パラスイマーによる世界最高峰の競演にパリ・ラ・デファンス・アリーナが沸いた、パリ2024パラリンピックの水泳競技。日本選手団のメダル第1号となった鈴木孝幸、男子100メートルバタフライで連覇を果たし、50メートル自由形との2冠に輝いた木村敬一をはじめ、パラ水泳日本代表“トビウオパラジャパン”は、計12個(金3、銀3、銅6)のメダルを獲得した。自己ベストを目指す戦いに挑んだ「熱狂」の日々を振り返る。
トビウオパラジャパンは、22名(男子12名、女子10名)の選手でパリ・パラリンピックに臨んだ。2004年のアテネからパラリンピック6大会連続出場の鈴木孝幸(S4・運動機能障がい)。競技初日に行われた男子50メートル平泳ぎで、48秒04の日本新記録で金メダルに輝きチームに勢いをもたらすと、50メートル自由形では36秒85のアジア新記録をマークし銀メダルを獲得した。今大会で出場した4種目すべてでメダル(金1、銀2、銅1)を獲得し、「マルチメダリスト」(複数のメダルを獲得する選手)としてのプライドを示した。
「パラリンピックで自己ベストを更新し、アジア新記録が出せた。この歳(37歳)で結果を残してチームに貢献することができ、自分の役割を果たせた」と、ベテランの風格を漂わせた。
5大会目のパラリンピックに臨んだ木村敬一(S11・全盲)は、男子50メートル自由形で25秒98の日本新記録をマークし、この種目で初の金メダルを獲得。また、フォーム改良に取り組んだメイン種目の男子100メートルバタフライでは、パラリンピック記録を更新する1分00秒90の泳ぎで連覇を果たし、見事2冠に輝いた。
フィジカルを徹底的に鍛え上げ、独学で習得したバタフライの泳ぎで悲願のパラリンピック金メダルを掴み取った3年前の東京大会。追い求めてきた金メダルを獲得してからは、「泳ぎをよくしたい」と、競技人生初のフォーム改造に挑んだ。
今年3月のパラリンピック代表選考会では「パリ本番に間に合うか分からない」としながらも、木村の表情は明るかった。「自分の知らなかった世界を泳ぎというものでたくさん知ることができた。水泳を長くやってきたが、それでもまだまだこんなに知らないことがあるんだと楽しむ一年にできた」
そのわずか半年後、「現時点での最高の状態はここだった」という泳ぎで、自己ベストを0秒27更新してみせ、東京パラリンピック決勝での自身の記録を、実に1秒09も上回るタイムで連覇を成し遂げた。
「技術でここまで記録を伸ばすことができた。ひとつの成果として自信を持ちたい。金メダルを獲れたのはうれしいが、スイマーとしては記録を上げるということにもう一度気持ちを戻せて、改めて水泳の楽しさ、おもしろさに気付けた」。木村の胸に、大きな金メダルが輝いた。
今大会では、窪田幸太(S8・運動機能障がい)、辻内彩野(S12・視覚障がい)、木下愛萊(S14・知的障がい)と、新たに3名のパラリンピック・メダリストが誕生した。
東京に続き2大会連続のパラリンピック出場を果たした窪田幸太は、メイン種目の男子100メートル背泳ぎで銀メダルを獲得した。ただ、金メダルを獲得したスペイン選手のタイムは1分05秒58で、仮に窪田が自己ベスト(1分05秒56)のタイムで泳いでいればメダルの色が違っていただけに、悔しさは大きかった。
決勝レース前、アップの調子も良く、金メダルを狙えるという考えが頭をよぎった。しかし初めての有観客でのパラリンピック、これだけの大観衆の中で泳ぐことも初めてで、そこに決勝の独特な雰囲気まで加わった。「どこか浮足立ってしまった。気づいたらスタート台の前にいて、笛が鳴って、スタートしていた。自分のしたいレースに集中しきれなかった」
窪田は「今回パリで経験したことは大きい」と語り、「4年後のロス大会で、次こそは金メダルを獲得したい。『メダル獲得』ではなく『金メダル獲得』を意識していきたい」と、すでに気持ちは4年後に向けられていた。
女子100メートル自由形で銅メダルを獲得したのは、辻内彩野だ。
パラリンピックを4か月後に控えた今年4月、視覚障がいのS13クラスから1段階障がいの重いS12へと変更された。パラ水泳では出場人数等の理由から同じ種目でも大会によって実施されないクラスがあり、これまで辻内が勝負してきた50メートル自由形はS12クラスでは行われない。そのため、急ピッチで(S12の実施がある)100メートルで戦える泳ぎに仕上げなければならなかった。「6年間、50メートルに照準を合わせてやっていたのが、いきなり100メートルがメインになって、頭の中がパニックになった」
