障害の有無や年齢の壁を取り払い、混ざり合って競うことをコンセプトにした、「オール陸上競技記録会2025」が3月30日、東京・夢の島陸上競技場で開催された。同大会は多様性やインクルーシブが提唱された東京2020大会のレガシーとして2022年3月にスタートし、今年で4年目となる。部門分けは「一般」「車いす」「小学生」のみで、予選、決勝はなく、一発勝負のタイムや記録で順位を競う。今年は早春の淡い青空の下、それぞれが冬季練習の成果をぶつけ、自己の目標に挑んだ。
一般男子1500mは、T20(知的障害)戸田夏輝(NDソフト)が3分56秒84をマークし、全体1位となった。戸田は日本パラ陸上競技連盟(以下、パラ陸連)から「2025年度ロスターゲットアスリート」に指定されている期待の新星だ。1組目で出場し、同じT20パラリンピアンの赤井大樹(ワークマン)と激しくトップを争い、最後は0秒48差で競り勝った。赤井も全体2位だった。戸田はレース後、「なんとか粘り抜けてよかった」と息を弾ませた。冬場は山登りや筋トレで体づくりに励んだと言い、今秋の世界パラ陸上競技選手権(*1)初出場を目指し、「もっとスピードを磨きたい」と話した。
同400mでは同じくT20で、パラ陸連の「ゴールデントラック育成枠」に指定されている臼木大悟(KAC)が50秒18で全体2位に入った。フィニッシュ直前でT20男子日本記録(49秒95)を持つ岡田和輝(愛アスリート)に猛追されたが、臼木が同タイム着差ありで競り勝った。「最後は力を振り絞りました」と笑顔を見せた。臼木は同100mと200mの日本記録保持者で、「今年は400mも取りたい。10月のVirtus(バータス)世界選手権(*2)の日本代表になりたい」と目標を口にした。岡田も全体3位に入った。
一般女子400mではT20日本記録(59秒09)を持つ菅野新菜(みやぎTFC)が1分00秒57で全体2位に食い込んだ。今年の初戦で、タイムよりも走りにスピードを乗せる感覚を意識したと言う。1位になった大学生には1秒以上離されたが、「いい目標になった」と振り返り、今年は6月に地元、仙台市でジャパンパラ陸上競技大会(*3)が初開催予定で、「いい走りを見せられるよう、これから上げていきたい」と意気込んだ。
一般女子100mではT11(視覚障害)の白濱顕子(Type-R)が由井玄太ガイドと走り、13秒46でフィニッシュ、全体8位に入賞した。昨年秋から複数のケガが続き調整不足で迎えた今年の初戦だったが、自身のもつT11女子日本記録(13秒43)にも迫る好走に、「ここまで急遽持ってきた感じだったので、これだけ走れて良かったです」と声を弾ませた。約10年前の30代で難病の網膜色素変性症で失明したが、2023年から学生時代まで取り組んでいた陸上競技に再挑戦。着実に記録を戻している。自己ベストは、「たしか25年ほど前に12秒5くらい。まだまだですが・・・。今年は200mでもタイムを出したい」。さらに、世界も見据え、「走り幅跳びにも挑戦したい。いろいろなご縁をもらって、こうして(由井)ガイドとも出会えたので、年齢は言い訳にせず、頑張りたい。視覚障害者は一人では走れないので、ガイドのことももっと知ってもらいたいと思っています」と、尽きない意欲を見せた。
シーズン初期ながら、日本新記録が2種目で樹立された。まず、T36(脳原性まひ)で東京、パリと2大会連続のパラリンピアン、松本武尊(AC KITA)が初挑戦の一般男子1500mで5分11秒55をマークし、T36男子の日本記録を2秒25更新した。「今季初戦だったので記録は狙えないだろうと、本職の400mはパス」して、100m(12秒36)と以前から挑戦したかった1500mに出場したという。1500mは「きつかった」と振り返り、再挑戦は笑顔で否定。だが、冬季練習で肉体改造に取り組み、昨年から10㎏ほど増量し、筋肉も増やした。「以前より、疲労感がなくなり、体幹が強くなって走りが安定して、400mのカーブ対策になる」と手応えを語った。今年は秋の世界選手権(*1)を大きな目標に、国内を中心にレース出場を重ねるプランを口にした。
もう一つの日本記録はT20d(ダウン症)の矢下博久(SRC)が一般男子100mでマークした14秒37だ。T20d男子の従来の記録を0秒03更新した。この日は協賛社から、T20クラスのみ日本記録ボーナスが贈呈されることになっており、トロフィーを手にし、「嬉しいです」とはにかんだ。矢下は4年前の第1回大会にも出場し、スペシャルリレーなどで活躍している。自身2回目の本格的な競技会出場だったが、その日はちょうど、「世界ダウン症デー」と重なっており、併催されたダウン症の人を対象にした「かけっこ教室」にも参加した。その後、陸上のクラブチームに入部して練習を重ね、出場できる大会には積極的に参加して経験と記録を伸ばしている。父の孝博さんも、「楽しそうだし、たくましくなっていますね」と目を細めていた。
