── 吉田さんは、34歳の頃に卓球が強くなりたい一心で福島から上京されたとうかがいました。
17歳の頃にバイク事故で車いす生活になり、そこからちょうど17年目に東京に出てきたという意味でも、人生における大きなターニングポイントでした。卓球は28歳からやっていたのですが、当時の福島は私のような障がいのある人間が働きながら卓球を続けていくというのがとても難しく、また車いすの選手自体が非常に少なかったこともあって練習相手を探すのにも一苦労でした。そこで、レベルの高い場所で卓球をするためにも一念発起して東京に出ようと。
── まさに人生のリスタートだったわけですね。
父には「10日間で仕事が見つからなかったら帰ってきて家の仕事を手伝うから」と伝え、家財道具一式を車に積んで東京に向かい、まずは仕事を探さなくてはと飯田橋のハローワークに行きました。そこでたまたま、前に所属していた企業から求人票が出ていまして。最初は年齢制限で引っかかったのですが、強引な直談判の甲斐あって(笑)なんとか入社することができました。今思うとよくもそんな図々しいことができたなと自分でも恥ずかしくなりますが、面接では「とにかくやる気だけはあるので仕事は必死で覚えます!」の一点張りでしたね。でもその熱意を買われて採用が決まったときは、なんとかドリームじゃないですけど、本当に嬉しかったですね。
── その行動力を生んだのは、やはり卓球への思いの強さ?
ただただがむしゃらでした。しかし、今思えば当然なのですが、いざ東京での生活が始まってみると仕事に追われる毎日で、かつ家から練習施設までもけっこうな距離があったため土日以外はなかなか思うように卓球の練習をすることができずにいました。そんな中でも部屋に卓球台を置いてマシーン相手の練習を取り入れるなど、いろんな工夫をして練習を重ねましたね。
── そこから、本気で世界を目指そうと思ったのはいつ頃からですか??
初めての国際大会で、中国や韓国といったアジアの強豪国の選手たちの中でベスト8になったことがきっかけです。これが完膚なきまでにやられていたら「ああ、自分は日本だけで卓球をしていればいいかな」と思ったかもしれませんし、逆に優勝でもしていたら「こんなものなのか」と思ってスパッとやめていた可能性もあります。ベスト8という、ある意味では中途半端な結果だったために、「もっと頑張って彼らに勝ちたい」という思いが芽生えたんですよ。それで2回目に出た香港の大会では銅メダルが取れたんです。
── その後、14度日本一になりながら、世界的な大舞台への出場は2016年のリオ大会が初めてでした。吉田さんにとってどのような経験でしたか?
同じような障がいを持つ相手と、同じ条件、同じ大きな舞台で戦える喜びを実感しました。一方で、結果は中国の選手に0-3で負けたんですけれど、全セット、デュースまでいったので「あと1本崩せたら」という悔しさも残りました。あとは今の会社をはじめサポートしてくれている皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。練習環境的にも資金面でも、周囲からの支援がなかったらリオには出られなかったと思っていますので。その支えに応えるためにも、やはり来年の大舞台には何としても出場したいです。年齢も年齢なのでそれなりに故障などもありますが、多少無理をしてでも、出場するためにこれからの1年はより結果を求めていきたいと思っています。
── その出場資格を得るためには?
卓球に関しては自国開催だからといってプライオリティがあるわけではなく、あくまで世界ランキングによって決まります。そしてランクを上げるためにはコンスタントに世界大会に出場してポイントを取らなくてはならない。昨年怪我をしたこともあって今は世界ランク38位ですが、最低でもリオに出たときの15位くらいまではもっていかないと。先月のスペインの大会で3つ上げることができたので、5月のスロベニアの大会をはじめこれからが本当の勝負です。
── 様々な逆境を乗り越えて、53歳になった今も世界を目指して戦っているご自身をどう見ていますか?
自分の中でいつも思っているのは、1度しかない人生だから何事も後悔しないようにやり切りたいということ。まぁ、ここに至るまでいろいろありましたけれど、もし神様がいたとしたら僕は常に試練を与えられるタイプなんでしょうね(笑)。おそらくあのときバイク事故を起こさずに健常者のままで人生を送っていたら、ろくな人間になっていなかったと思うんですよ。そういう意味では健常者と障がい者の両方を経験できている人生を「ラッキー」だと思っています。
── パラ卓球選手としての、究極の夢はなんですか?
「いい景色」が見たいんですよ。それがこれまで見てきた景色や、今見ている景色ではないことはリオで確かになりました。競技をやっている以上、やっぱりあの舞台でメダルを獲った人とそうでない人の差はすごくあるなと感じたんです。だからリオにいるときから、次の東京を目指そうと決めました。必ず、その景色を見られるチャンスはあると思っていますし、見た瞬間に自分がどう感じるのかというところも実は楽しみにしているんですよ。また東日本大震災の被災地の皆さまに元気を与えられるよう、可能な限り競技を続けたいと思っています。
PROFILE
よしだ しんいち●サントリー チャレンジド・アスリート奨励金 第1〜5期対象
1965年12月13日生まれ、福島県須賀川出身。17歳のときにバイク事故によって車いす生活になる。1994年に卓球を始め、2000年に上京。これまで車いすの「TT3クラス」で通算14度日本一に輝き、2016年には世界ランク15位でリオ大会に出場。現在、国立研究開発法人情報通信研究機構に勤務。卓球用品メーカー、バタフライのアドバイザリースタッフ契約アスリートでもある。
SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
www.suntory.co.jp/culture-sports/challengedsports/
Photos:Takahiro Idenoshita Composition&Text:Kai Tokuhara