聴覚に障害がある選手たちがプレーするデフサッカーの男子日本代表が4月2日、国立競技場を舞台に、日本フットボールリーグ(JFL)で今季首位を走る(4月2日時点)強豪、クリアソン新宿とエキシビションマッチを行った。この試合は11月に日本で初開催される聴覚障害のあるアスリートの国際総合競技大会、「東京2025デフリンピック」に向けた大会機運の醸成やデフ代表の強化を目的に開催された。日本のデフサッカー史上、“聖地”での試合は初めてという画期的なマッチで、約3,800人が応援に駆けつけた。デフ代表は善戦するも0-2で敗れたが、初の金メダル獲得を目指すデフリンピックに向け、強豪との実戦や大観衆での試合など貴重な経験を積む機会となった。
デフサッカーの基本的なルールは11人制サッカーと同じだが、プレー中は補聴器などの補装具は外さねばならず、「音のないサッカー」とも言われる。そのため、主審は笛だけでなく、フラッグ(手旗)も併用し視覚的に合図する点が大きな特徴だ。2人の副審に加え、国際試合などでは他に両ゴール付近にも一人ずつフラッグを持つ人が配置され、合計5本のフラッグで多方向から反則やプレーの停止といった情報を選手に伝える工夫がされている。選手同士やベンチとのコミュニケーションには手話やジェスチャー、アイコンタクトなどが使われ、監督がボードに文字を書いて戦術や残り時間などを伝えることもある。
昨年5月に就任した、デフ代表の吉田匡良監督は試合後、「国立は“聖地”。そんな素晴らしい場所で、こんなにたくさんの皆さんと一緒に、サッカーができてすごく幸せです。クリアソンは素晴らしいチームだし、リーグ戦があるなかで(の対戦には)感謝しかありません。負けたことは悔しく、ゼロで抑えたかったし、1点取りたかった。そこは悔いが残ります。でも、選手たちは全力で戦いました」と振り返った。さらに、「ここはデフリンピック優勝への通過点。チームとして攻撃力をさらに上げて、本番に臨みたい」と意気込みを話した。
ゴールキーパーで主将の松元卓巳は日本代表歴19年になるベテランだ。試合直後は、「日の当たらない代表が、夢の舞台でプレーするなんて考えられなかった。今日は皆さんのおかげで素晴らしい機会をいただきました」と感謝の思いを口にした。試合前の国歌斉唱時で涙をにじませたが、「これまでの苦労や昔の仲間たち、支えてくれた人々を思いながら、続けてきてよかった。今までのことが実を結んだかなと感極まった」と話し、「デフリンピック優勝に向けて、頑張ります」と約束した。
試合はキックオフから激しく攻め込むクリアソンに対し、デフ代表は松元GKの好セーブなど守備陣の粘り強いプレーでしのぐ展開となった。ボールを持っても相手のプレッシャーが強く、なかなか前線につながらない。逆に前半21分、デフ代表はクリアミスを拾われ先制ゴールを許してしまう。だが、その後は立て直して追加点は許さず、前半は0-1で折り返した。
1点を追うデフ代表がハーフタイムに戦術の確認を綿密に行うと、後半は連係の精度が高まり、ボールを回して相手陣内に侵入するなど好機も増えた。だが、あと一歩、ゴールには届かず、逆にアディショナルタイムに追加点を奪われ、敗れた。
吉田監督は、「失点は2点とも我々の連係面での技術的なミス。『聞こえないこと』は言い訳には絶対にしない。ああいうところを埋めていかないと世界では戦えない。選手には、『5秒に1度、周りを見よう』と指示しているが、今日は緊張感もあり、十分ではなかった。(大舞台での)慣れも必要。今日はいい経験をさせていただいた。今後の合宿で、さまざまな相手との実戦経験をできるだけ増やし、経験値を増やしたい」と前を向いた。
松元主将は「ボール回しのミスから先制されたが、チャレンジした結果。きれいなシュートを打たれたわけではなく、試合を通して守備では自信を持てた」と話した。また、試合中、大きな声でチームを鼓舞するシーンも見られたが、「選手たちには聞こえていません。でも、何か伝わればという思いと、自分自身の集中力や士気を高めている部分もある。それが僕のプレースタイル」と説明。スコアレスについては、「僕らが目指すのはボールをつないで運びながらサイドのポケットを狙っていくサッカー。今日はクリアソンの堅い守りに阻まれた。僕らの試合ではベンチからのコーチングは少ないので、試合中、選手たちで考えながらやっていく力が必要だ。失点はしたが、クリアソンのようなスピードもあって強く、組織として守備をしてくる相手に対してもボールを回せていた部分もあったので、次につながる経験になった」と話した。
