上地結衣(エイベックス)がグランドスラムに参戦するようになってから、7年の年月が流れようとしている。
明るい笑顔と折り目正しい態度が印象的な少女は、今や女王の貫禄漂う24歳へと成長した。2014年には、ダブルスで4大大会すべてを制する「年間グランドスラム」を達成。21歳135日での快挙は「車いすテニスの最年少記録」として、ギネスにも認定された。
そんな女子車いすテニス界の女王が、まだ唯一手にしていないタイトルが存在する。それが、2016年から正式種目となったウインブルドンのシングルスだ。
11歳から車いすテニスを始め、14歳のときには国内のトップに君臨した上地の武器は、左腕から繰り出す多彩なショットと、巧みなチェア制御技術に依拠(いきょ)した機動力にある。17歳で世界を舞台に戦い始めたサウスポーは、その3年後にはグランドスラムを達成。世界ランキングも1位へと駆け上がり、押しも押されもせぬ絶対的な女王へと成長した。
だが、わずか20歳にして追われる立場となった彼女には、厚い包囲網が敷かれるようになり始める。かつてない高度な戦略や技術をもたらした小柄な女王の存在は、周囲を奮い立たし、女子車いすテニス全体のレベルを引き上げもした。
以前なら、女子選手はサーブが弱く、リターンからのアタックが効果的だったが、最近では高いフィジカルと技術を兼備し、サーブで主導権を掌握する選手も台頭する。それら、上地の背を追う馬群のなかから頭ひとつ抜け出したのが、昨年のウインブルドン・シングルス優勝者でもある、現世界1位ディード・デグルート(オランダ)だ。
上地より3歳年少のデグルートは、鍛え上げた上半身から繰り出すスピンショットを左右巧みに打ち分けるアタッカー。上地とデグルートは2014年に初対戦し、以降約3年間は上地が圧倒したが、その力関係に変化が見え始めたのは昨年末のこと。今年1月の全豪オープン決勝も含め、上地はこの成長著しい挑戦者に3連敗を喫していた。
上地がデグルートを強く意識していることは、先月の全仏オープン対戦時に残した言葉にも、克明に刻まれている。
対戦を迎える前に、上地はデグルートのクレーでの試合動画を複数観戦し、対戦相手が取った策のなかで効果的なパターンをいくつか頭に入れていたという。それは、スライスなどの低い弾道のショットを左右に散らしていくこと。また、チェアワークの小回りが効きにくいクレーの特性を活かし、同じコースに続けて打つことも目についた対策のひとつだった。
そうした映像から得たプレーのイメージは、実際に決勝でデグルートと対戦した上地を助ける。第1セットは今までどおり、「自分のショットの精度を高め、回転をかけて高いところで取らせることを意識した」が、相手にことごとく攻略された。
「このままでは埒(らち)が明かない」
そう感じた上地は、セットを失い後がなくなった場面で、頭の片隅にあった前述の策を試してみる。すると、戦略の変化に相手も戸惑いを覚えたか、上地も「予想外」と驚くまでにハマった。
この戦術変更が奏功し、上地が逆転勝利で頂点へ。全仏2連覇を達成したが、それ以上に「彼女に続けて負けていたので、それを止められたことで気持ち的にスッキリした」と、上地はライバルに勝てたことを喜んだ。
ただし、全仏決勝で取った戦法は、必ずしも彼女の望むテニスだったわけではない。「あくまで自分が目指すプレーをやるまでの、前の段階だと捉えています」。その言葉には、高いレベルでの独自のスタイル確立を標榜する、女王のプライドがにじむ。全仏では披露のチャンスが少なかったが、「新しいポイントの獲り方に取り組んでいる」とも言った。
また、車いすそのものにも着目し、新しいチェアを試してもいるという。そのなかでやはり気になるのは、デグルートの動き。「ディードがどんなことをやっているのかも見ています」と、ライバルの成長や取り組みにも注視を向けている。
今回のウインブルドンでは、デグルートが第1シード、上地は第2シードのため、両者が対戦するのは必然的に頂上決戦の舞台となる。
まだ手にしていない栄光のタイトル――。それは、最大のライバルを芝で破った達成感とともに訪れる。
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*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki photo by AFLO