これまではパラリンピックとグランドスラムの開催日程がかぶっていたため、全米オープンの車いすの部は実施されていなかった。しかし、今年は例年どおり実施され、東京パラリンピックに出場していたトップ選手はすぐさまニューヨークに移動し、過酷なスケジュールをこなした。そして、男子シングルスは国枝慎吾(ユニクロ)が2年連続8度目の優勝! 帰国後の隔離期間にオンライン取材に応じてくれた国枝に、怒涛の1カ月を振り返ってもらった。
東京パラリンピック優勝へ駆け上がるきっかけになったウデ選手との準々決勝
―― 東京パラリンピックに続き、全米オープンの優勝、おめでとうございます! 東京パラリンピックの決勝戦の2日後に渡米して試合をこなすハードスケジュールでしたが、どのような心境でしたか?
「ありがとうございます。気持ちの切り替えは難しかったですね。正直なところ、緊張感を含めて普段のグランドスラムに臨む心境とは異なりました。やはり大きな勝利の後は、気持ち的にちょっと抜けちゃうところがあるので、今回は無理せず、自然な状態でやっていこうとは思っていました」
―― 心身の調子はいかがでしたか?
「全米の決勝の前日ぐらいはものすごく疲れていて。決勝当日は『もう今日は動けないかもなぁ……』っていう思いが勝っていました。岩見(亮)コーチもさすがに『もうやらなくていいぞ』って言っていましたけど、最後までしっかり調整してくれました。メンタルトレーナーのアン(・クイン氏)もパラリンピックから通しで2週間、毎日のようにコンタクトを取ってプッシュしてくれて。
それでコートに入ったら、なんか元気が出てきたんですよ。あと1試合くらいならできるかなっていう感じになりました。結局、パラリンピックから好調だったバックハンドも調子がよかったし、フォアハンドに関してもパラの時よりもよかった。トータルしたら全米の決勝が1番、クオリティが高かったかなと思いますね」
―― 今季初のグランドスラムタイトルでした。最後に勝ったという意味も大きいのはないでしょうか。
「パラリンピックで勝って、自分がテニスにおいて有利な状況にあるのは変わりないし、今回は相当大きなチャンスだとは思っていました。ここで逃してまた来年、となるよりは、ここで取ったほうが気持ち的にもその後が楽になるだろうなと感じていましたね。優勝できて、ホッとしてるところです(笑)」
―― 帰国後、パラリンピックの金メダルを久々に手にしてどんな気持ちでしたか?
「全米には持っていかなかったので、アメリカに発つ前の2日間は僕の手元にありましたけど、実は首にかける機会があまりなかったんです。自宅に帰ってきてかけてみました(笑)。久しぶりに、しみじみと見ました。結構、重いんですよね」
―― 東京パラリンピックのあと、どのタイミングで金メダル獲得を実感されましたか?
「うーん、全米に向かう飛行機の中……ですかね。ちょっとだけ落ち着けたので。試合の映像が入ったUSBが選手に配られるので、決勝戦を観たりして、そこでちょっと浸っていました」
―― 東京パラリンピックの決勝戦後の囲み取材で、「実は試合の記憶がありません」と話していましたが、その映像を観てよみがえったりしましたか?
「やっぱり決まった瞬間の記憶はないですね。そのあとにコーチやトレーナーの顔を見た瞬間は覚えているんですけど、相手のショットがどうなって終わったかっていうのは、映像を見ても思い出せなかったです」
―― 東京パラリンピックのトーナメントを振り返って、国枝選手にとって印象深い試合は?
「やっぱり準々決勝の(ステファン・)ウデ選手との試合が1番のキーポイントだと思いますね。第1セットを2-5とリードされてから逆転した場面。実は初戦の2回戦、3回戦は簡単に勝ててはいたけれど、気持ちの入れ方や戦い方に確信が持てなかったんです。パラリンピック独特の焦りとか不安とかがあって、それに順応していなかった。準々決勝から一気にレベルが高くなって、ウデ選手も相当調子がよくて、それで2-5になった瞬間に自分の現状に気づかされたというか、受け入れたんです。そこから大会に臨む姿勢やプレーをどうすればいいかという答えを導き出していった、という一戦でしたね」
――その結果、次戦の準決勝ではリオ大会金メダリストの難敵、ゴードン・リード選手に勝利しました。
「彼との試合も0-2というスタートだったんですけど、ウデ選手との2-5からの場面と同じような心境でやってたんですよね。なので、あんまり不安はなかったです。このままいけば必ずこっちに流れが来るというテニスができていましたから。なんかこういうのって、結構グランドスラムの決勝とかでよくあるパターンなんですよ。相手の調子がよくて、(自分が)追い込まれてからの逆転で優勝、みたいな。今回のパラは他の選手も雰囲気にのまれているなと感じているなかで、僕はウデ選手に追い込まれたからこそ戦い方を見出せたし、それ以降の戦いがすごく楽になりましたね」
―― 東京パラリンピックの1年の延期は、実際はどんな影響がありましたか?
