2018年、国枝慎吾(ユニクロ)が復活の狼煙(のろし)を上げた。
今年1月、車いすテニスの全豪オープンで頂点に立った。決勝の相手は、試合巧者で長年のライバルであるステファン・ウデ(フランス)。右肘の故障と休養を乗り越え、実に3年ぶりの栄冠だ。それだけに「やっと優勝できて、最高です」という言葉に、確かな自信が滲んでいた。
2015年は、4大大会すべてを制する年間グランドスラムを達成し、最高の状態でパラリンピックイヤーを迎えるはずだった。ところが、古傷の右肘の痛みが再発し、3連覇を目指した2016年のリオパラリンピックは準々決勝で敗退してしまう。
その後は長期休養を余儀なくされ、復帰したのは翌2017年4月のこと。その年の2月ごろから、肘に負担がかかりにくいバックハンドのフォーム改良に取り組み、大会にエントリーするたび注目を集めたが、このとき実はまだ、たまに痛みが出るような状況だったという。不安を感じながら自分のテニスを模索する日々。この年、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンにも出場したが、納得いくプレーはできなかった。
ようやくトンネルの出口が見え始めたのが、昨年11月ごろのことだ。「打ち方の改造を完全にやりきって、痛みから解放された」ことで不安材料がなくなり、世界トップ8のみが出場するマスターズで予選を突破。準決勝でリオパラリンピック金メダリストのゴードン・リード(イギリス)に敗れたものの、ライバルたちに復活を強烈に印象づけた。
「2017年はバックハンドの調整に四苦八苦していましたし、勝ち負けは二の次というところでやっていたので大変な1年でした。世界マスターズのころから状況が上向き、結局1年で全豪のタイトルを獲れたのは一番の成果だと思いますし、やってきたことは間違いじゃなかったという確認になりました」
その後は、今年4月のテグオープン(韓国)で優勝、さらに世界トップランカーが集結した5月のジャパンオープン(福岡)でも単複でファイナルまで進出するなど、好調を維持している。
「ただ、改良したバックハンドをストロングポイントにするには、もう少し時間がかかると思います」と国枝。
「まだ感覚を掴んで半年。出来としては7割くらいですが、それだと初心者をちょっと抜け出したくらいの感じ。ここからいろんなバリエーションを増やしていきたいと思っています」と、“伸びしろ”を口にする。
また、これまでは練習のほとんどの時間をバックハンドの改良に費やしていたが、競技用車いすでバケットシートを採用したり、ラケットのメーカーを変えるなど、用具の刷新も同時進行で行なっていた。「この挑戦も大きかった」と国枝は言う。
「用具が固まってきたことで、フォアやサーブの練習はほぼしていなかったのに、よりアグレッシブなプレーができるようになって、集中力が高まってきた。いまはこうやって打てばもっといいボールがいくんだなっていう体験が、2週間に1回くらいあるんですよ。いろんな発見があるから、テニスを始めた時みたいに、楽しくやっています」
この4月から、国枝は岩見亮(たすく)コーチとタッグを組んでいる。岩見氏は元プロテニス選手で、現在は吉田記念テニス研修センター(TTC)のヘッドコーチを務めており、「新しい角度からテニスを見たい」と、国枝のほうから岩見コーチに声をかけたという。
岩見コーチは、現役時代15年間にわたってプロツアーに参戦し、グランドスラム予選出場や全日本選手権ダブルス優勝などの実績がある。指導者になってからは、フェドカップのコーチを兼任するなど、プロ選手やトップジュニア選手を教えてきた。車いすテニス選手の指導は国枝が初めてで、「勝って当然のところにいる選手だから、プレッシャーはめちゃめちゃありました」と話す。
「僕自身の経験にもなるので引き受けましたが、彼の人柄によるところが一番大きいですね。テニスに対する好奇心は本当に強いし、互いに成長できる関係だと思います。僕は戦術からはめ込むコーチングスタイルで、たとえば、ここに配球しようと言ったら、技術力が高い彼はそれをすぐに再現できるから、より重点的に練習できる。前任コーチの丸山(弘道)さんが、慎吾にここまでのスキルをしっかり習得させたすごさを感じています」
ふたりのテーマは「一歩、先に行く」。いまや男子の上位トップ8の選手たちは実力が拮抗しており、誰が勝ってもおかしくない群雄割拠の時代に突入している。そのなかで頭ひとつ抜けるには、やはり相手に対する戦術をいかに用意するかがポイントになる。現在は、威力が増したショットを“効率よく”配球することを念頭においた、パターン練習を行なっているという。
その戦術の「引き出しの多さ」は、早くもジャパンオープン(5月14日~19日・福岡県飯塚市)で発揮された。準決勝のグスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)戦では、ファイナルセットでショットのパターンを変え、一気に引き離した。「それは勇気がいることなんです。相手は世界2位で、失敗したら反撃を食らってしまうから。だけど、それをやり切るのが、いまの慎吾の強さだと思います」と岩見コーチ。また、国枝自身も「(パワーヒッターの)フェルナンデス相手に、フォアハンドでウィナーを量産できた」と、手ごたえを感じている様子だ。
世界国別選手権(オランダ)を皮切りに、車いすテニスは怒涛のツアー転戦が始まる。世界国別選手権のサーフェスはクレーコートだ。昨年10月以降クレーコートの試合に出場していない国枝にとっては、全仏オープンに向けた貴重な実戦の場にもなる。そして、2016年からシングルスも開催されるようになった7月のウィンブルドン(それまでは車いすの部はダブルスのみの開催だった)は、ケガの影響でまだ優勝がないため、今年獲りたいタイトルのひとつだ。
「いま、“王者”という看板は背負っていないし、ランキングもそれほど固執しなくなりました。もちろん1位になりたいですけど、それよりもフェデラーたちがそうであるように、いまはグランドスラムのタイトルを獲りたいと思っています」と胸のうちを明かす。
1年1年、結果で勝負をしたい――。
プロスポーツ選手としての矜持(きょうじ)が、国枝をさらに強くしていく。新たな環境で自分のテニスを磨いていくことを選んだ今年、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみだ。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。
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荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu