「チャレンジド・スポーツ プロジェクト」を掲げ、多彩なパラスポーツとパラアスリート支援に力を注ぐ「サントリー」と、集英社のパラスポーツ応援メディア「パラスポ+!」。両者がタッグを組み、今最も注目すべきパラアスリートや、パラスポーツに関わる仕事に情熱的に携わる人々にフォーカスする連載「OUR PASSION」。東京パラリンピックによってもたらされたムーブメントを絶やさず、未来へ向けてさらに発展させるためのチャレンジに挑む!
数あるパラスポーツ競技大会の中でも、トップクラスの規模と知名度をほこる「大分国際車いすマラソン」。1981年に世界で初めて車いす単独の競技大会としてスタートして以来、毎年秋に開催され、昨年11月で41回目を迎えた伝統の大会は、今や世界中の車いすアスリートたちが凌ぎを削るグローバルイベントとして知られている。そこで、いかにして大分国際車いすマラソンが日本を代表するコンペティションへと進化を遂げてきたのか。その真に迫るベく、現地で大会運営に携わる人々の声を聞いた。第2回では、長年にわたり、外国人選手の滞在をサポートして来た通訳ボランティアのお二人が“OITA”の活動の魅力を話してくれた。
OUR PASSION #29-1 ①「地元に愛されている実感」、マラソン運営事務局の奮闘
OUR PASSION #29-3 ③世界が愛する“OITA”のルーツは「日本のパラリンピックの父」
第1回では、大分国際車いすマラソン運営事務局でお話をうかがった。この大会が多くの国や地域から選手を招聘して世界的な規模で大会を開催できているのは、大分県庁の職員や事務局スタッフの尽力もさることながら、ひとえに選手たちが安心して大会に臨めるよう献身的にサポートしてくれるボランティアの存在があってこそと事務局の阿部友輝さんも認める。
「大会運営においてボランティアの皆さんとの連携は何より大事ですね。協賛企業からの企業ボランティア、一般公募のボランティア、地元の高校生や専門学生さんなど様々ですが、取りまとめてくださる団体の方とも密に連絡を取り合いながら準備期間中に7回ほど説明会を開いています」(阿部さん)
様々なボランティア運営団体が大分国際車いすマラソンをサポートしている中で、海外選手たちの通訳ボランティアを担当しているのが「Can-do」というグループだ。代表を務める後藤恵子さんは、かつてのイギリス留学経験を生かして1981年の第1回大会からボランティアとして参加し続け、1995年に自らCan-doを立ち上げるなど大会を重ねるごとにその活動規模を広げてきた。
「今大会に参加したCan-doのスタッフは37名。そこに芸短(大分県立芸術文化短期大学)の学生さんたち20名に加わってもらいました。大分国際車いすマラソンはもはや大分県の秋の風物詩。この時期になると街を走る自転車を見ても『車いすかな』と思ってしまうくらい(笑)」(後藤さん)
その活動は「通訳」のみならず。大分空港や大分駅でのお迎えから、宿泊ホテルまでの引率、大会の運営方法や前年からの変更点などの説明、スタート前の手続きとゴールでの対応、さらには学校訪問や施設訪問、病気のときの対応まで多岐にわたる。大会期間中、大分にやってきたすべての外国人選手たちの身の回りを親身になってサポートするのがCan-doの役目。言葉も英語だけでなく、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、タイ語などあらゆる言語に4つの班で対応しているというから驚きだ。
「直接マラソンに関することだけでなく、例えば彼らの滞在期間中に急に病院に行かなくてはいけない可能性もあるので、車いすの人がかかりやすい病気のことを学んだり、障がいのクラス分けなどの勉強会を事前に開いたり。PT(理学療法士)やスポーツ指導員などの専門家の方々からのヒアリングをしっかり行うようにしています。言語に関しては、小中学校の英語の先生や青年海外協力隊の経験者、ALT(外国語指導助手)、国際総合学科の現役の学生さんなど、様々な経歴の人たちが参加しています」(後藤さん)
当然ながら代表の後藤さんをはじめ、普段は別の仕事をしていて、大会に合わせて休暇を取ってボランティア活動に参加しているという人がほとんどだ。第19回大会から参加しているという鷲見よしこさんもその1人。
