早朝から青空が広がった5月12日、「ITU世界パラトライアスロンシリーズ」の今季初戦となる横浜大会が横浜市山下公園周辺特設コースで行なわれた。雨中だった昨年大会に比べて、スタート前の気象コンディションは気温17.8度、水温17.1度と好条件でのレースとなり、出走した70人の世界トップ選手の中には、好タイムを記録した選手も少なくなかった。
リオパラリンピックで6位入賞し、PTS2クラス(立位・大腿切断など)に出場した秦由加子(はた ゆかこ/マーズフラッグ/稲毛インター)もそのひとりだ。だが、ゴール後、待ち構える報道陣の前に立った途端、大きな瞳からは涙があふれ出し、秦は両手で顔を覆った。
昨年は4位となり、表彰台を目指して臨んだ今年、秦はゴールタイム1時間25分36秒と、自身のコースベストではあったものの、同クラス女子7人中6位。得意のスイムでトップに立つも、バイク、ランと徐々に順位を落とし、優勝したアリッサ・シーリー(アメリカ)からは8分近く遅れてのゴールだった。
「たくさんの応援、ありがとうございました。結果につなげられなくて、すみません。これからまた、がんばります……」
絞り出した言葉は、感謝とお詫びと、決意だった。
レースに手応えはたしかにあった。苦手なバイクで食らいつき、ランも好タイムをマークした。だが、武器であるスイムはトップで上がるも、圧倒的なリードは奪えなかった。
「やらなければならないことは、まだたくさんある」。
世界も成長し、その差が詰まっていないことを痛感したのも、また確かだ。
「今回の課題をコーチと明らかにして、今後の練習で意味あるものを積み重ねていかねばならない。必ず、やっていきます」
1981年生まれの秦は幼いころから水泳に取り組んでいたが、13歳のとき、右脚に骨肉腫を発症し大腿部から先を切断。義足生活になって以来、しばらくスポーツから離れていた。社会人となり、地元で障がい者の水泳チームが発足したことを機に水泳を再開。泳げる喜びを力に変え、2010年にはパラ水泳日本代表として、アジアパラ競技大会(中国・広州)にも出場した。
しかし、2012年ロンドンパラリンピックへの出場は叶わず、心機一転で始めたのがトライアスロンだった。
距離はオリンピックのちょうど半分で、スイム750m、バイク20km、ラン5kmの合計25.75kmで競うが、ひとりで3種目をこなしてゴールを目指す過酷さは同じだ。
スイム以外では、ほぼ素人だった秦にとって大きな挑戦だった。義足で走った経験はほとんどなく、競技用自転車を漕ぐために義足の改造も必要だった。左右の脚筋力が異なるため、トレーニングにも工夫が不可欠で、さまざまな痛みもついてまわった。
それでも苦労が大きいほど、ゴールでの達成感は格別だった。トライアスロンに魅了された秦は次第に、国内外で存在感を放ちはじめる。2014年から出場している横浜大会をはじめ、ワールドカップなど世界大会でも表彰台に立つようになる。そして、トライアスロンが初めて正式競技となったリオパラリンピックの代表も勝ち取った。
だが、表彰台を目指したリオでは6位入賞にとどまる。「もっと強くなりたい!」と、秦はリオ後、競技環境にさまざまな変化を加えていった。
まず、ラン用の義足から膝継手(ひざつぎて)というパーツを失くした。人間の膝の代わりをする重要なパーツだが、正しい角度で脚を接地しないと、膝がカクンと折れる「膝折れ」を起こすリスクがあり、転倒してケガにもつながりかねない。膝継手のない義足なら膝折れの恐怖感がなく、脚を思い切り振り出せるメリットがある。トライアスロンのコースは坂道や凸凹のある路面も多いため、海外では早くから取り入れている選手もいた。
ただし、長年、秦の義足の制作や調整を行ない、アスリートとしての成長を見守ってきた義肢装具士の臼井二美男氏によれば、膝継手を使わずに走るのは膝継手の使用時よりもエネルギー消費量が多く疲れやすいため、使いこなすための体力や筋力が必要だという。
実際、数年前に膝折れの不安解消にと提案したときは、秦はまだ使いこなせず、すぐに疲れてしまったという。だが、ここ数年のトレーニングで身体が強化され、ようやく導入できるようになったのだ。
「大腿義足で5kmを完走できる女子は、日本では秦さんしかいない。すごいことです」
数多くの義足選手をサポートしてきた臼井氏も、秦の進化に太鼓判を押す。
また、タイヤメーカー、ブリヂストン社の支援を受け、耐久性とグリップ性を両立させた義足用ソールも完成し、大きく一歩を踏み出したときに義足の先が滑ってしまう不安も解消された。こうした義足のさまざまな改良もあり、ランのタイムは上がっている。
秦は所属会社にかけ合い、練習時間を以前より増やした。また、代表合宿とは別に、オリンピック選手たちが世界から集まるタイの練習場で自主的に長期合宿を行なうようにもなった。パラ選手は自分だけという環境のなかで、実力者たちに食らいつく練習は厳しいが、得るものも大きい。
こうした、競技を支えるテクノロジーの充実や周囲の協力による競技環境の整備、そして、きつい練習に立ち向かう意志。さまざまな努力を重ねてきたことで、今大会を前に成長の手応えは十分に感じていた秦。「いい状態でスタートラインに立つことができた」からこそ、結果を出せなかった悔しさや不甲斐なさが大粒の涙になったのだ。
大きな目標として掲げる東京パラリンピックまでの「あと2年」について、秦は涙をぬぐい、こう言い切った。
「あっという間だったと思うか、十分な時間だったと思えるかは、これからの自分次第。『たっぷり時間があった』と思ってスタートラインに立てるように、しっかりがんばりたい」
多くの応援を力に変え、結果で恩返しするその時まで、「まだ2年」ある。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko photo by MATSUO.K/AFLO SPORT