7月にロンドンで開催された世界パラ陸上競技選手権大会。最終日の23日、右大腿義足の前川楓(チームKAITEKI)が女子走り幅跳び(T42/大腿切断など)で3m79を跳び、銀メダルを獲得した。
「4mを目指してやってきたので、悔しい部分もある。でも、リオ(パラリンピック)では4位(3m68)。そこから考えるとよかったと思います」
試合は18時、激しい雨の降るなかで始まった。6選手中、2人目に登場した前川の1回目はファウル。ピット脇で見守るコーチと話し、スタート位置を10cm後ろに下げて調整した。2回目もスピードに乗り大きなジャンプを見せたが、またもファウル。もう一度、スタート位置を下げたが、3回目もファウルに終わった。
一方、優勝したマルティーナ・カイローニ(イタリア)は1回目から4m62の大ジャンプを見せ、他の選手も3m台前半ながら、着実に記録を残していた。
「とにかく、記録を出そう」
前川は冷静にこの日のジャンプを分析し、反発力の強いトラックで、助走のストライドが思った以上に伸びてしまっていることに気づく。
似たような状況に陥った7月初旬の国内大会での経験を思い出し、「スタート位置はそのままで、脚をちゃんと引いて走ることを意識しよう」と決めた。
そうして挑んだ後半戦。雨も小降りとなり、天候が回復するにつれ、前川の記録も上り調子になる。4回目に3m43を跳ぶと、記録なしの最下位から一気に2位に躍り出た。5回目も3m61と延ばし、本人も一番手ごたえがあったという6回目のジャンプは3m79。2位のままで自身の試技を終えると、身体が冷えないように日本代表ジャージを羽織り、ベンチに座って戦況をじっと見守った。
残り5人の試技が終わり、銀メダルが確定すると、前川の笑顔が弾けた。スタッフから日の丸を渡され、背中に掲げて大きくポーズ。フォトグラファーの要求に何度も応えた。金メダルのカイローニから抱擁を求められたときは、「信じられなくて。でもうれしかった」。メダリストになった実感が沸いてきた。
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1998年に三重県津市で生まれた前川は、バスケットボールに夢中だった中学3年の夏、交通事故に遭い、右脚を膝上で切断。病院のベッドで泣き続けた。
「どうして、私が……」
数回の手術を経て、つらいリハビリを繰り返した。松葉杖で歩けるようになるまで2カ月ほどかかり、その半年後に義足をつけたときもスムーズに歩けるまで苦労した。
だが、その後、スポーツ用義足と出会って陸上競技を始めると、持ち前の運動センスと負けん気で徐々に頭角を現す。2015年には初めて日本代表となり、世界選手権ドーハ大会に出場。100mで7位入賞を果たした。さらに記録を伸ばし、リオパラリンピックの舞台では走り幅跳びで4位に加え、100mでも7位に入賞。
最初はうれしかったが、次第に悔しさが募る。100mも走り幅跳びも、「自己ベストを出しても世界と戦えないのか。このままじゃ、ダメだ」
突きつけられた現実に、前川は覚悟を決める。勉強は後からでもできると、通っていた大学を退学し、競技中心の生活へと舵を切る。リオ以降は、よりメダルに近いと思われる走り幅跳びをメイン種目に据えた。だが、元々陸上経験もなく、専門のコーチもいないなか、素質だけに頼り、手探りでの練習では限界があった。
必死に探して出会ったのが、井村(旧姓:池田)久美子氏だ。女子走り幅跳びの日本記録保持者で、北京オリンピック代表でもある。現在、前川の実家近くの三重県鈴鹿市で、夫の俊雄氏とともに、ジュニア対象の陸上クラブを主宰している。今年2月、思い切って訪ねると、受け入れてもらえた。
「運命だと感じました」
専門家の指導は的確でわかりやすい。最初にジャンプを見てもらったとき、「踏み切りの最後の一歩が大きすぎて損をしている。いつもより手前につくよう意識して」「助走は100m走とは別物。速ければ速いほど跳べるのではなく、速いけど、確実に踏み切って跳べる速さで走ることが大切」と教えられた。助走スピードに影響する100mも、「股関節に踵(かかと)があるイメージ」でフォームを改善中。以前より上下動が減り、7月の関東大会では初めて17秒台の壁を破り、日本新記録(16秒86)を樹立した。
コーチのアドバイスで、前川の跳躍技術は磨かれていった。3月末の海外の大会で3m76を跳び、日本記録(3m68)を塗り替えると、5月には大分の大会で3m97まで延ばした。
銀メダル獲得の要因を改めて尋ねると、「井村コーチとの出会い」と即答した前川。実はこの大会、メダリストには自身用とは別に、もうひとつ「コーチメダル」が授与されていた。世界選手権史上初の粋な計らいで、選手はメダルというかたちでコーチに日頃の感謝を伝えることができるのだ。前川はもちろん、「井村久美子コーチと俊雄コーチの2人」に贈るという。
今回のロンドンに両コーチは帯同していなかったが、大会期間中も毎日、LINEで連絡しあったという。日々の練習メニューが届き、前川が練習の様子をフィードバック。それに対してコーチたちがアドバイスを与えるのだ。
走り幅跳びの決戦前には、「自分の納得できるジャンプを」とメッセージが届いた。だが、ファウルがつづき、4m超えはおろか自己記録も下回ったジャンプに前川は、「全然納得できなかった」と悔やむ。
「1位(4m72)との差が激しくあるし、100mのタイムもすごく違う。助走のスピードをしっかり上げることが大事だと思うので、そこをしっかり頑張りたいです」
井村コーチという専門家を得てわずかな期間で急成長を遂げた前川の、伸びしろの大きさは計り知れない。さらに輝く“感謝のメダル”を目指し、前川の挑戦はまだ始まったばかりだ。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko photo by Kyodo News