パラパワーリフティングは下肢に障害のある選手が台上に横たわり、上半身の力だけで重いバーベルを押し上げて競う。シンプルな動きのなかに、筋力だけでなくさまざまな技術も必要とする奥深さも魅力の競技だ。チャレンジカップは全日本選手権とは異なり、初心者からパラリンピアンまでさまざまな選手が出場できる貴重な大会で、8回目となった今年は6月27日から28日にかけて「第8回パラパワーリフティングチャレンジカップ京都大会」として京都府のサンアビリティ城陽で開催された。
とくに今年は10月にエジプトのカイロで行われる世界選手権の日本代表選手最終選考会も兼ねていた。同世界選手権は2028年ロサンゼルスパラリンピックの出場要件であるパスウエイ(出場必須の5大会)の一歩目となる重要な大会だ。その代表入りを狙った選手たちや、自分越えを目指した選手など、それぞれ力強いチャレンジの連続だった京都大会をリポートする。
京都大会で最も会場をどよめかせたのは男子97㎏級の田中翔吾(三菱重工高砂製作所)だ。第1試技で180㎏を軽々と挙げたものの、まさかの失敗判定。修正して臨んだ第2試技では同重量をクリーンに成功させた。迎えた第3試技は2日間の熱戦を締めくくる最終試技者として登場し、挑んだのは195㎏。一気に15㎏もの重量アップに、険しい眼差しでベンチ台に横たわった田中だったが、胸まで下げたバーベルを見事に押し上げた。ほっとしたように表情を緩め、成功判定を確認すると、台から立ち上がって「ウオー」と雄叫び。従来の97㎏級日本記録を24㎏も伸ばす新記録の誕生に、観客も大きな拍手で応えた。
競技歴9年になる田中は今大会、これまでの88㎏級から1階級上げていたこともあり、「195㎏は取りたいと思っていた」という。第1試技を失敗し、プランは狂ったが、「珍しく家族の応援もあったので、かっこいい姿も見せたかった。15kgジャンプは正直、怖かったけど、(バーベルを)受けた瞬間、『もらった』と思った」と、充実の表情で振り返った。この結果により世界選手権は2階級で派遣標準を突破したが、カイロ大会には88㎏級で挑む予定だと言い、現日本記録の198㎏を「越えに行く」と誓った。
男子65㎏級は日本記録(162kg)保持者の奥山一輝(サイデン化学)が制した。4月下旬に大きく体調を崩し、調整不足だったというが、第3試技で150㎏を成功させ、「このまま調子が良くなっていくのではないかと感じられた」と安堵の表情で語った。すでに派遣標準は突破している世界選手権では海外選手の状況把握とともに、165㎏以上を挙げて日本記録を更新したいと目標を口にした。
同80Kg級では、パラリンピック3大会出場のベテラン、大堂秀樹(SMBC日興証券)が160kgの記録で2位だった。88㎏級の日本記録(198㎏)保持者ながら、今大会直前に体調を崩して本来の力は出せなかったが、昨年、肩を手術して長年の痛みが消えたそうで、「希望がある」と前を向く。すでに80㎏級の派遣標準はクリアしており、世界選手権では「レジェンド(45歳以上)カテゴリーのアジア記録(192㎏)を更新したい」と意気込んだ。
50歳の大堂を破ったのは競技歴4年目の27歳、日野雄貴(シンプレクス・ホールディングス)だ。第1試技で168㎏を成功させ、大堂をリード。次の175㎏は惜しくも失敗判定だったが、第3試技では一気に派遣標準記録の178㎏に挑む。「今回は『世界でもしっかり戦える』とアピールすることが必要だった。『意地でも挙げてやるぞ』と気合を入れた」と振り返った通り、苦しみながらもバーベルを挙げ切った。不成功と判定されたが、「パワーと成長力は見せられたかな」と手応えを口にした。
健闘した日野について大堂は、「若い子が出てくるのは楽しみ。僕もまた火がついてくるので、(競技)全体が底上げされる」と歓迎。「この競技の魅力は年齢の壁がなく、上下関係がないところ。10代から始める人もいれば、50代でも全然戦える。強い人が尊敬される」とも話した。
女子55㎏級の中村光(日本BS放送)は73㎏を挙げ、自身のもつ日本記録を1kg更新した。目指していた派遣標準記録(77㎏)には届かなかったが、「(日本新達成は)よかった。次の大会で(さらなる高みに)挑戦したい」と前を向いた。
男子72㎏級を制した宮本リオンはアーチェリーでパラリンピック出場経験があるが、約2年前に競技転向。第2試技で105㎏を挙上し、自己ベストを15㎏更新した。第3試技の107㎏は挙げられず、「3本取ることが今日の最低限で最大限の目標だったので残念。でも、もっと挙げられると思う」とうなずいた。41歳の宮本は競技転向について、「年齢的に最後の挑戦と思い、何か初心者から始めたかった」と言い、試行錯誤する中で友人に誘われてパワーリフティングに出合った。トレーニングや準備にかける時間に比べ、試合は一瞬で結果が出る競技であり、他の競技よりも緊張感が高いと感じるが、「そこが面白くて、いいなと思った」と振り返る。当座の目標は、「自分にチャレンジすることが1番。いつか全日本選手権に出られれば」と力を込めた。
2人の10代選手も自己ベストをマークし、成長を示した。一人は男子49㎏級の高校2年生、飯沼世成で75㎏、80㎏、82㎏を全てパーフェクトでクリア。自己記録を11㎏更新するとともに、ルーキーカテゴリーの日本新記録も樹立した。「観客の中で競技できて楽しかった。次も記録更新できるように頑張りたい」と笑顔を見せた。パワーリフティングには車いすバスケットボールのトレーニングで出合ったが、競技としての面白さを感じ、今は相乗効果を感じながら二刀流に挑んでいる。
もう一人は同72㎏級で高校3年の小針雄介だ。第1試技で90㎏をクリーンに上げ、自己記録を10㎏積み上げた。つづいて95㎏に挑戦し、粘り強く押し切ったが、赤判定。第3試技は挙げ切れず、「体力が残っていなかった。でも、学校があるので練習は週2回という中で記録を伸ばせたことは嬉しい」と話した。小針も車いすバスケの選手だったが、約1年半前に選手発掘イベントでパワーリフティングに出合い、今は「挙げ切ったときの爽快感がいい」と転向。1学年下の飯沼の存在は、「切磋琢磨できるいい関係。負けていられない」と、さらなる成長を誓った。
男子59㎏級の戸田雄也は世界選手権派遣標準記録(155㎏)をクリアできず、大会後に現役引退を表明した。第1試技で自己ベストとなる150kgを挙げて意地を見せたが、「多くの協力の下でやってきたので、ダメなら辞めようと決めていた。ピークで辞める。そこまで懸けてきた」と涙をにじませた。10年を越える競技歴を振り返り、「世界が広がった。ケガをする前よりも充実した人生というか、いろいろな楽しみがあった」とうなずいた。今後は、これまで二刀流で挑んできた車いすカーリングに専念し、2030年の冬季パラリンピックを目指す意向を示した。
女子73㎏級の坂元智香(Ponta)は自己ベスト(75㎏)更新を狙ったが、今大会は72㎏で終えた。79㎏級で日本女子初のパラリンピアンとなり東京大会で8位入賞を果たしたが、その後は肩を故障。苦しみながらも階級を下げたり、フォームを見直したりして競技を続けている。モチベーションは、「少しでも長く選手として活躍したい」という思いだ。一番身近で見守ってくれる夫を始め、所属先などサポーターたちがいれば、「まだ強くなれる。『もう無理』と思うところまでは泥臭くやりたい」と決意を新たにしていた。
なお、日本パラパワーリフティング連盟は選考委員会を経た7月7日、カイロ世界選手権の日本代表11選手(男子9、女子2)を発表した。チャレンジカップで果敢に挑んだ日野も初の代表入りを果たした。「アスリートとして世界で勝負できることが競技を始めた最初の目標だった。『やっとスタートラインに立てた。これからが勝負だ』。そんなホッとする気持ちと奮い立つ気持ちが入り乱れている。まずは初戦である世界選手権を全力で戦って魅せます」と連盟を通してコメントを寄せた。
カイロ世界選手権は10月11日から18日まで、また、今年度の全日本選手権は来年1月17日、18日に開催予定だ。選手たちのさらなる挑戦と飛躍に期待したい。
<カイロ世界選手権大会日本代表選手>
女子61㎏級 桐生寛子
女子79㎏級 田中秩加香 (京西電機)
男子49㎏級 西崎哲男 (乃村工藝社)
男子54㎏級 市川満典 (コロンビアスポーツウェアジャパン)
男子59㎏級 光瀬智洋 (エグゼクティブプロテクション)
男子65㎏級 奥山一輝 (サイデン化学)
男子72㎏級 樋口健太郎 (コロンビアスポーツウェアジャパン)
男子80㎏級 大堂秀樹 (SMBC日興証券)
男子80㎏級 日野雄貴 (シンプレクス・ホールディングス)
男子88㎏級 田中翔悟 (三菱重工高砂製作所)
男子107㎏級 佐藤和人
写真・文/星野恭子