「金メダルを獲った今は、結局大丈夫だったなあと思いますけど……。当時を振り返ると、2020年は全豪と全米で優勝して、その全米がパラリンピックとほぼ一緒の時期の開催だったので、やっぱり「(パラ開催が)今だったらな」っていうのはありました。それから今年はとくにパラリンピックまで全然成績を残せていなかったので、その度に頭の中では『やっぱりあの時だったら』って考えてしまって、きつかったですね。まあこれも巡り合わせだ、と思いながらプレーしていましたが」
―― 調子が思うように上がらない要因は何だったんでしょうか?
「2019年くらいから、負けるたびに自分のテニスにいろいろと変更を加えていました。その結果、翌年の全豪と全米はすごくいい形でプレーできたのに、その後の全仏と今年の全豪は連続で負けて(※)、その2回のあとに大幅にまたテニスを変えてみようかなと思っちゃったんですよね」
※昨年は新型コロナの影響でツアースケジュールが変更
―― 時間があったからこそのチャレンジだったのでしょうか?
「それもあるし、他の選手の勢いとか、このままじゃいけないかもしれないなっていう不安があったんです。ところが、いざ今年の全仏とウィンブルドンを戦ってみても、変更がうまくいっていなくて、結局2020年のテニスに戻したんです。ただ、その時点でパラリンピックまで1カ月ぐらいしかなかったし、3~4カ月かけて染みつかせた新しいテニスがなかなか体からも頭からも離れなかったので、ストレスが半端なかったですね。今回は、それが僕の最大のチャレンジだったかなと思います」
―― それだけ東京パラリンピックに懸ける想いが大きかったのですね。
「本当にそうですね。実際、この5年間はパラリンピックよりもグランドスラムが目標って言い続けてきましたが、やっぱり今回はパラリンピックの大きさも改めて実感したところがあります。とくに今回は自国開催で、こんな機会は2度とないと思うので、そこに期する思いは半端じゃなかったですね」
――準々決勝後にウデ選手と「パリで会おうぜ」と話をされました。この先、次のパラリンピックも視野に入れたツアーということになるのでしょうか。
「パリ……は、グランドスラムの延長線上にあるのかなと今は思います。そこまで自分自身の気力と体力が続けばやるし、もしかしたらその前かもしれないし、ってところはやっぱり心のどこかにはありますね。と、まあいろいろと振り返っていますが、もう喜び切ったので、今はすごく冷静です。ある意味冷めてきました(笑)。気持ちは次に向かっていますよ」
―― なるほど、ありがとうございます。ところで、ユニクロさんから1億円の報奨金が出されると報道がありました。率直な思いはいかがですか?
「最初にお話をいただいたときはびっくりしましたね。これだけ評価していただけるのは大変うれしいことですし、光栄なことです。こうした前例を作ることで、これからパラリンピックを目指す選手たちにも夢が与えられる話だと思います。加えて、ユニクロが今回のパラリンピックを見て『スポーツビジネスとして成り立つ』と評価してくれたことが、すごくうれしく思いました。これからの僕たちの大きな力になっていくし、ユニクロの今後のパラスポーツ界へのサポート活動に対しても、何か協力できたらなという思いがより強くなりました」
―― 怒涛のツアーがひとまずひと段落しました。今、一番何がしたいですか?
「お蕎麦が食べたいですね! お寿司はこのあいだ買ってきてもらって食べたので。自宅の近くの蕎麦屋によく行っていたので、隔離期間が明けたらそこに行きたいな。あとは、温泉も行きたいですね」
―― お疲れのところ、ありがとうございました! さらなるご活躍を期待しています。
「ありがとうございました! 引き続き、応援よろしくお願いします」
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu