10月22日から7日間の日程で中国・杭州で開催されたアジアパラ競技大会では息詰まるライバル対決がいくつも展開された。例えば、陸上競技では男子T64の200m決勝と100m決勝がまさにそんなレースに。日本が誇る義足スプリンターの二人がアジア最速のレースをくり広げた。
まず大会2日目に行われた200mは井谷俊介(SMBC日興証券)がアジア新記録となる22秒99をマークして快勝。自らもっていたアジア記録を一気に0秒5も短縮する好走だった。東京パラリンピック200mで8位の大島健吾(名古屋学院大AC)が23秒61でつづいた。
「楽しかったです!」とレース後、開口一番に語った井谷。アジア新には、「200mではなかなかベストが出ていなかった。目標だった22秒台に、ギリギリだがパンと入って、信じられないくらい」と喜んだ。
「内側に大島くんがいたので気を取られるかと思ったが、レースに集中してプラン通りに走れば結果はついてくるだろうと、スタートから前半を飛ばした。コーナー出口での加速を我慢して、ストレートに入ってからギアを上げるくらい、余裕をもって走れた」
井谷は約4年ぶりの日本代表復帰レースだったが、「久しぶりの国際大会で普段味わえないような高揚感とか、お客さんの声とか、ライバル選手とのピリつきとか、『陸上をやってて楽しいな』と思った」と笑顔。さらに「東京パラに出られず一度くさったが、悔しさが原動力をくれた。なにくそと、もう1回やってやろうと思って一生懸命取り組み、それが結果につながってよかった」と達成感をうかがわせた。
敗れた大島は、「今まで(井谷さんに)負けるもんか、負けるわけがないと思って走っていたが、今日、あれだけ前を走られてしまったら、僕の完敗。次に向かうしかない。チャレンジャーとして、また頑張りたい」と悔しさをにじませつつ、前を向いた。
注目の「次」はさっそく3日後にやってきた。大会5日目の100m決勝だ。今度は大島がスタートから勢いよく飛び出して快走。井谷がもっていたアジア記録を0秒04更新する11秒27で初制覇し、一矢報いた。
井谷は200mとの二冠と、さらには前回2018年ジャカルタ大会からの100m連覇を狙っていたが、「ミスがあった」というスタートでの出遅れを取り戻せず、11秒49に終わる。それでも、日本勢のワンツーフィニッシュは死守した。
3日前の悔しさをすぐさま返上した大島は快走の背景について、「200mで負けた後、100mでしっかり走るしかないと切り替えた。自分の走りができるように集中した」と明かし、「200mであれだけ離されて負けたので、(100mも)井谷さんが前を走ると想定していたが、その前を走ることができて楽しかった」と振り返った。
敗れた井谷は、「スタートを失敗し、そのまま大島くんに前に出られた。今季は(100mの)後半を意識して練習してきたので後半は良かったが、スタートでやられてしまった」とレースを振り返り、「(今大会で)勝ちも負けも味わえたのは良かった。パリ(パラリンピック)での金が一番の目標なので、この冬は一生懸命頑張りたい」。悔しさをまた、糧にする。
二人はともにここ数年、苦しい時を過ごしていた。このアジアパラ大会は復活を期した重要な大会だった。
井谷は2016年に交通事故で右脚を切断後、2017年から義足での陸上競技を本格的にはじめるとスプリンターとして急成長。タイムも順調に伸ばし、2018年秋には前回のジャカルタでのアジアパラ大会で100mを初出場で初制覇し、東京パラリンピックのエース候補に名乗りをあげた。
だが、2020年に入ると、たび重なるケガや練習方法の迷いなどに、コロナ禍も重なって不調に陥ってしまう。ケガを抱えながらレースに強行出場しては悪化させ、いい練習が継続できず、タイムも思ったように伸びない。1年延期された東京パラ出場に向けてもがいたが、派遣標準記録には届かず、出場を逃した。悔しくてかなり落ち込んだが、それでも前を向けたのは、「やっぱり陸上が好きだ」という思いと、「例え勝てなくても記録が出なくても、自分が走るだけで喜んでくれて、支えてくれる人たちのために走りたい」という、義足で陸上を始めたときの原点に立ち返ることができたからだという。
一方の大島は、生まれつき左足首から先が欠損していたが、日常用の義足でスポーツに取り組み、高校時代はラグビー部で活躍。大学入学後に競技用義足で陸上を始めると、競技歴2年半だった2020年9月、日本選手権の100mで井谷らを抑えて初優勝。翌2021年4月のジャパンパラ大会は当時のアジア新となる11秒37で制すなど勝利を重ねた。東京パラ代表に選出されると、混合4×100mユニバーサルリレーで第2走者として銅メダルを獲得に貢献。200m男子T64でも決勝に進出し自己ベスト(23秒62)をマークした。
東京パラ後、より速い走りを求めて義足の改良に取り組みだしたが、しっくりくる形状にはなかなかたどり着けず、「沼にはまった」。2022年3月には健足側の右アキレス腱を損傷する大ケガも負う。義足の左脚より健足の右脚が短いため接地時のアンバランスな動きの負担が大きいことも原因だった。
走れない期間が長引き辛かったが、その間に大島も多くの支えに気づいた。「みんなの期待に応えたい」という思いを頼りに地道なトレーニングと義足の改良に明け暮れた。2022年7月、愛知パラ大会で約9カ月ぶりにレースに復帰。タイムは11秒86と「遅すぎた」が、思いきり走れる喜びをかみしめた。「これからどんどん上げていき、周囲の期待に応えていきたい」と改めて思ったという。
互いにどん底を見ながら、各々の「走る意味」を復活の原動力に、今大会でそれぞれ「アジア王者」の称号を手にした二人。井谷が、「純粋に大島くんと勝ち負けを競い合えているのが楽しい。これからも、二人で記録の塗り替えをやって(進化して)いければと思う」と力を込めれば、大島も、「高めあえる存在があって良かった。ちょっと気を抜くと、すぐに抜かれるので頑張りたい。義足に対していろいろ挑戦してきたが、ようやく沼から抜け出せそうな感覚もある。さらに磨き続けてパリの決勝で戦いたい」と意気込んだ。
共通の目標は来年5月の神戸世界選手権、さらにはパリパラリンピック出場だ。これからもよきライバルとして切磋琢磨を重ね、ともに強くなっていく。
写真/吉村もと ・ 文/星野恭子