練習メニューも変更し、気持ちの整理がつかないまま臨んだパリ大会ではあったが、決勝を1分01秒05で泳ぎ切り、銅メダルを獲得した。
「予選のタイムが全体の2位だったので3番という結果は悔しいが、なんとか3位に食い込むことができて、今はうれしい気持ちの方が勝っています」
表彰式では、一番大きな声で応援してくれた家族に手を振り、満面の笑顔を見せた。
パラリンピック初出場、18歳の木下愛萊(S14・知的障がい)は女子200メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。2歳で水泳を始め、パラ水泳の大会には2022年から出場。昨年の世界選手権では同種目で銀メダルを獲得し、一気に注目を浴びた。
今大会では4種目にエントリーし、100メートルバタフライを5位、200メートル自由形を6位で終え、200メートル個人メドレーを迎えた。レース前、姉妹のように仲の良い辻内彩野から「もらえるもん(メダル)、もらって帰ろう!」と声をかけられ、「気持ちが楽になった」と木下。
決勝の舞台に笑顔で登場し、「メダルが獲れる種目はもうこれしかないという思いで、全力で泳いだ」という言葉の通り、5位、4位とぐんぐん順位を上げ、2分25秒96の3位でゴールした。
ようやく喜びの表情を浮かべた木下だったが、プールを後にすると涙があふれた。「練習でもレースでもうまくいかなくて、気持ち的にしんどかった」。そうして、初の大舞台でつかみ取った銅メダルを胸に、「すごく重みがある。がんばってきてよかった」と、少しはにかみながら“あいらスマイル”で語った。
木下と同世代の高校生スイマーたちも躍動した。女子100メートル平泳ぎに出場した高校3年生、18歳の福田果音(SB8・運動機能障がい)は、予選全体4位で堂々と決勝進出を果たし、1分26秒88のタイムで 7位入賞。
また、「自分が次の世代を引っ張っていきたい」と頼もしく語る、チーム最年少15歳(高校1年生)の川渕大耀は、メインの男子400メートル自由形で7位入賞。200メートル個人メドレーでは予選14位に終わり悔しさの残る結果となったが、それでも世界最高峰の舞台でしっかりと存在感を示した。
トビウオパラジャパンが、パリ大会で掲げたスローガンは「熱狂」。
プールをぐるりと囲む観客席は連日のように埋め尽くされ、0.01秒を競う白熱したレースに、歓声があがり色とりどりの国旗が舞った。パラリンピックの会場はまさに「熱狂」が渦巻く場所だった。東京大会では叶わなかった、有観客のパラリンピックを初めて体感し、人一倍、その熱量に心を動かされたのが、富田宇宙(S11・全盲)だろう。
男子400メートル自由形と100メートルバタフライの2種目で銅メダルを獲得した富田。レース前、大歓声で迎えられると思わず表情が緩み、会場BGMに合わせ手拍子でリズムを刻んだ。
「スポーツが文化として根付いていて、大会を盛り上げたい、楽しみたいという気持ちがすごく見える。みんなが喜んでいること、みんなが楽しんでくれることがうれしくて一生懸命泳ごうって思った。すばらしい場所に立たせてもらって、自分の障がい、家族、仲間、ファンの方に感謝でいっぱい。有観客のパラリンピックに初めて来て感動しっぱなしです」
これまで自分がパラリンピアンの先輩に学び、影響を受けたことを多くの人に届けたい、パラスポーツを躍進させる一部になりたいと、今大会のレースでも戦う姿勢を貫きしっかりと結果を出した。
そうして2つのメダル獲得も、富田にとってはそこだけがゴールではない。「メダルにこだわると自分はがんばれない。スポーツの価値、障がいのある人への理解、そういった共生社会の実現の役に立ちたいと思って水泳を始めた。何かに夢中になるのは大切なことだし、パラ水泳では同じ種目に(障がいの種類や程度によって14のクラスがあり)金メダルが14個ある。それぞれに金メダルがあっていい、そういう価値観を伝えたくてがんばっている。僕が信じる価値、僕が伝えたい思い、社会をよりよくするというパーパス、そういったものを信念として競技をしている」
パリの熱狂は、富田の思いをより強くさせたに違いない。
パラリンピックの大舞台で、自分史上最速に挑んだトビウオパラジャパン。唯一無二のパフォーマンスで、固い信念を胸に、自己ベスト更新を目指すパラスイマーたちの挑戦に今後も注目だ。
写真/X-1・ 文/張理恵