日本代表も出場した平昌パラリンピック、パラアイスホッケーの会場・江陵ホッケーセンターで、「もう1人の日本人」がパラリンピックの舞台を初めて踏んだ。
レフェリー(主審)の山口壮太郎さんだ。
最初の試合となったのが、競技2日目のカナダ対イタリアのカード。結果は優勝候補のカナダが10-0でイタリアを退けるワンサイドゲームとなったが、終盤になってもカナダ選手の鼻息は荒く、第3ピリオドでイタリア選手に頭部および首への危険なチェックをして試合が中断。レフェリーの山口さんは、毅然とした態度でカナダ選手にマイナーペナルティ(2分)+ミスコンダクトペナルティ(10分)をジャッジし、試合をコントロールした。1次リーグでは他にイタリア対スウェーデン戦、ノルウェー対スウェーデン戦も裁いた。
連日、会場には韓国戦以外でも大勢の観客が訪れ、全力でパックを追う選手を大歓声で応援した。山口さんは、「世界最高峰の大会は、独特の高揚感があります。ここに立つことができて誇らしいですね」と話し、笑顔を見せた。
アイスホッケーはレフェリー1人とラインズマン2人でジャッジを行なう。この種目で日本人がパラリンピックの審判に選ばれたのは、地元開催の1998年長野パラリンピックを除けば、山口さんで3人目となる。ソルトレイクシティ大会にラインズマンとして、トリノ大会にレフェリーとして参加した笠原芳文さん(やまびこの森アイスアリーナ職員)は、「普段からきちんと仕事をしていないと選ばれない。パラリンピックの審判団に選ばれるのは非常に名誉なことだし、山口さんが平昌の舞台に立つことをとてもうれしく思います」と話し、後輩の活躍に目を細める。
山口さんはカナダ・トロント生まれ。大学卒業までトロントで過ごした。幼少期からアイスホッケーに親しみ、高校まではプレーヤーとして活躍。大学1年でレフェリーに転身した。アイスホッケーのレフェリーのキャリアは約20年で、普段は一般のアイスホッケーで笛を吹き、アジアリーグや世界選手権のディビジョンIIBなども経験している。現在はアメリカ・カリフォルニア州在住だ。
大学卒業後、2005年の愛知万博でカナダ館のスタッフに採用されたのをきっかけに来日。その滞在中もオフの日に氷に乗りたいと考えた山口さんは、地元のアイスホッケークラブを突撃訪問。事務所で「レフェリーをしたいんですけど」と交渉し、ボランティアで笛を吹いていたそうだ。
そんな時、クラブの関係者から「日本の実業団チーム、日本製紙クレインズが通訳を探しているが興味はないか」と聞かれた。高校時代にトロントにクレインズが合宿に来て、チームを知っていたこと、また当時はレフェリー以外の仕事はしていなかったこともあり、万博終了後はカナダに帰国せずに、そこから2年間、クレインズの通訳として活躍した。
その後、一度カナダに帰国した山口さんだが、今度はクレインズからチーム付きレフェリーの打診があり、再び日本へ。09年から14年までの5年間、選手とともに汗を流した。
この間に長野でパラアイスホッケーの世界選手権Bが開かれ、観戦していたところ、日本の協会スタッフに声をかけられ、そこからパラアイスホッケーとの関わりが始まった。
「前回のカナダ帰国時に実は偶然、一度パラアイスホッケーのレフェリーを経験していました。面白いなと思っていましたし、スタッフの方の熱心なお誘いもあって、やることにしました」
日本では16年の世界選手権B(苫小牧)でレフェリーを務めた。その実績が認められ、昨年4月の世界選手権A(韓国)にも選ばれた。このときは結局、スケジュールの都合で参加はできなかったが、最終的にIPCパラアイスホッケー委員会から平昌大会へのオファーが届いた。今年1月、パラに出場する4カ国が集結した国際大会(長野)にも参加している。
スレッジ(そり)に乗ってプレーするパラアイスホッケーは、選手と審判の視線の高さが異なる。氷に近い位置でのプレーゆえ死角が多く、またスレッジにパックが隠れてしまうなど、判定のために細かな注意力が要求される。審判が足元をすくわれることも少なくない。
また、パラアイスホッケー独自の反則で、パックを持つ相手選手にチェックに行くときに、自分のスレッジの先端を相手選手のスレッジの側面に垂直に当てる「ティーイング」がある。
「パラアイスホッケーでは、自分のポジショニングがより大事になってくると思います。ラインズマンとのコミュニケーションを密にして、絶対にミスジャッジしないよう心掛けています。日本や韓国のレフェリーは英語がネックになりがちですが、そこだけは自信がありますので」
パラリンピックが始まる前に、一度アメリカでパラアイスホッケーのリーグ戦の審判をしてきたという。
「代表選手はおらず、そこまで高いレベルではなかったけれど、いい準備ができました」と山口さん。できるだけ多くの試合を観て、学ぶ姿勢も忘れない。今大会も先輩レフェリーたちの姿は、ひとつの目標になっている。トリノから今回の平昌大会まで4大会連続で出場しているジョナサン・モリソンさん(アメリカ)や、パラリンピックは初めてながらレフェリー経験豊富なケビン・ウェビンガーさん(カナダ)ら、ベテランの動きをチェックする。
「アクションも大きく、自信を持ってジャッジをしていますよね。パラアイスホッケーに関わって長いし、やはりうまい。彼らと一緒に吹けるのはうれしいことです」
アイスホッケーのレフェリーは原則、自国チーム以外の試合を担当する。
「できるだけ多くの笛を吹きたい」と意気込んで臨んだ平昌パラリンピックを、「結果は(担当した試合数は)希望通りにはいきませんでしたが、いい経験でした。色々な仲間たちと一緒に組んで、試合を吹く機会があったことは誇りに思います」と振り返る。
将来のビジョンを聞くと、「私自身、先輩たちの動きを見て、盗んで、成長してきました。まだまだ習うことがたくさんありますが、いずれ若いレフェリーやラインズマンにアドバイスできる立場になりたいですね」と語った山口さん。平昌パラリンピックでの経験は、そのレフェリー人生に輝かしい1ページを加えることだろう。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu photo by Photo Service One/Uehara Yoshiharu