懸命に伸ばしたラケットの先を、黄色いボールがかすめていった──。
歓喜の涙にくれる優勝者を視界の先に捉え、小田凱人は吸い込んだ息を大きく吐き出す。敗戦の事実を、彼は過不足なく受け止めているようだった。
「力は、出しきった。もちろん悔しいけれど、悔いはないです」全豪オープン車いす部門・決勝戦、対アルフィー・ヒューエット(イギリス)
1年前のメルボルン──。小田は憧れの国枝慎吾と初めて対戦していた。
スコアは6-7、6-7で小田の惜敗。勝者の国枝は「全部のショットが一級品で、いつトップに来てもおかしくない。いつでもバトンタッチできる」と最大級の賛辞を15歳の少年に送った。ただ、このメルボルンでの対戦が実現したのは、全豪オープンではない。その直前に開催された前哨戦。当時はグランドスラム車いすのドローが8だったこともあり、まだ大人の大会を回りはじめたばかりの小田は、ランキングでわずかに本戦に届かなかったのだ。
あれから1年。16歳になった小田は、初出場の全豪オープンで、初めてグランドスラム決勝戦に進出した。準決勝ではマッチポイントに追い詰められながら、驚異の逆転劇を演じ、こぎつけた頂上決戦の舞台。それはもちろん彼にとって、悲願に肉薄した瞬間である。
ただどこかで、目の前の現実に、思い描いてきた夢舞台との乖離を感じてもいた。「この決勝を、やっぱり国枝選手と対戦することを想像して、去年のマスターズが終わってから常に練習できたので……。決勝に行けたことはもちろんうれしいですけれど、目指していた形とは正直、ちょっと僕のなかで違ったので」
もちろん試合が迫れば、目の前の勝利を掴むべく気持ちを奮い立たせる。それでも「割といろんなことを考えた」とも打ち明けた。「やっぱり、どこかで寂しいなって思うところは、僕としてはあります」16歳のファイナリストは、ぽつりとそんな本音をこぼした。
昨年末、小田はツアー年間上位8選手が集う「NEC車いすテニスマスターズ」を史上最年少で制した。彼が駆け抜けたその後には、轍(わだち)のように”史上最年少”の記録が刻まれていく。
実際に小田自身も「最年少」や「最速」へのこだわりを隠さない。ただ彼は「単に記録がほしいとか、数字的に魅力があるからというわけではない」と言った。「僕がテニスを始めた時に、7〜8名の強い選手たちがいた。その憧れた選手たちと、どうしても同じ舞台で戦いたという思いが、ものすごく強かったんです。
すでに30歳を超えた選手も多かったなかで、彼らと対戦するには早くランキングを上げて、最年少でグランドスラムに出場して……というのが必要だった。必然的に、最年少だったり、より早くトップにならないといけないと思っていました」
彼らのいる場所にどうしても行きたい。少しでも早く、彼らが去ってしまう前に……。そんな渇望に駆り立てられ、小田は車いすを漕ぐ手に力を込め、練習コートで何千、何万とボールを打った。
とりわけ彼が対戦を望んだのが、国枝慎吾。
7年前の9歳の頃、骨肉腫の手術を受けて病院のベッドに寝ていた時、動画で見た国枝の姿が彼に希望を与えたからだ。切望した国枝との頂上決戦が実現したのが、昨年10月。有明コロシアムで行なわれた「車いすテニス楽天オープン」の決勝戦だ。ATPツアーの楽天オープンと同時開催ということもあり、多くのファンが観戦するなかでの決戦。その大舞台にふさわしく、試合は激的な接戦となる。ファイナルセットでは国枝がセットカウント5-1とリードし、セットポイントも掴む。
だが、このあとのない状況から、小田は驚異の追い上げを見せた。一打一打に長年の想いを込めるように、気迫の叫び声をあげてボールを叩く。コロシアムにチェアが駆ける金属音と両選手の息遣いが響くなか、タイブレークの末に勝利を掴み取ったのは、国枝だ。
「いつかやられる日が来るだろうな。もう少しだけ勝たせてくれよ!」試合後のコートで、国枝がマイクを手に小田に言う。
「国枝選手、ありがとうございました」そう応じる小田は、「もちろん今日の試合にも感謝していますし、本当に……」と続けると、こみ上げる感情に胸をふさがれ、大きく深呼吸をした。
「僕がテニスを始めた理由も、国枝選手のロンドンパラリンピック決勝を(動画で)見たから。こうして同じコートで戦えたことを、本当にうれしく思っています」
2023年1月──。小田が国枝から直接引退を告げられたのは、メルボルンへと出発する、まさにその日だったという。「パリ(2024年パリパラリンピック)まで続けてほしかった。それも、僕のひとつのモチベーションだったので」。受けた衝撃の大きさを、小田はそのような言い回しで表現した。
国枝がいない全豪オープンのロッカールームは、誰もがいつもと違う雰囲気を感じ、各々が”ポスト国枝”の情熱を胸に灯した。
世界1位のアルフィー・ヒューエットも、そのひとりだ。
昨年7月のウインブルドンでは、地元で悲願の優勝に肉薄しながら、国枝に逆転負けを喫した。全豪オープンでは過去2度決勝に進みながら、いずれも僅差で逃している。今度こそは……の思いは、彼もまた、いつにもまして強かっただろう。
決勝戦でのヒューエットは、立ち上がりは若い勢いに押されるも、コート後方からも重いスピンをかけたショットで小田を左右に振り、戦略やショットの幅と経験で押し返す。終わってみれば、ヒューエットが6-3、6-1で完勝。サービスエースを決めた瞬間、ラケットを落とし、両手で顔を覆い、肩を震わせる姿が、若き王者の背負ってきた重圧を物語る。
「三度目の正直。特にウインブルドンの敗戦に、僕は取りつかれていた」勝利後の会見で、彼はそうとまで言った。国枝が残したその呪縛をヒューエットが解いたのは、奇しくも「国枝の後継者」と目される16歳に勝利した時だった。
第3シードの小田にとって今大会は、国枝が去った喪失感と、その穴を埋めるという使命感がせめぎあう、複雑で難しい想いを抱えながらの戦いだったのだろう。
国枝の跡を自分が継ぐ、との思いはあるか?
大会の最後にそう問われた時、小田は「もちろんあります」と即答した。「今大会からそういう気持ちで臨めましたし、たぶんそれは僕だけじゃなく、アルフィ(ヒューエット)もかなり強く思っていたと感じました。それだけの気迫だった」
だが、そのうえで彼はこうも明言する。「国枝選手が引退されたことで、皆が俺の出番だと思っているが、その気持ちはたぶん、僕が一番強い。そういう気持ちを強く持つことが、競技のためにもつながると僕は信じてるんで。次を担えるような存在になることを、ひとつ新たな目標として考えています」
初めて至ったグランドスラム決勝の舞台は、夢見た景色と少しばかり異なっていた。それでも、追い続けた背の偉大さをその不在で痛感し、対峙した者の涙に優勝の重みを知った16歳は、メルボルンのコートから新たな決意を持ち返った。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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取材・ 文/内田暁 photo by AFLO