T52(車いす)のエース、佐藤友祈(モリサワ)も今大会が今年初戦。試行錯誤中だというレーサー(競技用車いす)のホイール(車輪)の調整具合のテストも兼ね、車いす男子の2種目に出走し、100mは全体3位(17秒74)と400mでは全体2位(59秒39)でフィニッシュした。「タイムはぼちぼち。ホイールは自分に合うタイプを見極めていきたい」。また、パラ陸連が3月27日に発表したロサンゼルス2028パラリンピックに向けた連盟スローガン「挑め未来!」を受け、佐藤は、「パリパラリンピック(2種目銀)で受けた雪辱をロサンゼルスで果たしたい」。パリ金で現世界記録保持者、マキシム・カラバン(ベルギー)の打倒に挑むことを誓っていた。
T34(車いす)女子のパラリンピアン、小野寺萌恵は車いす3種目に出場した。100m(19秒98)、400m(1分10秒85)、800m(2分24秒16)といずれも自己ベストには届かず、目指していた世界選手権(*1)の派遣記録突破も逃し、「悔しいです」と振り返った。冬季練習ではパラリンピアン、樋口政幸にアドバイスされ、車いすをこぐための重要な用具、グローブを柔らかいものから樹脂製の固い物に変えたという。感覚がかなり異なるため、「いい感じだが、まだ慣れが必要」と言い、練習を重ね、結果につなげていく。
T63(片大腿義足)の近藤元(積水化学)は2種目に出場。まず、一般男子走り幅跳びで試技3本目に義足の膝のパーツが破損するトラブルで、記録は2本目の6m04に留まったが、全体5位に入賞。また、100mでは追い風参考ながら自己記録以上の13秒03をマーク。「去年よりもスピードが上がって、走り幅跳びも動きがよく、空中動作もよくなっている」と好調な調整ぶりを伺わせた。昨年からアスリート雇用の社会人となり競技環境が良くなって充実した練習ができているという。3年後のロサンゼルス大会初出場を目指し、「今は焦らず、コツコツと基礎の徹底を大切にしている。ケガもなく練習が積めて、筋トレで瞬発力も上がって走りが力強くなりました」と、成長を実感。世界選手権(*1)を目指し、「日本選手権(*4)で派遣標準を切りたい」と前を見据えた。
一般女子100mと400mに初出場した中村美莉(東京陸協)は、「トラックに、本当に久しぶりに帰ってこられて、すごく嬉しいです」とほほ笑んだ。昨年11月に骨肉腫治療のため左脚を膝上から切断。今年2月から板バネ(競技用義足)で走る練習を始めたばかりだというが、見事に2種目完走を果たした。2002年生まれの22歳で、高校卒業までは陸上競技やクロスカントリー競走に取り組んでいたが、大学入学後に発症し、約2年間の闘病生活を過ごした。治療中は担当医から、「また走れるか分からない」と言われていたが、その後、義肢装具士の臼井二美男さんと出会い、この日の笑顔へとつながった。「臼井さんは、『走れるようになるよ』と言ってくれて、希望をもらえました。これからは自主練習もして、臼井さんから言われた、『板バネを血が流れているかのように、自分の足のようにすること』が目標です。将来的には他のパラの選手にも負けないぐらい頑張りたい」と目を輝かせた。
今年11月の東京2025デフリンピック出場を目指す岡田美緒(MURC)は一般女子1500mにエントリーしていたが、前日、別の大会で今季初戦を走ったことから、この日は体調優先で急遽、欠場した。囲み取材には応じ、「昨日は雨で気温も低く厳しかったが、初戦のベストが出た。冬季の長距離練習の結果が出てホッとしている」と手話通訳士を介してコメントした。5月上旬にデフリンピック日本代表選考会を兼ねた日本選手権(*5)を控え、派遣標準の4分39秒切りを目指しており、「4月はレースを重ね、実戦感覚を養いたい」と話す。岡田は東京出身であり、「地元開催のデフリンピックは特別。観戦無料なのでぜひ会場で観戦し、ろう者の世界も感じてほしい」とPRした。
「オール陸上」はトラックシーズン幕開けの大会として、幅広い選手のそれぞれの目標達成の場として、定着しつつある。今後の継続開催や、さらに同様のコンセプトの大会が他地域にも広がっていくことが期待されている。
<今後の主な陸上競技大会>
*1: 世界パラ陸上競技選手権(9月26日~10月5日/インド・ニューデリー
*2: Virtus(国際知的障がい者スポーツ連盟)世界選手権(10月8日~15日/オーストラリア・ブリスベン)
*3: 2025ジャパンパラ陸上競技大会(6月7日~8日/仙台市・宮城野原公園総合運動場弘進ゴム アスリートパーク仙台=仙台市陸上競技場)
*4: 第36回日本パラ陸上競技選手権大会(4月27日~28日/愛媛県松山市・ニンジニアスタジアム)
*5: 第22回日本デフ陸上競技選手権大会(5月5日~6日/埼玉県熊谷市・熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)
写真/SportsPressJP・ 文/星野恭子