連載第3回は三宅亮輔が、パラ陸上・芦田選手からユーモアの裏に秘めた熱い思いを聞いてきた!
vol.3
芦田創 HAJIMU ASHIDA × 三宅亮輔 RYOSUKE MIYAKE
三宅 陸上は高校からと聞きました。
芦田 右腕のがんで5歳から闘病生活をし、ほとんど腕の機能がなくなりました。15歳の頃に医者から腕を切断しようと言われ、だったらもう好きなことをやってやろうと吹っ切れた。それで走り始めたら、がんの進行が止まったんです。打ち勝ってしまったんですよ(笑)。
三宅 スポーツの力って、やっぱりすごい……。
芦田 これがやってみたら意外に速かった(笑)。
三宅 一気に解放された感じですね。そこからは、やはりパラリンピックをめざして一直線?
芦田 実は挫折アリ。高校の終わり頃、最初のパラ大会で400mの日本記録を出したんですけど、それがつまらなくてやる気スイッチがプッツリ。大学時代はそこから3年間冬眠でした。
三宅 もう一度、どう奮起したんですか?
芦田 2014年に代表選考から落ちたとき、とうとう甘く見てた世界でも代表になれないくらい自分は落ちたんだと。で、僕にしかできないことはなんだろうと自分を見つめ直したんです。
三宅 走幅跳にはそこから転向したんですよね。
芦田 400mに限界を感じていたので、違う種目でイチかバチか勝負したくて。そうしたらこれまた意外と跳べて(笑)。三段跳のほうが得意ではあるんですけどパラリンピックの種目にはないので、今は走幅跳メインでやっています。走幅跳って、スポーツというより芸術に近い。人より1㎝遠くに跳ぶことだけを追求する非日常感に、なんとも言えない魅力を感じますね。
三宅 ズバリ、将来の目標とは。
芦田 パラリンピックの走幅跳でメダルを取ることはもちろんですが、いつかは五輪の選考会に出てみたいという夢もあります。僕のような上肢障害のある選手が、五輪をめざすトップアスリートと真剣勝負の場で張り合う。それができたら、面白いですよね。
【プロフィール】
芦田創
パラ陸上
1999年12月8日生まれ、大阪府出身。5歳で右腕に悪性腫瘍が見つかる。中学3年時に病状悪化をきっかけに開き直って陸上を始め、高校時代は400m走でインターハイをめざすほどの実力者に。その後パラ陸上の世界に入り、メイン種目を走幅跳に変更。2016年のリオ・パラリンピックでは4×100mリレーで銅メダルを獲得。
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Photos:Takemi Yabuki[W] Composition & Text:Kai Tokuhara