10月22日に開幕した「第4回 アジアパラ競技大会」は、23日から本格的に競技がスタート。初めて採用されたパラカヌーでは、3大会連続でのパラリンピック出場を目指す瀬立モニカ(女子KL1)が銀メダルを獲得し、日本人第一号のメダリストに輝いた。しかしタイムは1分07秒802と実力からはほど遠く、金メダリストとは12秒以上の差が開いてのゴールだった。実はその裏には、いくつもの闘いがあった。
200メートルの間、左に曲がったカヌーの進路方向を直すこと3回。スピードに乗った感覚はほとんど得られないまま、瀬立はゴールを迎えた。それは、これまで一度も見たことがない姿だった。聞けば、今回瀬立が乗ったカヌーはふだん使用しているものとは形状が異なる借艇だったという。
特に瀬立を悩ませたのは、座高の高さだった。シートを装着する部分が自分のものよりも4センチも高い設定だったため、重心が高くなり、水上でバランスを取るのに困難を極めた。「昨日までコーチと共に最善の準備をしようと、このカヌーにあわせる練習をしてきた」と瀬立。それでもやはりふだん通りにはいかなかった。推進力を生み出すには当然、前に体重をかける必要がある。しかしバランスを取ることを最優先にせざるを得ず、安定させて漕ぐために後傾気味の姿勢となっていた。
「改めて自分のカヌーがいかにたくさんの方たちのおかげで、自分が実力を出せるように細かくセッティングしてもらっているか、そのありがたさを感じました」
今ある力を全て出し切るというわけにはいかなかったが、それでも獲得した銀メダルは、今後への大きな後押しとなる。実は瀬立には東京パラリンピック以降、ずっと続いている闘いがあった。アスリートには宿命ともいえるケガだ。
瀬立には以前、右手首を手術した経験がある。今では影響なく動かすことができているが、今度はその右手首をかばうために知らず知らずのうちに酷使してきた左の手首と肘の状態が悪化。東京パラリンピックから1年半、満足に練習できず、「消えてしまいたい」と思うこともあったという。
「このままでは左は使えなくなってしまう」というところまで追い込まれ「メダルを取るまではやめられない」と目指してきたパリパラリンピックが刻々と迫る中、瀬立は手術に踏み切ることを決意。医師からは「手術をしても治るかはわからない」と言われたが、他に選択の余地はなかった。
「もし戻らなかったら、もうカヌーはできないだろうな」
そんな覚悟を持っての決断だった。
今年3月、瀬立は一縷の望みにかけて左の手首と肘の手術をした。再び水上でカヌーを漕ぐまでに至るには3カ月を要し、本格的に練習を再開したのは6月のことだった。経過は順調で、今は8割ほどにまで回復しているという。そんななかで迎えた今大会、瀬立はタイムではなく、メダル獲得を目標にして臨んだ。その結果、内容は決して納得のいくものではなかったが、それでもパリに向けての大きな一歩を踏み出した。銀メダルはその証だ。
「メダルを獲得したことで来年の自分がどうありたいかをしっかりとイメージすることができました。素晴らしいメダルセレモニーをしていただき、表彰台に上がるってやっぱり気持ちいいなと感じたんです。それが今後への大きなモチベーションになると思っています」
19年、東京2020パラリンピックのテストイベントでは銅メダルを獲得した経験はあるが、公式戦での国際大会では初の表彰台だっただけに、喜びも一入だった。そしてわずか4人でのレースだったが、瀬立にとっては感慨深いものがあった。初めてパラリンピックの正式種目となった16年リオ大会ではただ一人のアジア人として出場し、8位入賞。その後、同じアジアに“競い合える仲間”ができた。それが今大会の金メダリストだ。さらにもう2人の選手が後に続き、アジア一を決める今大会のレースが実現したのだ。
「初めてアジアパラで採用され、アジアでのパラカヌーの可能性が大きく広がったと感じました。そして私自身にとっても、アジアの中で競いあえる仲間がいるというのは大きな刺激になりますし、その存在が3人出てきてくれたというのは、たった一人で出場したリオの時を思うと、大きな発展だと思います。一方でまだ4人しか出場者がいなくて、予選なしの一発決勝の形でやらざるを得ない厳しい状況であることも認識しています。今大会でアジアの人にパラカヌーのことを知っていただき、興味を持ってもらえるきっかけになって、アジアでの裾野の広がりが出てくるといいなと思います」
一つ一つの歩みは決して大きくはないが、それでも着実に前進している。今大会が、アジアにおけるパラカヌーの歴史的第一歩でもあったことは間違いない。
瀬立自身は今、“這い上がり”の道半ばにある。ケガで練習がままならなかった1年半の間も、できることはやってきた。それは腕まわりが一段と大きくなり、さらに逞しさが加わった体をひと目見ただけでもわかる。一時は過去の自分と比較し、落胆することもしばしばだったが、そんな彼女を支えてきたのはそれまでと変わらず側にいてくれた人たちの存在であり、言葉だった。
