7月8日から17日までフランス・パリで開催されたパラ陸上の世界選手権で、T11(視覚障がい)クラスの唐澤剣也(SUBARU)が男子5000mで金、同1500mで銀のメダル2個をつかみ、同時に4位以内に入った選手の国に与えられるパリパラリンピック出場枠も獲得した。
唐澤は初出場だった2021年の東京パラリンピックでは5000mで銀、1500mは4位。約2年間でたしかな進化を遂げ、来年に迫るパリパラリンピックで目指す、さらなる飛躍に弾みをつけた。
8選手が出場した5000m決勝は大会3日目の10日に行われた。スタートから、ブラジルの2選手が飛びだしたが、唐澤は今年4月からコンビを組む森下舜也ガイドと中盤に位置をとり、落ち着いて戦況をうかがう。
レースが大きく動いたのは2000mをすぎてから。前半でリズムをつくった森下ガイドから小林光二ガイドへの伴走交代を機にペースを上げ、3番手の位置から、35m以上あった先頭との差を徐々に詰めていく。。残り2周で東京パラリンピック金メダルのブラジル、イエスティン・ジャッキスをかわして2位にあがるも、先頭のフリオセザール・アグリピノとの差はまだ25mほどあった。だが、諦めない唐澤のペースは鈍ることなく、残り1周で約15m差まで詰めた。
さらにギアをあげた唐澤は残り250mでついにアグリピノをとらえた。相手もしばらく粘ったが、ここからが唐澤の真骨頂。加速を緩めず大外から勝負をかけ、残り150mで先頭を奪うと、ホームストレートでは逆に2秒以上の差をつけて初優勝を果たした。。マークした15分5秒19は大会新記録だった。
会心のレース後、唐澤は手ごたえをこう口にした。「できすぎなところもあるが、周りの状況をガイドの小林さんが細かく説明してくれたので、レースをイメージしながら落ち着いて走ることができた。たくさんの方の応援の思いを背負って、最後は気持ちで押し込んだ」
大逆転を支えた小林ガイドは、唐澤が昨年4月から所属するSUBARU陸上部のコーチで、唐澤の指導も行う。「前との差があったのは不安だったが、ラストしっかり切れれば、(逆転も)あるんじゃないかなと思って落ち着いていった。(ラストは)抜こうとすると向こうもしぶとく粘ってきたので厳しいかなと思ったが、唐澤さんの馬力勝ち」と笑顔でレースを振り返った。
来年に迫るパリでのパラリンピックを見据え、同じパリが会場となる今大会で唐澤が好感触を得られるよう、綿密に計画し練習を積み上げてきた。まず、海外の強豪たちとのレースを想定して普段から、SUBARUコーチ陣をペースメーカーに実戦感覚を磨いたり、競り合いの練習を重ねたという。
さらに大きかったのは5月に実施した、パリと同じ7時間の時差があるイタリアへの遠征だ。時差対策はもちろん、海外での食事や練習環境確保などを工夫し、レースで結果を残すという貴重な成功体験を得た。イタリア遠征を参考に今大会でも約1週間前に現地入りし調整できたことで、「気持ち的に余裕があった」と唐澤は振り返った。こうして、これまで重ねてきた準備の成果を存分に発揮し、つかんだ結果が金メダルだったのだ。
「今回の5000mは来年のパリ(パラリンピック)に向けて自信になるが、他の選手も私を目標にやってくると思う。負けないように、来年も金メダルを取れるように、頑張りたい」
1500mは大会5日目の12日に予選があり、1組目に登場した唐澤は4分11秒53の今季ベストで1着に入り、6選手しか進めない決勝に進出。迎えた翌13日の決勝では再び、ブラジルのジャッキスがスタートダッシュを決めるも、唐澤は一歩出遅れた。だが、5位から徐々に浮上し300m手前で2番手まであがり、先頭からは約20~30m後方でレースを進めた。
ラスト1周に入ると、3番手にいたポーランドのアレクサンダー・コザコ―スキーの猛追を受けたが、今季ベストとなる4分8秒26の走りで振り切り、銀メダルをつかんだ。
「1500mについては(世界選手権での)初めてのメダルなのでとても嬉しいし、自信になる。でも、タイム的にはまだまだ。スピード強化も来年に向けてしっかり入れていきながら、5000mと1500mの2種目で、今回の結果を超えるものを出したい」と唐澤は力強く言い切った。
レース中に展開に応じた戦略修正力にも手応えを得た。ジャッキスの飛び出しを想定し、一緒に前に出るプランだったが、スタート時の位置取り争いによって出遅れた。後方から追う形となり、プランが狂ったが、冷静に順位を上げて単独2位でレースを進めた。「単独走にはなったが、粘り強く走れたし、ガイドの小林さんも『落ち着け、ラスト勝負だ』と声をかけてくれたので、自分のなかで冷静にレースを運ぶことができた」と唐澤は振り返った。
小林ガイドによれば、レース前は「ジャッキスにつけるところまでつき、その後は1周66秒くらいのペースで走る」プランを描いていたが、スタート時に隣にいたペアに接触と思われるアクシデントがあり、その影響で「後方に押し込まれてしまった。だが、200mくらいで先頭のペースが落ちた感じがしたので、前に行ったほうが勝算があると思い、早めに前に出た。出鼻をくじかれたが、修正できた」という。
ポーランドのコザコ―スキーの猛追にも動じずに0秒08の僅差だったが、逃げ切った。唐澤は、「ラスト勝負でメダル争いになると考えていたので、しっかり脚を残していた」と振り返り、小林ガイドはスタート時のアクシデント対応によって脚を使ってしまい、「早々に乳酸が溜まり、最後は全然脚が動かない状態で少し危なかったが、唐澤さんが僕をしっかり率いてくれた」と安堵の表情で、鍛え上げた唐澤の強さを称えた。
1994年、群馬県渋川市生まれた29歳の唐澤は10歳で網膜剥離のため失明する。盲学校時代に体育や部活動でスポーツ経験はあったが、2016年のリオデジャネイロパラリンピックで視覚に障がいのある選手が活躍する姿に刺激を受け、陸上競技に本格的に取り組むことを決めた。
まずは地元の点字図書館に勤務しながら、支えてくれる伴走者探しから始めると、ひたむきで真面目な人柄が多くのサポーターを引き寄せた。地元有志の伴走者たちの支えを受け、グングンと力を伸ばすと、2018年には初の日本代表に選出される。アジアパラ競技大会(ジャカルタ)で国際戦デビューを果たすと、いきなり5000mで金、1500mで銅を獲得。2019年、自身初の世界選手権(ドバイ)では5000mで銅を獲得し、初のパラリンピックとなる東京大会への出場権もつかみ、夢舞台での活躍につなげた。
東京パラ後、国内大会の5000mでは14分55秒39をマークして世界記録ホルダーにもなった。さらなる進化を目指し、2022年4月には実業団の強豪、SUBARU陸上部に初の視覚障がい選手として加入。陸上競技に専念できる新たな環境を得て、練習の質と量が各段に向上した。
そして迎えた自身2回目の世界選手権で、金と銀のメダル獲得という大きな成果を残したが、「今回の金メダルはまだ通過点」と冷静だ。すべては来年のパリパラリンピックで最高の結果を残すために、唐澤はこれからも伴走者たちとともに走り続ける。
写真/吉村もと ・ 文/星野恭子