車いすマラソンとの出会いは、1999年までさかのぼる。当時、英語を活かした他のボランティア活動をしていたという鷲見さん。「周りに車いすマラソンのボランティアもしている人が多くて、毎年大会の後に、興奮して話をしてくれるんです。そんなに楽しいの?って私も気になって。最初は英語も使えるしちょっとやってみようかな、くらいの軽い気持ちで始めました。最初の3年間ほどは外国人選手たちと接するのがただ楽しくて参加していましたが、今では皆さんがサッカーや野球観戦が好きなのと同じように車いすマラソンそのものの大ファンになっています。だって、野球で言うところの大谷翔平選手、サッカーならメッシ選手のような、車いすマラソン界のトップ選手たちのレースを間近で観られるんですから」
車いすマラソンを介した長年にわたる密なコミュニケーションによって、今ではいち選手とボランティアの関係を超えた特別な信頼関係も築くことができているという。
「選手たちがこの大会期間中をいかに快適に過ごせるか。それがすべてですね。レース以外でも、担当している国の選手たちが観光に行きたいと言えば一緒に行きますし、必要なものを考えて補充したり、買い物に行きたいとか、レーサーが壊れたから修理したいなど、細かなリクエストにも可能な限り応えるようにしています。その交流があるからこんな辺鄙な地にも(笑)わざわざ来てくれるのだと思います。優勝を狙うようなトップクラスの選手たちだけではなく、“今年も大分のみんなに会いに行こう”っていう感覚で、楽しんでハーフを走りに来る人もいるのが大分のいいところ。反対に、私がヨーロッパに旅行した時に、大分で担当したスイスやドイツの選手の自宅に泊めてもらったこともあるんです。連絡してみたら“いいよ”って。スペインに行ったらスペインの選手に泊めてもらって。本当に仲良くなれるんですよ」 。ちなみに鷲見さんを「泊めてくれた」スイスの選手とは、大分で14回優勝しているハインツ・フライ選手。スキーや自転車競技でも活躍し、パラリンピックで34個のメダルを獲得しているレジェンドだ。
「最初の1、2年は、(エントリーと大会当日の)土日だけ参加していたんですけど、滞在期間中、ずっと手伝っている人がいると知って、きっとその方が面白そうだと思って、だんだん増えて行きましたね。今はもう、この期間は2週間休みを取って最後の選手が帰る日まで参加しています。自分がそうしたいので。 すごく小さいことでも、自分が気がついてしたことでうまく行ったり、選手が喜んでくれたりすると自分が嬉しいんです。」(鷲見さん)
大会の進行や選手たちの足回りを円滑にするだけでなく、大会そのもののクオリティにも大きく寄与していると言える質の高いボランティア活動。大切なのは「継続すること」だと後藤さんは言う。「まずボランティアのメンバーが10年20年と続けてくれている。みんなすごく能力があるし優しい。それだけ惹きつけるものがあるんですよ、選手にね」
そして長年継続できているのは、行政、運営側、ボランティアそれぞれの風通しの良い関係性があってこそ。「ボランティア自身が継続によって力をつけて来たし、行政も選手やボランティアの希望に耳を貸してくれる。県に育てられたとも思っています」。Can-do代表の後藤さん曰く、どうやら大分県には特有の土壌があるようだ。
「例えば大分空港は、実は日本でいちばん、いや世界でもトップクラスと言えるくらい車いすの扱いが確かだと思いますよ。空港職員の方がとても慣れていますしね。もちろんそれだけではなくて、最初はハーフだけだったのがフルマラソンにしてくれたり、行政が選手の夢をひとつずつ叶えてくれている感じはしています」(後藤さん)
なぜ「大分県」は“パラアスリートの夢を叶える県”なのか? 次回は、その答えがわかる、大分国際車いすマラソンのルーツを紹介しよう。
OUR PASSION #29-1 ①「地元に愛されている実感」、マラソン運営事務局の奮闘
OUR PASSION #29-3 ③世界が愛する“OITA”のルーツは「日本のパラリンピックの父」
SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
www.suntory.co.jp/culture-sports/challengedsports/
Photos:Takao Ochi Composition&Text:Kai Tokuhara