選手が、ファンが、待ち望んでいた時間がようやく訪れた。原則無観客開催だった東京パラリンピック開幕から丸1年となった8月24日。東京・有明アリーナで「東京2020パラリンピック1周年記念イベント」が開かれ、スタンドをいっぱいに埋めたファンが声援を送った。
キュキュッ。ガッシャン。シュッ・・・。競技用車いすを操ってコートを疾走し、ゴール下に滑り込んでシュート。すばやくパスを回してミドルシュートを沈めたり、リバウンドボールを激しく奪い合ったり、勢い余って車いすごと転倒しても軽々と起き上がったり・・・・・・。そんなプレーの一つひとつに、客席から温かい拍手が降り注ぐ。
イベントでは男女車いすバスケットボールのエキシビションマッチなどが二部制で行われ、抽選でチケットを手にした計9,200人が手拍子や会場で配られた応援用のハリセンで選手たちを後押しした。「初めての生観戦」という人も多く、子どもたちの姿も目立つ客席からは、「車いすなのに、速い」「座った位置からのシュート、すごい」といった驚きから、「自分もやってみたい」という興味まで、さまざまな感想が聞こえてきた。
選手たちも「応援される喜び」をかみしめ、精一杯のパフォーマンスで応えた。熱戦を終え、女子日本代表の北田千尋キャプテンは、「1年越しに見たかった光景」と表現し、男子日本代表のコートリーダーで、東京パラではMVPを受賞した鳥海連志は「この日のために頑張ってきた」と感慨深げに振り返った。
男子のエキシビションマッチでは、オーストラリア代表が出場辞退したため、日本代表メンバーがTEAM BLACKとWHITEの2チームに分かれ、ドリームマッチを行った。互いをよく知る“身内同士”の対戦となったため試合は拮抗したが、最後は鳥海率いるBLACKが62-56でWHITEに勝利した。
「お互いにファイトして、いい試合を見せられたのでは。東京パラではかなわなかったが、今日はプレイヤーだけでなく、スタッフや運営、ファンの方を含め、この試合を作り上げることができたことを嬉しく思う」と鳥海。
WHITEのキャプテンで、日本代表キャプテンでもある川原凛は、「いつもやっているメンバーで手の内を知っているのでやりづらい部分もあった」と明かしたが、会場の雰囲気は「東京パラのときとは全然違った。ヒロさん(香西宏昭)と、『しゃべっている声が聞こえないね』と話したくらい、すごい声援をいただいて力になった」と観客に感謝した。現代表チームについては、「すごく個性のあるメンバーがそろっている。うまくまとめて、コート上で披露できると、確実に東京よりも強いチームになると思う。そこをキャプテンとして2年間でまとめたい」と力を込めた。
女子は日本代表がスペイン代表と対戦した。日本は東京パラで6位入賞したメンバーから5人が入れ替わった新生チームで臨んだ。試合序盤は日本がリードしたが、高さのあるスペインが主導権を握ると少しずつ差を広げ、日本が47-60で敗れた。
東京パラ8位入賞のスペイン代表、サラ・レブエルタは「1年前の東京パラは無観客だったが、今日は観客の拍手も聞こえて、特別な気持ちになった」と笑顔を見せ、日本の北田キャプテンは「チームは未完成な部分が多い。今日の経験を力にして、次に見に来ていただいたときに、『成長したな』と思われるチームにしたい」と、ファンに誓った。
1周年イベントを主催した東京都の小池百合子知事は東京パラについて「パラアスリートが自らの限界を越えて挑戦する姿は勇気と希望を与えてくれた。ハードもソフトもバリアフリーが進み、共生社会へと一歩を踏み出した」と振り返り、さらに多様性を認めあうインクルーシブな社会へと発展させていくことを強調した。
2018年からIPC特別親善大使を務める稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんもイベントを盛り上げた。東京パラの表彰式で、水泳男子平泳ぎの山口尚秀選手に金メダルをかけたことが「一生の思い出」と話した稲垣さんは、「すぐに2024年パリ大会も控えている。スペシャルサポーターとして全力で盛り上げたい」と話し、草彅さんも、「パラアスリートが自分と向き合って、その瞬間瞬間、全力を尽くす姿に勇気や努力、向上心をひしひしと感じた。そういうところに刺激を受けている。今後も発信していきたい」と決意を新たに。香取さんは観客に対して、「今日の感動を(周囲に)伝えてもらい、より大きなムーブメントにしてもらえたら」と呼びかけ、自身も今後に向けて、「いろいろな形でパラスポーツを知ってもらえる活動をしていきたい」と継続して支えていく覚悟を示した。
東京パラのメダリストたちも駆け付け、水泳で金を含むメダル5つを獲得し、現在はIPCアスリート委員も務める鈴木孝幸は「東京パラ以降、反響がすごくて、さまざまな経験をさせていただいた。パラスポーツをこれからも応援してほしい。その先に、パラスポーツが当たり前に触れるものになってほしい」と期待を寄せた。
満員の会場で躍動する選手の姿がパラスポーツの魅力を届けることで、日本におけるパラスポーツ普及の起爆剤になることが期待されていた東京大会。だが、コロナ禍という想定外の事態が起こり、描いていた展開とはならなかった。しかし、自国開催によりメディア報道も各段に増え、テレビやネットでの観戦やニュース報道などを通して広く伝えられ、「もっと見たい」「もっと知りたい」と興味や関心を刺激し、さらには「応援したい」という意欲も刺激したことは間違いない。
実際、東京パラ後の変化として鳥海や北田は、「東京パラ以降、街で声をかけられることが増えた」「車いすバスケをしたいという問い合わせが増えた」といったエピソードを話した。
この熱を冷まさず継続させるために、北田は「自分たちが目標に向かって一生懸命、楽しんでプレーしているところを見せたい」と話し、川原は「結果を残さないと見てもらえない。日本代表選手全員が自覚と責任をもち、シビアだが、結果を残すことを意識して取り組みたい」と意気込みを示した。鳥海はもっと身近な形で車いすバスケの魅力を伝えられるよう、「僕個人でも大会を主催したい。日常に溶け込むような大会を」とプランを披露し、「障がいの有無を問わず、子どもたちには可能性があることを知ってもらいたい」と話した。
1周年記念イベントでは小学生を対象とした車いすバスケの体験会も開かれていた。参加者のなかには経験者も少なくなく、簡単な基礎練習のあと、すぐにゲームができるほどで驚かされた。東京パラに向けた「オリパラ教育」やPRイベントなどでここ数年、パラスポーツに触れる機会が増えていたからだろう。
両手をいっぱいに伸ばして車いすを漕ぎ、楽しそうにプレーする子どもたちの姿に、彼らが成長した未来の社会でパラスポーツがもっと身近に、当たり前になっている様子が想像された。
2021年の東京大会を経て、パラスポーツの種は確実に撒かれ、芽を出し始めている。この先、しっかりと根付かせ、花が咲き、実をつけるために大切なことは、活動の歩みを止めないこと。1周年記念イベントは、そんな思いを改めて強くさせる節目となった。
写真/吉村もと・ 文/星野恭子