試しと思って走った。最後、よく粘ってあそこまで行けたなと思う」と充実感をにじませた。
自身9回目のパラリンピックとなったパリ大会は6位で「日本代表としては一区切り」と言いながら、「エネルギーはまだ有り余っている」とレース後も力強かった。次のロサンゼルス2028大会は「まだボンヤリ」だが、「一戦一戦、こなしていきたい」と、前進しつづけることを誓った。
東京マラソン2025を舞台に、今年11月15日~26日に日本で初開催される「東京2025デフリンピック」の男子マラソン日本代表選考会も実施された。候補選手4名が出場し、日本デフ陸上競技協会の選考規定に基づき、上位2名に入った青山拓朗(台東区役所)と山中孝一郎(日立製作所)が代表に内定した。
青山はスタートから先行し、2時間22分53秒の全体116位でフィニッシュした。自己記録を3分以上、従来のデフ陸上日本記録(2時間25分40秒)も塗りかえた。
「思った以上に日差しが強く、暑くてきつかったが、自分の決めたペースで途中まで行けて、最後は粘って自己ベストが出せた。(コース沿道の)浅草が出身で、職場など地元の方の応援が力になり、走りやすかった」
1996年生まれの28歳。中学校の部活動で陸上を始め、高校・大学と中長距離で活躍。社会人になって一時、競技を離れたが、デフリンピックの存在を知って競技に復帰した。区役所で働きながら市民ランナーとして練習し、2022年、ブラジルでのデフリンピックに男子5000m代表で初選出された。だが、コロナ禍で日本選手団に感染者が出て、チームは途中棄権。青山はスタートできずに帰国した。
その後、東京デフリンピックの開催が決まり、「地元、東京の街を走りたい」と、元々興味のあったマラソンにも挑戦を始めた。出勤前や終業後のジョギングや仲間とのポイント練習に加え、週末には大学の先輩の伝手をたどり、実業団の練習にも参加して走力を磨いた。
昨年、台北で行われたデフ陸上世界選手権では7月の5000mと12月のマラソンでともに銀メダルに輝くなど着実に力を伸ばしている。
「デフリンピックでは金メダルを獲りたい。マラソンランナーとしては練習量(走行距離)が少ないので、故障に気をつけながら練習量を増やし、2時間15分くらいの走りができたら」と目標を見据えた。
2番手でフィニッシュして内定した山中は2時間28分45秒で全体177位だった。この日、青山に更新されるまでの日本記録保持者で、デフリンピックは2009年の台北大会から東京2025で5大会目となる43歳のベテランだ。
「内定を取れてホッとしました。今日はマラソンには暑いかなと思ったが、『2番以内に入ることが大事。自分の走りをしっかりすれば大丈夫』とペースの合う集団の中で、今まで練習してきたことを全て出そうと思って走りつづけた」と笑顔を見せた。
1981年生まれの山中は高校では陸上部、大学ではトライアスロンのサークルに入ったが、日立製作所入社後は運動から遠ざかっていた。3年ほどして、「運動不足解消に」と市民ランナー向けのランニングクラブに入ると、マラソンの才能が開花した。大会にも積極的に挑むなか、活躍を知った日本デフ陸協から声がかかり、世界への道が開けた。
自身2回目の2013年デフリンピックではマラソンで銅メダルを獲得したが、4回目の前回2022年大会は不完全燃焼だった。10000mを10位で終え、マラソンに向けて調整していたが、日本選手団の途中棄権により、スタートラインには立てなかった。
だが、「前回の悔しさは過去のこと。(東京2025大会に向けて)、これまでの経験を生かして練習を積み、メダルを狙っていきたい」と静かな闘志を燃やしていた。
なお、デフリンピックのマラソン代表枠は男女それぞれ1カ国最大3名まである。日本デフ陸協によれば、残る枠については選考委員会で公認大会の成績などから総合的に判断される。その後、青山、山中を含めて理事会の承認などを経て、5月末には正式に代表が決定する予定だ。
東京デフリンピックのマラソンは11月25日、東京高速道路と首都高速道路高速八重洲線の新橋から汐留JCT間を使用した周回コースでの実施が予定されている。
写真/SportsPressJP・ 文/星野恭子