この日、サイドハーフに入った古島啓太副主将は、「(クリアソンは)トラップがすごくて、技術の差を感じたし、試合の入り方などの経験値が高く、僕らがやりたいサッカーをさせてくれなかった。僕はサイドに張ってボールがくるのを待っていたが、ボールが来なくてゴールまで遠かった。試合の中で修正し、変えていくというプレースタイルを作らなければいけないと感じた。チームとしてもいろいろなバリエーションでのビルドアップが必要だ。交替メンバーも含め、全員がビルドアップできるよう、合宿で底上げしたい」と課題を口にした。一方、「後半は僕らのボール保持率が高かったと思う。強い相手にボールを回して繋げられたことは自信にしたい」と手応えを話すともに、普段の合宿は人工芝のピッチが多いが、天然芝での試合はデフリンピック本番を見据えると、「いい経験になった」と話した。
フォワードの岡田拓也もスコアレスについて、「非常に悔しい。動き出しや後ろから押し上げるビルドアップの部分が明確な課題だと分かった。徹底的に突き詰めて、デフリンピックまでにしっかり改善したい。この敗戦を糧に出直したい」と意気込んだ。
クリアソンの北嶋秀朗監督は試合後、「豊かさ溢れる空間だったというのが率直な感想。涙を流しながら国歌を歌っている松元選手の姿に、(デフ代表の)思いもすごく感じられ、僕らとしてもいい刺激になった。(デフ代表は)、「心がいいチーム。フェアだが、激しくて熱く、とてもテクニカル。デフリンピックではぜひ優勝してほしい。現地にも行きたいが、試合が入っていて難しい。できる形で応援したい」とエールを送った。
クリアソンの須藤岳晟主将はデフ代表から、「いろいろなことを学ばせてもらった」と振り返った。「ボールへの)集中力や研ぎ澄まされた鋭さ、『ここだ』と思った時のパワーの出し方などが優れていると感じた。聞こえにくい、聞こえないというのは1つの違い。健常者でも足の速い選手もいれば遅い選手もいる。特徴が違う選手たちが自分の強みを見つけて戦うのがサッカーの面白いところ。デフ代表からは言葉や声だけじゃないコミュニケーションの方法を学んだ。自分たちも改めてコミュニケーションを大切にしたいと思う」と話した。
デフサッカーやブラインドサッカーなど7つの障害者サッカー団体を統括する日本障がい者サッカー連盟の北澤豪会長はこのマッチを、「歴史的なこと」と喜ぶとともに、「自分たちだけでは開催できなかった。クリアソン新宿には(この試合の意味への)理解があるし、他に影響力を与えられるクラブは素晴らしい」と感謝した。デフ代表の失点シーンは、「コミュニケーションの問題。耳が聞こえないからではなくて、サッカーには普通にあるミス。本番でなくてよかった」と今後の修正力に期待を寄せ、「地元開催のデフリンピックでは金メダルを獲得しなければ」と代表を鼓舞した。
東京デフリンピックでのサッカー競技は男女とも、福島県のJヴィレッジが会場で、11月14日から25日に競技が行われる。デフ代表は2023年には19カ国が参加して行われた「第4回ろう者サッカー世界選手権(デフサッカーワールドカップ2023)」でチーム史上最高の準優勝を果たした。昨年の「第10回アジア太平洋ろう者競技大会(アジア大会)では優勝し、デフリンピックにはアジア王者として臨む。
この日の観客席ではデフリンピック盛り上げの一環として、耳の聞こえない・聞こえにくい選手に向けた「サインエール」という新たな応援方法も試行された。これはデフアスリートらが考案した手話をベースにしたオリジナルのジェスチャーによる“目で見える応援”だ。観客席の一角でリーダーの掛け声の下、観客数百人がサインエールに挑戦。統一感あるジェスチャーで選手にエールを送った。松元主将は、「(声援は)聞こえないが、たくさんの人が一緒に手話や動作をしてくれれば見える。熱気も伝わってきたし、すごいパワーになった」と感謝した。
吉田監督はデフリンピック初制覇に向けて、「心に響くサッカーで何かを感じてほしいと思っている。そのために我々は全力で戦います」と健闘を誓った。デフ代表は日の丸を背負う意味や覚悟を胸に刻み直し、前進し続ける。
写真/吉村もと・ 文/星野恭子