「東京パラリンピック以降、悔しくて悔しくてどうにもならないくらい苦しい時間を過ごしてきました。特に手術後は“以前は何キロまで挙げられたのに”と過去の自分と比較してばかりいたんです。でも、今はようやく今の自分を受け入れられるようになり、物事を前向きに考えられるようになりました。それは入院中も退院後も周囲の人たちが、『良くなってきているから安心して自分のペースで頑張ればいいんだよ』などと声をかけ続けてくれたおかげでした」
ケガをしたことでプラスとなったこともあった。激しい運動ができなかった時期には、コアな部分を意識した練習をコツコツと積み重ねてきた。そうしたなか、一番に感じたのは“力を抜く”重要性だ。
「ケガをしたことで、自分の体を見つめ直すと同時に、力の出し入れを学びました。これまでは若かったので、練習スケジュールも詰め込めるだけ詰め込んで、できる限りのハードさを求めていました。でも、今は最大限に追い込む練習をするためにも休むときは休む。1週間のスケジュールの中で100%の力を出すために力を抜く日を作るようにしています。そうすることで無駄に力を放出させることなく、レース本番で全ての力をフォーカスさせて出すことにつながると考えています」
100%の力を出すために抜くところはしっかりと抜く。その意識は、パフォーマンスの中でも重要なポイントとなっている。水中を掻いた後のパドルを前に戻す動作では支点となる脇の下はブレがないように力を入れつつ、腕はしっかりと力を抜く。それが再びパドルを水中に入れて掻く際の力強さを出す“準備”となり、ひと掻きでの推進力を生み出す重要なポイントとなっているのだ。
さらに、瀬立に刺激と新たな発見をもたらした人物がいる。東京2020パラリンピックでは200mと400mの個人メドレーで金メダルに輝き、日本人女子では史上初の二冠を達成した競泳の大橋悠依だ。JISS(国立スポーツ科学センター)でのトレーニングでしばしば一緒になったことで交流が深まり、さまざまなアドバイスをもらったのだという。
「カヌーでは単に腕を引くというのではなく、パドルを水に刺したポイントに自分の体を持っていくことが重要です。それが競泳でも共通していることを知って、再確認することができました。それと大橋選手が言っていたのは、競泳では左右のニ軸だけでなく、体の中心部分も合わせた三軸で考えられた動作解析をするということでした。そのため左右を対称にバランスよく動かすだけでなく、重要なのは体の中心部分がブレないこと。それがあって左右の腕の回旋があると。三軸での考え方は初めて聞いたので、とても参考になりました」
大橋の話を自身のパフォーマンスに置き換えて考えた瀬立は、今、重心を置く部位を変え始めた。それは新たな挑戦に踏み切ったことが要因だ。少しでもひと漕ぎでのパワーを高めようと、9月からひと周り大きいパドルを使用し始めたという瀬立。水を捉える面積が広がった分、パワーや体力はもちろん、重心のバランスがより必要となったのだ。
そこでこれまでは胸部だった重心の位置を、へその部分、いわゆる丹田と言われる部位まで下げたのだ。瀬立にとっては障がいで感覚を失った部分だが、そこに意識を向けることで強化され、パフォーマンスが変わることは過去の自分が証明済み。より重心の位置を低くすることでバランスが安定し、ひと周り大きいパドルにも対応することができる。そしてそれがより大きな推進力を生み出す。瀬立はそう考えたのだ。
大橋の存在は、心の支えにもなっている。「私だって、落ち込むことはあるよ。でも、そんなの人間なんだから仕方ない。だから落ち込む時はとことん落ち込んでいいと思う」。そんなひと言が、瀬立を安心させ、前向きにしてくれたのだ。
手術をしてほとんどゼロの状態から這い上がっていくという感覚は、障がいを負った時に近いものがあるという瀬立。当時と同じように、今、一日一日できることが増えていくことが何より楽しく、そのことに喜びを感じている。
まずはできる限り早期に左右の力を同等に戻し、パフォーマンスを引き上げていくことが今後の最重要テーマとなる。焦りは禁物だが、それでもゆっくりはしていられない。まだ状態が上がらないまま臨んだ今年8月の世界選手権では9位となり、パリパラリンピックへの切符を手にすることはできなかった。残るチャンスは一度きり。来年5月の世界選手権で、すでにパリ行きを決めている7人を除いて上位4人に入らなければならない。
「今のままでは勝つことはできないのは明らかで、厳しい状況にあると思います。でも、ようやく明るい兆しが見えてきて、私自身もこうやってレースに挑めるくらいにまで元気を取り戻すことができています。残された時間は多くはありませんが、とにかく一生懸命に、そして謙虚な姿勢で頑張ります。どんな状況でも最善を尽くすことが、今の自分がやれることですし、それが応援してくれているたくさんの方への恩返しでもあると思っています」
パリへのラストチャンスまで、残り7ヵ月。後ろを振り返ることなく、脇目もふらず、一心不乱に“最短・最速”で突き進む。
写真/越智貴雄・ 文/斎藤寿子