激しいボールの動きの中で鈴が奏でる大小の音。選手たちの息づかい。静寂に包まれた体育館で聞こえる音はそれだけだ。黙々とトレーニングを続ける金髪の選手。アイマスクを外して汗をぬぐうと、イキのいい爽やかな笑顔が弾ける。東京パラリンピックに出場し、安定感あるプレイで日本代表チームを牽引する若手のホープ、佐野優人選手だ。
幼い頃から野球が好きで、甲子園を夢見て打ち込んでいたが、中学3年生のときにレーベル病という難病を発症。急激に視力が失われていった。「野球を続けられなくなって落ちこみました。でも半年くらいして、親と病院の先生の勧めでゴールボールの見学に行ったんです。そうしたら…」。初めてゴールボールを見て驚いた。「全く見えないのに、こんな動きできるのか! なんだこれは?」と。さっそく少し体験させてもらい、半年ぶりにたくさん汗をかいた。「気持ちよかったです。まるでひとめぼれのような感覚で、のめりこんでいきました!」 鈴 が入った約1キロのボールを転がし、ゴールに入れて得点を競う。視覚障害の度合いに関わらず全員アイマスクを着用し、音を頼りに全身を投げ出してボールを止める。その豪快な動きとスピード感に魅了された。
当初、障がい者スポーツに抵抗があったという。「ぼくにとって野球がスポーツのすべてでした。障がい者は、スポーツとは無縁なんじゃないかと勝手に思っていたんです。」しかし、ゴールボールでその認識が大きく変わった。「いい意味で“裏切られた!”と。かっこいい! 動きも見た目も、純粋にスポーツとしてかっこいい! 人間の可能性ってすごいな。障害あるなし関係ないじゃん!って」
ゴールボールの魅力について尋ねると、「誰かがつけた『静寂の格闘技』という名前がありますけど、ぼくにとっては『視力なしの球技』です。」という答えが返ってきた。人が生活する中で受け取る情報の8割は視力といわれており、その視力をシャットダウンすることで、ふだん感じられない感覚を体験できるというのだ。「スポーツでは珍しいんですけど、選手同士がぶつかってしまうんです。無我夢中になればなるほど、ぶつかります。見えていれば、寸前で止まれたりするけど、見えてないからこそしっかりとぶつかりにいってしまいますね」。だから視覚に頼らないコミュニケーションが重要になる。「選手はアイコンタクトができないし、鈴の音に集中するために基本無言です。仲間同士でも、暗闇の状態で声が出ないとすごい孤独を感じるんですよ。でも、だれか一人でも『右だよ』と言って、『OK』と答えたら、みんなで右を見てる感じが伝わるんです」。こうした視力を超えた新たなスポーツ体験もゴールボールの魅力なのだろう。
そしてパリではメダルをねらう。「東京パラリンピックのリベンジっていうのがまず第一です」。準々決勝で中国に負けた悔しい経験が、最大の原動力になっている。「大前提で優勝です。最低限で3位以内に入りたい。パラリンピックでメダルを獲ることは、だれもができる経験じゃありません。しっかりとメダルを取って、この時代に自分がいたっていう証明もしたいです。そして、家族を含め、多くの人に応援してもらっているので、メダルという結果を見せることは、言葉以上の恩返しになると思っています」。パリでのメダルへの強い思いは、個人の栄光を追求するとともに、周囲への感謝の意味がある。
パリでは自分のプレースタイルにも注目してほしいという。「ディフェンスでは、『止めます』。どんな形であれ、ボールを止めに行きます!」と力強く宣言する。「攻撃では、細かく工夫を仕込んでます。例えば、投げる時間を一定にしません。相手が読みにくいようにいろいろな投げ方をします。」また、得点したり惜しいボールを投げたりしたときは、その次を大切に考えているという。「よかったね、今惜しかったね、とかじゃなくて。じゃあ次こうしたらより崩せるんじゃないか、という発想を常にすることと、その体現を心がけていますね」
「ぼくらは昨年8月のイギリスの試合でパリパラリンピック出場権を獲得しました。それでパラ関係者で盛り上がって浮かれてたら、世間は同時期にオリンピックを決めた別の競技で盛り上がってた」。こうした現状に対し、「なにくそ」という気持ちは大いにある。「でも昔の自分の見ているようでわかる気もするんです。障害者スポーツがまだスポーツとして認められてない。知ってても“かっこいい”じゃなくて“がんばっててすごいね”で終わってしまう」。だからパラリンピックで結果を出し、メディアに出て競技の知名度向上に貢献したい。SNSや講演会を通じてもゴールボールを身近に感じてもらうよう努めている。
「小学校や中学校での講演会など人前に出るときは、髪色を変えたりして、なるべく印象に残るように心がけてます。ぼくを知ってもらい、ゴールボールというスポーツの魅力を広めて、次世代の選手を生むきっかけを作りたい!」選手活動にとどまらず、ゴールボールの未来をエネルギッシュに切り開く。目指すは、ただの勝利ではない。競技の発展と新たな世代への希望の橋渡しだ。
今年の夏、佐野のパリでの活躍は、ゴールボールの魅力を世界に発信する大きなチャンスだ。視力を失って開花した才能が、視力を超えたスポーツの世界でどんな革命を起こすのか、その瞬間が待ち遠しい。
【佐野優人】
さの ゆうと●2000年6月20日生まれ、埼玉県狭山市出身。野球に打ち込んでいた中学3年生の時、レーベル遺伝性視神経症という目の難病と診断され、視力を徐々に失う。その後、家族の勧めでゴールボールを始め、2016年に東京オリンピック・パラリンピックアスリート強化指定選手となり、2017年には日本代表に初選出された。東京パラリンピックでは5位入賞。日本国土開発に所属。
【越智貴雄】
おち たかお●1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、これまで夏・冬、11度のパラリンピックを撮影。2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと社会を「近づける」活動を展開中。
取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]