「車いすテニス界のロジャー・フェデラー」
男子テニス界の“生きる伝説”の名になぞらえ、彼は、そのように呼ばれている。
四大大会シングルスの優勝回数は「22」。パラリンピックの金メダルは、単複合わせて3つ獲得。34歳を迎えて今なお、国枝慎吾(ユニクロ)は世界の頂点に君臨している。
ところがその彼が、まだ唯一、手にしていない栄冠が存在する。それが、ウインブルドン・シングルスのトロフィーだ。
もっともそれには、理由がある。
ウインブルドンで車いすシングルスが開催されるようになったのは、2016年のこと。その記念すべき第1回大会は、ひじの手術のために出場を見送らざるを得なかった。翌年もひじのケガからの復帰に苦しめられた国枝は、準決勝で無念の敗退。いまだ彼の輝かしい履歴書には、ウインブルドンの欄のみが空白のままになっている。
その国枝が、今年は1月の全豪、そして先の全仏優勝を携(たずさ)えて「テニスの聖地」へと帰還する。それも、この2年近く取り組み続けてきた、新たなプレースタイルを携えてだ。
2016年春にひじにメスを入れるも慢性的な痛みに苦しめられた国枝は、抜本的な解決を求め、ラケットからフォームに至るまで、徹底的な見直しをはかった。
もちろん、彼を絶対王者の座に押し上げたスタイルを変えることに、恐れがなかったわけはない。とはいえ、以前の打ち方では、ひじに痛みが出てしまう。ただ、フォームを変えて痛みが消えたところで、勝てなければ意味がない――。その葛藤のなかで戦い続けた2017年は、四大大会シングルスのタイトルから見放された。
「もしかしたら、このまま完成せずにキャリアが終わっちゃうのかな……」
そんな失意と迷いに襲われたことは、一度や二度ではなかったという。
それでも彼を突き動かしたのは、王者のプライドを基幹とする、「それではつまらないな」という不敵なチャレンジ精神だ。
新スタイル完成を目指して技を磨き、同時に今年1月の全豪には、メンタルトレーナーのアン・クインに帯同を依頼した。クインは2006年に、世界1位に上り詰めた国枝を支えた重要人物のひとり。それから10年以上の時が流れ、ふたたび頂点を目指して山を登り始めた国枝は、原点回帰と言わんばかりにクインの指導を求めたのだ。
そのうえで国枝は、プレー面ではさらなる新境地開拓を目指す。より攻撃的で早い展開力を志向して、この春から新たなコーチに師事し始めたのだ。新コーチの岩見亮(たすく)は、ネットプレーを得意とする。
「今後さらに進化していくためには、前での勝負が必要になる。ネット前のプレーを見直していきたいので、ネットプレーが上手な岩見さんからどんどん教わっていきたい」
まるで若手選手のように向上心を熱く語る国枝は、「まだ僕のなかで、眠っている引き出しがあるんじゃないかと。それを引き出してもらえるような指導を求めていた」と言った。
ウインブルドンを制するためのカギも、新コーチとともに模索しているものだろう。
2バウンドまで許される車いすテニスでは、サーフェス(コートの種類)に応じた戦術の変化が、一般のテニス以上に求められる。芝のウインブルドンで威力を発揮するのが、遅いハードコートやクレーではあまり効果的ではなかったスライスだ。
現在の国枝の最大のライバルは、攻撃テニスを身上とする20歳のアルフィー・ヒューイット(イギリス)。芝を得意とするこの地元イギリスの若い力に打ち勝つためにも、全仏優勝後の国枝は、早くも「芝に向けて、スライスの練習を徹底していきたい」と言った。
1月の全豪を制したとき、地元記者から国枝に「復帰を果たしたシンゴ・クニエダが、次に向かうステージはどこなのか?」との質問が向けられた。
“車いすテニス界のフェデラー”は、顔中に笑みを広げて即答した。
「New SINGO is coming!」
――新しいシンゴがやってくるんだ――と。
その「新生シンゴ」誕生の証(あかし)には、まだ手にしていないウインブルドンのタイトルが相応しい。
◆全豪×、全仏○、ウインブルドンは? 上地結衣、ライバルと最終決戦へ>>>
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki photo by AFLO