「彗星のごとく」という喩(たと)えがぴったりかもしれない。東京パラリンピックのマラソン・男子T46(上肢障害)の代表に内定した永田務(新潟県身体障害者団体連合会)のことだ。同クラスでのマラソン日本代表は史上初となる。
びわ湖マラソンの一発勝負で見事パラリンピックへの夢を掴んだ永田務選手
今年2月下旬、初めてパラアスリートとして走った公認マラソンレース、第76回びわ湖毎日マラソン大会(滋賀県大津市)で、永田はT46のアジア新となる2時間25分23秒をマークした。この記録が4月1日で締め切られた「東京パラリンピックマラソン出場基準24カ月ランキング(※)」で2位にランクされ、6位以内の規定をクリアして代表内定をつかんだのだ。
(※2019年4月1日~2021年4月1日内/5月10日発表)
一躍、メダル候補に名乗りを上げる快走をした永田だが、レース直後は悔しさをにじませていた。「2時間23分を切って自己ベスト更新」という目標を果たせなかったからだ。
「悔しい思いしかなかった。ふがいなさに涙が出た。このままでは終われないという、次に向けての涙です」
永田より上位にいる、世界ランキング1位のオーストラリア人選手の持ちタイムは世界記録の2時間19分33秒であり、「少しずつでも、差を縮めていきたい」と、目標は高く、明確だ。
ランニング歴は20年以上を数えるが、パラアスリートとして世界最高峰への挑戦権を得るまでには、紆余曲折があった。
「走ることをやめようと思ったことは一度もない。次々に新たな目標ができる。自称、日本一あきらめない男なんです」
走り始めたのは小学校時代。肥満児だったのでダイエット目的で走り出すと、痩せていくにつれ速くなり、夢中になった。中学から高校、さらには卒業後に入隊した陸上自衛隊高田駐屯地でも陸上部で走り続けた。
そのうちに、スピードが伸び悩むようになったが、走ることは諦めなかった。「長距離を走ることには抵抗感も苦もない」と、マラソン(42.195km)を超える距離で競うウルトラマラソンに可能性を見出した。ウルトラマラソンには100km走など一定の距離のタイムを競う競技と、24時間走など一定時間内の走行距離を競う競技がある。世界的にも人気があり、IAU(国際ウルトラランナーズ協会)主催で世界選手権も開かれている。
「この道しかない」と日本代表入りを目標に練習を積んでいた2010年12月、悲劇が襲う。自衛隊除隊後に転職していたゴミ処理会社での作業中、右腕が機械に巻き込まれた。開放骨折の重傷と、強く引っ張られたことで首から右腕にかけての神経を損傷した。その後、10回以上の手術を受け、入院生活は1年以上に及んだが、右腕には筋力低下やまひが残った。しびれで肩まで上がらず、指先でモノはつまめるが、握ることはできない。
「腕1本くらいなので、走ることには関係ない。脚があれば走れる。右腕が振れないなら、左で頑張ればいい」
不屈の男は再び走り出した。そして、2015年6月、「第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン 兼 IAU100km世界選手権2015日本代表選手選考会」に健常者に混じって出走。6時間36分39秒で2位に入って日本代表に選出され、同年9月、オランダでの世界選手権に出場した。事故前に掲げた目標をきっちり果たした。
パラリンピックを強く意識するようになったのは約2年前。2019年春に現在の勤務先、新潟県障害者交流センターに指導員として就職後、上司から勧められたのがきっかけだ。だが、パラ挑戦には2つの条件を突破する必要があった。
ひとつはパラスポーツの公平な競技を担保するために障害の程度に応じてグループ分けする、「国際クラス分け」の取得だ。パラのマラソンの上肢障害クラスはT45かT46の選手が対象なので、もし永田の障害がより軽いT47と判定されれば、対象外だ。なかなか受検機会にも恵まれず不安が募るなか、2020年3月、思い切ってオーストラリアでの大会に出場して「国際クラス分け」を受けると、T46と判定され光が差し込んだ。
もうひとつは、「世界ランキングの対象となる国際公認レースでの記録」だ。国際競技団体である世界パラ陸上(WPA)が公認する大会で出さねばならないが、コロナ禍の急速な広がりで、大会が軒並み中止になってしまった。期限が迫るなか、永田の実力や努力を耳にした関係者の尽力により、「日本パラ陸連推薦枠」という形でびわ湖毎日マラソンへの出場が実現。ようやくこぎ着けた「一発勝負のチャンス」で、永田は見事に結果を出したのだ。
世界の頂点を狙える位置にいる永田だが、「学生時代から強みや得意種目は見当たらず、ずっとコンプレックスだった」と明かす。1番を目指しても、いつも2番か3番止まりで、「弱いから、もっとがんばろう」「練習すれば、まだ速くなれる」と自身を鼓舞してきた。「劣等感が自分の強み」といい、目標を次々と掲げ挑戦しつづけるのは、「これだけは負けない」ということを探し求めているからだ。
腕に障害はあるが、走ることに不利に働いているとは思わず、障害があるから弱いとも思わない。「ただ、走力がないだけ」と言い切る。「自分の走りを、障害者という理由だけで見られるのは、まだそれだけの記録でしか走ることができていないから。まだまだ頑張らなきゃと思います」
励みにするのは日々、自身が指導員として向き合う障害者施設の利用者たちだ。それぞれ不自由な体でスポーツを楽しむ姿に力をもらってきた。さらに、びわ湖毎日での快走のニュースが伝わってからは、「走る人だったんですね」「俺たちもがんばるよ」といった声を掛けられるようになったという。「互いに元気を与えあう状況になった。(自身の走りで)プラスの影響を与えられた手ごたえがある」
東京パラのマラソンは、札幌市に移ったオリンピックとは異なり、当初の予定どおりに国立競技場発着で東京都内を巡るコースで実施される。大会最終日の9月5日なので残暑の厳しさも予想されるが、永田は夏マラソンの経験はないものの、「暑くて湿度が高い、皆が嫌う気象条件でのレースになってほしい。泥臭いレースのほうが好き」と歓迎する。
「障害を持った選手たちが持つたくさんの可能性や力を、自分の走りを通して伝えたい」――新たに生まれた目標を力に、日本一あきらめない男はさらなる高みを目指す。
Profile
永田務(ながた・つとむ)
1984年2月20日新潟県村上市生まれ。小学生から走り始め、中学・高校、陸上自衛隊高田駐屯地でも陸上部に。マラソンの自己ベストは2015年に出した2時間23分23秒。2019年から新潟県障害者交流センター指導員。新潟県身体障害者団体連合会所属。家族は妻と娘(2020年6月誕生)がいる。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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星野恭子●文 text by Hoshino Kyoko photo by Kyodo News