── まずは高橋さんがスキーと出会ったきっかけからうかがえますか?
両親ともにスキーがすごく好きで子供の頃からよく連れて行ってもらっていたんです。3歳から始めたのですが、当初のことはパンダスキーというプラスチックの板で滑っていたなぁというのは少し覚えています(笑)。そこからどんどんのめり込んでいって、小学3年生から地元・岩手県矢巾町のスキーチームに入って本格的にアルペンを始めました。そこでスキーの楽しさを存分に教えてもらった感じですね。そして中学進学後はハンドボール部で基礎体力作りをしながらスキーにも取り組む形になりました。
── 高橋さんは生まれつきの右半身麻痺によって右手に力が入らないそうですが、その障がいがスキーを滑る上でハンデになっていると感じたことはあるのでしょうか。
子供の頃や学生時代は大会に出ると周りがみんな健常の選手だったので、体重移動や体のバランスの取り方などでそのような意識を持ったことはありますが、「元々この身体なんだからそこはどうしようもない。僕はこれでやっていくしかない」という強い気持ちを持ち、その分、筋力でカバーできるように心がけました。とくに高校に入ってからはすごく速い人たちに囲まれていたのですが、むしろ彼らに「なんとか追いつきたい」という思いで滑っていたことがレベルアップに繋がったと思っています。
── 回転競技は最速でどれくらいスピードが出るのですか?
回転や大回転で60〜80km/h、スーパーGだと110とか120km/h出ることもあります。ただスピードに対する恐怖心はないですね。スピードへの順応よりも狭いコースでのライン取りに対処するほうがより難しいので。
── 「世界」を初めて意識したのはいつですか?
実は遅いんですよね(笑)。平昌に出たのが高校2年だったのですが、その少し前くらいなので高1の春くらいです。そのあたりから海外の大会に頻繁に出させてもらえるようになったことで意識するようになりました。それまでは、自分がそんな大きな舞台に立てるわけはないと思っていたので。
── 実際に平昌に出場してみて、どのようなことを感じましたか?
出場が決まったときはすごく嬉しかったですね。ただ、いざ平昌の試合会場に行ってみると観客がものすごく多くて声援も普段の大会とは比べものにならないくらい大きかったことに驚きました。その雰囲気に少しのまれて硬くなりすぎたせいか、自分の滑りを100%出せなかったのが反省点ですね。世界の舞台には「魔物がいる」とよく言われますが、こういうことかと実感しました。
── 現在の目標は2022年の北京大会だと思いますが、平昌が終わった後、すぐに気持ちは切り替わりましたか?
そうですね。今年春から日本体育大学に入学させてもらえたこともあって、今では北京に向かって完全にシフトできています。技術面はもちろん、次こそは声援に応えられるメンタルの強さも身につけたいと思っています。今はちょうど怪我をしているのでリハビリ中心のメニューですが、10月くらいからは本格的に雪上でのトレーニングを再開する予定です。大学での生活はすごく充実していますね。勉強のほうでも、スキーに関連するような筋肉の使い方などを学べていますし、寮生活なのでスキーにより集中できる環境で他の部員たちと日々切磋琢磨しながら練習に打ち込めています。渋谷とか大きな街に出かけるのはいまだに慣れませんけれど(笑)。
── 北京まであと3年の時間があります。その間、伸ばしていきたい自身の強みと、逆に克服したい課題は?
自分の強みは若さだと思っていますので、ガツガツ攻める滑りというのをもっともっと突き詰めていきたいです。課題は…いろいろありすぎて(笑)。まずはメンタル。あがり症なところがあるので、ほどよく緊張感を持つのはいいことなのですが、もっと大胆な気持ちで試合に臨めるように大学の先生や先輩たちから心持ち的な部分も学んでいきたいと思っています。技術面では内脚の使い方。アルペンスキーはターンのときに内脚に力がグッと入ってこないとスピードが増しませんので。フィジカルを強化しながらそのあたりのテクニックも磨いていきたいです。
── ちなみに、平常心でスキーを滑る上で何が最も必要と考えますか?
大学のメンタルトレーナーさんからは「その日の自分のメンタルを常に数値化しなさい」と教えられています。1だったらそんな緊張していなくて、10だったらすごい緊張している、といったように。その数値化する作業を毎日続けながら、自分の心理状態を冷静に判断して対処できるようになっていければと思っています。
── 3歳からずっとスキーを続けてこられていますが、雪上競技のどのようなところに魅力を感じているのでしょうか。
アルペンスキーに関しては、自分がイメージしているようなターンが思い通りに描けたときの嬉しさは何にも変えがたいですし、競い合う相手がいる喜びも大きいです。でも、やはりいちばんは雪山を滑る行為そのものが気持ちいいということです。国内では長野県の白馬が好きですね。海外だと、今まで行った中では標高3000mを超えるチリの山が心に残っています。
── 競技者としてだけではない、今後の人生そのものの目標があればお聞かせください。
目標は、そうですね、30歳くらいまでスキー選手として頑張って、その後は今大学で学んでいるスポーツに関連する知識を生かした仕事がしたいなと思っています。また、僕は高校が農業高校だったこともあって、農業への思いというのも捨てられないんです。だからいずれは、漠然とですがスポーツと農業をうまく合体させたような普及・発展活動ができたらいいなと考えています。
── 最後に、「挑戦」という言葉を聞いて、高橋さんが思いつくこととは。
諦めない気持ち、でしょうか。諦めたら挑戦そのものが終わってしまうので。どんなに高い壁であっても、「ダメだったらまたやり直せばいい」というくらいの考えを持って、諦めずにトライしろと自分にも言い聞かせています。
PROFILE
たかはし こうへい●サントリー チャレンジド・アスリート奨励金 第1期、第3~5期対象
2000年10月18日生まれ、岩手県矢巾町出身。先天性の脳性麻痺によって右半身に機能障がいを抱えながらも、両親の影響で3歳でスキーを始める。中学ではハンドボール部に所属しながらアルペンスキーの練習を重ね、2017年にジャパンパラアルペンスキー競技大会の回転種目で優勝。2018年の平昌での大舞台では回転で17位、大回転で21位。現在は日本体育大学スキー部に所属しながら、2022年の北京をめざしている。
SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
www.suntory.co.jp/culture-sports/challengedsports/
Photos:Takahiro Idenoshita Composition&Text:Kai Tokuhara 競技写真提供:日本体育大学